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無名バンドによるアメリカツアーの方法と記録 "Rock, Faith, Anime 2009" (インディーズバンド、海外ツアー、アメリカツアー、USA tour、方法、やり方)
その9 New York City, NY 4月13-16日
イースターサンデイが開けて、月曜日になった。 僕らは、早朝、ナオコさんと一緒に、荷物を発送しに出かけた。 機材、ドラムキットとアンプ類を、ダラスのケンさんのところへ送り返すのである。 前述したように、今回のツアーでは、南部を車で周る間は、Guitar Centerの通販で調達したこれらの機材を使用したが、残るNew YorkとSeattleに関しては、現地にある機材を使うことになっているので、ここでこれらの機材をケンさんのところに送って、預かってもらうのだ。もちろん、次回アメリカに来る際には、またダラスから入って、ケンさんのところに預けているこれらの機材を使用することになる。とてもありがたい限りで感謝だ。
とにかくそういうことで、僕らは機材をパッキングし、送り返すのだけれど、送る業者にもいくつかある。アメリカに来るとよく見かける黒いトラックのUPSってやつは、一般的に結構高いと思うのだけれど、今回の機材に関しては、重量の兼ね合いか、結構安い値段がついたので、UPSを使って発送した。
さて、いよいよお世話になったナオコさんにお別れを言うときが来た。非常にアートで魅力的な方だったこともあり、僕らは会えたことをとてもうれしく思っていた。 イヌちゃんにお別れを言うと、僕らはアトランタの空港に向けてドライブを開始した。アトランタは、Heartsfield-Jacksonという空港だったけれど、時間に余裕を持って出てきた僕達だったが、そこでひとつ思わぬ落とし穴があった。 レンタカーの返却場所が、ちっとも見つからないのだ。 僕らは今回、Dollar Rent A Carを使用したが、空港に行けば、普通はレンタカーの返却場所はわかりやすい位置にあるので、すぐにわかるとばかり思っていたのだが、確かに、他の各社の返却場所はあるのだが、なぜだかダラーの返却場所だけが見つからない。空港の中の迷路のような道路の状況とあいまって、僕らはすっかり混乱してしまった。
これは結局、細かいところまで調べてこなかった僕らのミスで、結論から言うとDollarレンタカーのオフィスは空港の外にあったのだ。他のレンタカーは全部空港内にかたまってあるのに、ダラーだけが無いというのは不条理だが、こういうことはある。行けばわかると思い込んでいた僕らの詰めが甘かったのだ。 余裕を持ってきたはずの時間はどんどんとなくなっていく。僕らは焦るばかりだ。空港の人に聞いてもわからないというばかりで、僕らは、つながりにくいダラーの電話窓口に電話をかけ、音質の悪いMetroPCSの臨時携帯で苦労して場所を聞き取る。しかし説明は非常におおざっぱだ。うちの嫁さんは他のレンタカーのオフィスで地図を描いてもらってきた。しかしこれまたものすごいおおざっぱ。いずれにせよ、Dollarのオフィスは空港の外であることがわかった。
しかし、空港を出て、ここにあると言われたストリートに来てみても、それらしいものは見当たらない。僕らはすっかり混乱して、周辺を車でうろうろするばかりだ。飛行機の搭乗手続きを考えると残り時間は無いに等しい。とにかく、誰かに聞くしかない。近所に駅っぽい建物があるのを発見し、「僕が行ってくる」と、私は一人車を降りて、聞き込みをすることにした。
しかし、それがまたちょっとした冷や汗の体験だった。 駅っぽい建物周辺で、あたりにいる人たちに、Dollar Rentacarの場所を聞くものの、どうにも、Hey Yoといった雰囲気のアフリカンアメリカン系のにいちゃんしかいない。返ってくる答えも、あんまり手がかりにならないけれどなんだかHey Yoなノリのものばかりだ。こりゃだめだと判断し、もうひとつ向こうの通りに行ってみる。しかし雰囲気がなんだかあれだ、前日まで滞在したアトランタの北の方の住宅街とずいぶん違う。要するに、北の方の日本人が多く住むあたりと比べ治安が悪いのだろう。ストリートでギャングスタな雰囲気がたちこめている。明らかに経済状態が違うし、周囲を歩くのはそういった雰囲気の人たちばかりだ。視界のはしっこに二人組みの警察官を発見していなかったらもう少し不安になっていたかもしれない。別にこれくらいはアメリカの都市であればどこにでもあるだろうし、僕は彼らに対して悪い感情は持っていないつもりだけれど、周囲の雰囲気にそれでも多少冷や汗をかいた。どうやら保険屋さんらしいオフィスの中に、知的な印象のやはりアフリカンアメリカン系の女性を見つけると、極力警戒されないようにドアを開けて聞いてみた。幸いなことに今度は明快な答えが返ってきた。
車に戻ると、しばらく姿を消していた僕のことを、皆は心配していたが、これはこれでちょっとした体験だった。 教えてもらったとおりに車を走らせると、さっきは気づかなかったその場所に、確かにDollarのオフィスがあった。電話で聞いた際に言われたのと逆側のわかりにくい場所にあったため、気づかなかったらしい。
ちょっと大変だったけれど、やっと車を返すことができた。 レンタカーのオフィスで働いているのもブラック系の兄ちゃんだった。 実はもうこの時点で飛行機の予定出発時刻まで15分くらいしか無かった。 「ヘイ、ここから空港まで歩くと何分かかるかい?」 こちらは必死だが、 「そうだな15分くらいかな。でも、歩く必要はないぜ、なぜならそこにバスがあるからな。」 と、笑って親指を立ててみせる。ノリのいい兄ちゃんだ。こっちも親指を立ててGood、と返す。 向こうから見れば間抜け極まりない日本人だろうけれど、こっちは必死なのだ(笑)
バスが5分で空港に着くと、僕らはもう必死のダッシュだ。 搭乗手続きを考えると、普通に考えればもう間に合う可能性は低い。 だが、この旅は、信仰の旅であり、僕らは神様に守られている、そして祈ればかならず通じる。 こういうときこそ、その祈りの力を体験する良い機会だ。 僕らはそう信じていた。信じていたけれど、実際のところは必死でダッシュだ(笑)
5分で荷物をチェックインする。あと5分でセキュリティゲートを通過しなければならない。それこそ神業でない限り無理だ。 セキュリティゲートにたどり着くと、あろうことか私とうちの嫁さんの二人の搭乗券に、発券ミスがあることがわかった。このくらい見逃してよ、そっちのミスでしょ、と言うが、このまま通すことはできない、カウンターに戻って発券しなおしてもらえ、と言われてしまう。万事休すだ。
はっしーとジェイクは先にセキュリティゲートを通ってもらい、僕は嫁さんと一緒にアメリカン航空のカウンターに戻る。さっきのカウンターの女性に言うと、「オゥ、ソーリー」、って、ソーリーじゃないだろー、って感じだけれど。 超ダッシュでセキュリティゲートに戻る。事情を話すと、ゲートに並んでいる人たちは、順番をゆずって僕らを先に行かせてくれた。親切な人たちだ。感謝だ。 飛行機は出発の時刻を1分ほどすでに過ぎている。 頭の中は真っ白だ。必死な思いで出発のゲートにたどり着くと、そこにあったのは、 「フライトは1時間遅れ」の表示。 全身の力が抜けた。
はっしーとジェイクと、皆で大笑いである。 飛行機の遅延なんて、よくあることだし、奇跡でもなんでもない。 でも、なんにせよ、僕らの祈りは聞かれた。神様は僕らの旅を守ってくれた。 これが結果だ。 僕らがどれだけ神様に感謝したかは言うまでもない。
実を言うとこれを書いている時点で、つい最近知ったのだけれど、 僕らがハプニングを乗り越えてアトランタを出発したそのちょうど翌日、とある日本のバンドが、このアトランタで交通事故を起こしていたことを知った。僕らも通った同じ道路でだ。 ダラスでお世話になったケンさんは、政府関係で働くご主人から、そのニュースを聞かされたそうだ。ケンさんは、メール等で、その時点で僕らが既にニューヨークに居たことを知っていたが、ご主人は、僕らが事故を起こしたのではないかと非常に心配したそうだ。 登り調子で非常に注目されているバンドであるが、彼らのツアーはそこでキャンセルになってしまったそうだ。 その事実を後で知ったとき、僕は不思議な感覚を覚えた。不謹慎な感覚だけれどまるで彼らが僕らの代わりに事故を起こしたようなふうに思えたのだ。僕らは無名のバンドであるけれど、ひょっとしたら神様は僕らを守ってくれたのかもしれないと思った。 いずれにせよ、事故にあったそのバンドの無念は想像に難くないし。また、過去にもアメリカをツアー中に事故にあったり亡くなったミュージシャンの例もいくつかある。 ひとつ間違えば、事故を起こしていたのは僕らだったかもしれないのだ。 そんなことを思って、僕らは無事にツアーを終えることができたことを心から感謝する。
ともあれ話をもとに戻そう。
アトランタからのフライトが遅れたことによって、もうひとつの不安は、乗り継ぎだった。 予約していたのは、シカゴでの乗り継ぎ便だったので、シカゴからニューヨークの乗り継ぎが、スムーズに行くかどうか、ちょっと不安だったのだ。心配なのでカウンターでどうなの、と聞きまくるが(笑)、結果として、予約していたのと別の便にスムーズに乗り継ぎできて、しかもその飛行機がやたら速くて、結局、当初の予定とほとんど変わらない時刻にニューヨークに到着することができた。ほらーね、やっぱり、神様は守ってくれる、って。という感じ。
少しだけ時刻が遅れたことで、飛行機の中からはNYCのきれいな夜景を眺めることができた。 到着し、荷物をretrieveして、バスに乗り込む。僕らは皆New Yorkは初めてだ。うーん、ニューヨーク、いいなあ、なんて思ったって、バチは当たらない。正真正銘のおのぼりさんだからだ。 バスがマンハッタンに到着すると、定石どおり、Grand Centralの駅に感動する(笑)。おのぼりさんだからこれでいいのだ。 ばっちり皆で写真撮影である。
そんなんだから、初めての地下鉄に乗るのも一苦労で、でっかいスーツケース抱えて改札のゲートくぐるのにもいちいち大騒ぎするわけだが、今回、僕らがニューヨークで選んだ宿は、日本人が経営するホステルだった。なんというのか、ユースホステルみたいなものだろうか。気軽で、しかも安い。また、そこに滞在する日本人の若者たちと、少しは交流ができるのではないかと思っていた。
問題は場所で、マンハッタンの中でも、ハーレムの南端あたりにある。スパニッシュ・ハーレムと呼ばれる辺りらしい。 ハーレムのど真ん中まではいかないし、しょせんはしっこ、そして、ハーレムは最近では治安もずいぶん良くなったという話なんだけれど、それでも、夜中に歩くにはちょっと不安だ。ていうか、だいぶ不安かもしれない。 そんな感じで、確か6番の地下鉄で、113stあたりの駅だったと思うんだけれど、そこを出るあたりから、うちのメンバーは結構びくびくしていた、多分(笑) 僕?僕はそんなんじゃびびらないですよー、うん、多分ね、多分。
昼間のアトランタでもギャングスタな雰囲気を体験したけれど、確かにここでもそれ以上にギャングスタ、というか、なんともいえない雑然とした雰囲気の中、スーツケースや楽器を引きずって、そりゃ目立つわな、なーんとかホステルに到着。
結論から言うと、やはり日本人ばかりだからだろうか、ホステルは、それほどオープンに皆がアクティブに交流しているというわけではなく、どちらかというと皆プライバシーを守っている感じで、それほど交流は無かったけれど(僕らが自分たちのギグの準備で精一杯だったこともある)、そしてなかなか狭い環境だったけれど、私と嫁さんも個室を確保できて、なかなかに居心地の良い宿だった。
隣のデリで食料品を買い込むが、インスタント系は見事に大半が賞味期限を過ぎている。うーん、いかにもニューヨークといった感じでいちいち盛り上がる私達だった。
狭い部屋、そして日本語の通じる環境、という、日本そのままな気分のそのホステルでNYC最初の夜を過ごし、翌日。 ギグは夜なので、昼間は、当然観光に使うことにした。 意外と毎日、演奏やら移動でせいいっぱいで、観光といった時間が無かったので、NYCではかなり観光客気分だった。 まずは、グランドセントラル駅から出発し、タイムズスクウェア、ブロードウェイ、セントラルパーク、と、かなりこてこてな観光地巡りをした。セントラルパークは桜がきれいだった。 日本でも出発前に花見は済ませてきたが(だって、見れるときに見ておかないと、と思うじゃない)、ここニューヨーク、そして結局、その後のシアトルでも、かなり桜を見ることができて、花見も二度できてしまった。
夕方、宿へ戻り荷物をもってきて、地下鉄に乗り、ヴェニューへど向かう。 ここまで南部の移動はすべて車だったので、地下鉄に乗って会場へ向かうのはなんだか新鮮だ。 ちょっと東京でのギグを思い出す。
ニューヨークという街については、僕らはそもそも世界最大の都会である東京から来たんだ、恐れることなんかない、と思っていた。ニューヨークは明らかに東京よりも雑然としていて、洗練を感じないし、人の多さも、密度ということでいえば東京のほうが全然上だし。 ただやっぱり、すべてがルール通りで、何も起こらない街東京とくらべて、ニューヨークは明らかにアクティヴだったのは確かだと思う。でも、なにかの本で読んだほど、クレイジーな街だとは思わなかった。僕らには意外と、リラックスしてのどかな街に思えた。ちょっと居ただけだからわからないけどね。 たとえばマンハッタンなんて、とても狭い、小さな地域だし、そのほんの小さな島が、世界の共通語みたいに、ニューヨークという街になってるなんて不思議だと思った。そんで、ニューヨークは、東京を除けば世界一の都会なはずなのに、ちっとも気取っていない。というか気取るのもばかばかしいくらいの独特の空気がある。そんなイージーで混沌とした魔法が支配する街で、生きているひとりの日本人ミュージシャンに出会った。
ハコに到着すると、すでに最初のバンドが演奏していた。 今回、ブッキングしてもらったのは、East Villageにある、Otto's Shrunken HeadというTiki Barだった。 バーに入ると、なんだか皆でパーティーしていて、バーとしてはとてもにぎわっているようだった。 しかし、演奏スペースは、そのさらに奥にあり、バーとはほとんど隔離されていて、そっちはそっちで勝手にやってくれという感じの構造だった。 後でそのドラマー氏に聞いたところによると、こういう「酒は酒、音楽は音楽で勝手にやってね」式は、昔のニューヨークによくあったスタイルで、今では珍しいのだそうだ。
演奏していた最初のバンドは、ギタリストとドラマーによる、前衛的なプロジェクトのようだったが、お客はまったく入っていなかった(笑) まさしく、勝手にやっているといった感じだ。だが、ドラマーさんのプレイが、なんだかただならぬものを感じさせた。そして、よく見ると、日本人だった。メンバー紹介で、日本人の名前が呼ばれていた。
演奏後にそのドラマーさんと話してみた。神戸出身のジャズドラマーで、もう15年だか20年だか、ニューヨークに居るらしい。最初は働いてビザを取得しただとか、移住に関しての話もしてくれた。でも、今では昔よりも厳しくなっているからね、というようなことも言っていた。 そのドラマーさんの腕はかなりのものであったと思う。でもニューヨークはみんなすごい上手いやつばっかりだからね、と言っていた。たぶんそうなのだろう。日本人のジャズピアニストとバンドを組んで、よく日本やヨーロッパにも演奏ツアーで訪れているらしい。名前を教えてもらって、そのジャズピアニストさんのバンドのウェブサイトなどもわかるけれど、ここでは伏せておこうと思う。
その日本人ドラマーさんで印象的なのは、男の子として、正しく幸福そうだったことだ。 好きなことを追求するのが、男の生き方なんだ、そんなのあたりまえだろう、わざわざ聞くまでもないだろう、 って、彼の背中がそう語ってた。 なんも背負うもんも、でっかい目標も関係ない、好きなことを夢中でやってたら、男は幸せなんや、って、 そんなふうに、おそらく40台くらいと思われるそのドラマーさんは、笑顔のまま無言で語っていた気がする。 「しかし日本人がよくこんなハコでブッキングできたなあ。驚いたわ。」 そう言って、なんとなく、新宿JAMのIさん(やはりプロなドラマー。関西人。)によく似ているそのドラマーさんは、マンハッタンの真ん中から、歩いて家まで帰っていった。
意外なことにこの日僕らはトリだった。 僕らの出番の前には、Mayday Radioというバンドというか、一人ユニットが演奏していた。 今は一人アコースティックユニットだけれど、ゆくゆくはバンドにしたいと、彼は語っていた。 中国系かフィリピン系か、東洋人だった。1ミリも日本語は通じなかったけれど。 しかし彼の曲はなかなかに凄かった。 才能のある人だとわかった。 客席は、身内の披露パーティー的な気安さがただよっていたけれど、お客さんもかなり入っていた。 彼の演奏も楽曲もとてもよかった。負けたとは思わなかったけれど、ちょっと負けたかもと思った。この日の僕らのギグは良くない部分もあったからだけれど、それでも僕らは演奏後には、"You are great!" "You too!"と互いに完全に認め合った火花の散りようだった。
さて、そして僕らの出番だった。Chattanoogaのブッチ牧師に紹介してもらったRichy牧師にすでに連絡をつけてあった。そしてRichy牧師に、スネアドラムを貸してもらったのだった。ドラムキットはDallasに送り返していたが、スネアくらい持ってこいよという感じだが、結構飛行機の移動ということもあって荷物は最小限だった。だから、こうして今回もRichy牧師のお世話になり、いろんな人に助けてもらってツアーを無事に終えられたことはとても奇跡的に幸いなことだった。 しかしRichy牧師がスネアを持ってきてくれて、僕らの出番になったところで、お客さんがほとんど居なかった(笑) Mayday Radioが終わると、彼のオーディエンスはほとんど出ていってしまった。演奏を始めるが、バーと演奏スペースがほとんど隔離されたこのハコでは、音で客を呼び込むのは難しい。なぜってバーでも大音量でダンスミュージックが流れているからだ。
僕らが演奏を始めたときには客席にRichy牧師含め5人くらいしかいなかった。 これではRichy牧師にも申し訳が立たない。僕らは結構あせって演奏を始めたが、それでも度胸がすわって僕はジョークを飛ばしながらショウをスタートした。いつも無条件でテンションの高いジェイクはともかく、はっしーは結構テンションが落ちていて、エンジンがかかるまでに時間がかかった。結局、3曲4曲演奏するうちに、かなりお客さんが戻ってきてくれて、演奏にも気合が入ってきた。ゲンキンなものだが、やはり見てくれるお客さんが多いほど演奏にも力が入る。
結局、後半戦は、いつもどおりのぶっとびなステージになり、ニューヨークっ子をきゃーきゃー言わせることに成功した。 客席の人数こそ、それほど多くはなかったが、いつもどおりの熱狂的な反応やら、日本人というものめずらしさもあると思うが、サインやCDを求めるなどの反応もあり、またRichy牧師も感銘を受けてくれたようだ。また強面のハコのブッキングマネージャーも非常に熱く支持してくれていた。
そんなこんなで、僕らはなんとかひとまずの達成感とともに帰途についた。 帰り道は、深夜の地下鉄に乗るのにメンバー皆不安があったため、Richy牧師にわがままを言って、宿まで車で送ってもらうという贅沢なことをした。 Richy牧師は、実は音楽業界の人で、自身も若い頃、Butch牧師らと一緒にさかんに演奏活動をしていたようだが、今は第一線のディレクターであり、また、グラミー賞の投票権を持っているという業界の重鎮でもあった。また、Richy牧師の娘さん、3人娘、は姉妹でバンドを組んでおり、目下売り出し中なのであった。Richy牧師は車の中で、自身が手がけているバンドやプロジェクトの音源をいくつか聞かせてくれた。偶然にもいろんなバンドをチェックしているジェイクは、Richy牧師の娘さんのバンドも、そして、Richy牧師が今手がけているメキシコのメタルバンドも知っていた。今、そのメキシコのバンドの曲を英語で録りなおしているという。ジェイクも結構お気に入りだというそのバンドの、まだ発表されていない英語バージョンのラフミックスを聞かせてもらった。 Richy牧師は、僕らの演奏を非常に気に入ったようで、また、小さなハコではあったが、オーディエンスから熱狂的な反応が得られた点、皆、日本からのクリスチャンロックということに驚いていた点、また元気いっぱいで闇に光を照らすことに成功している点などを指摘して、賞賛していただいた。Richy牧師は僕らのことを応援したいと言い、今回の僕らのニューヨーク滞在が短いことを非常に残念がっていた。せめて日曜までいてくれれば、教会で演奏させたかったという。しかし、それは、なんというか、クリスチャンバンドをやっていると、平日はどこにいっても言われることかもしれない(笑) とりあえず、Richy牧師は、明日時間が取れたらぜひ話す時間を持とうということで、僕らをホステルまで送ってくれて、その晩はお別れした。
心地よい眠りをとり、翌日。 実はニューヨークはそれでも今回、多少観光のために日数を確保しておいた。 ギグの翌日は、丸一日観光に使おうと思っておいた日である。 ニューヨークでは、もしかして会えたらいいなという人物が二人居た。 一人は、ニューヨークに拠点を置く大好きなインディーバンド+/-{plus/minus}のJames Baluyut。僕は彼らの熱心なファンだが、彼らが昨年来日した際に話をした折、彼が「ニューヨークに来るときは連絡してくれ」と言っていたので、冗談だろうなと思いつつも「本当に行くからな」と言っておいたのだった。そして、半年後、本当に来た(笑) 4月のSXSWのすぐ後のシーズンだったので、彼らもツアーに出ているのではないかと思ったが、今年の+/-{plus/minus}はSXSW後のツアーに出なかったので、ニューヨークに居た。facebookで連絡をつけていたけれど、直前になってギグには来れそうにないと連絡があった。まあ、そんなもんよね。でも、本当に来たんだぜ、という約束を実行しただけでとりあえず僕には十分だ。
もう一人は、Oursというバンドの"Locke"ことRichくんだった。Richy牧師と名前が同じなのでややこしい。電話が来たときに一瞬混乱してしまった。Oursもニューヨークに拠点を置くバンドで、かなり昔から存在しているバンドだけれど、Richくんは近年加入してメンバーとして活躍している。Oursは、U2をもっとおどろおどろしいグラムっぽくした感じで、かなり暗くて演劇的な雰囲気がするバンドだ。最近では結構人気があるようで、れっきとしたメジャーバンドである。なぜ僕がRichくんと知り合ったかというと、昨年春の某映画祭のときにRichくんも音楽で関わっていて来ており、そこで知り合ったのだ。 メジャーバンドで、Marylin Mansonの前座もやっており、イケメンで人気者のRichくんだが、日本の無名ミュージシャンである僕のような人間にもわけへだてなく優しい、とてもいいやつだ。 今回、残念ながら、Oursのツアー中であり、たとえばテキサスあたりでも僕らの日程とちょいとばかしニアミスしていたが、彼らはニューヨークに戻ってくるのは僕らとすれ違いだった。だから僕はニューヨークで彼から電話だけもらった。 なかなかやはりすれ違いで、広い世界の中で会えなかったりもするけれど、旅を続けていれば、音楽が引き合わせてくれる運命であればまたどこかで会えるだろう。会いたい人に会いにいくのが僕らの旅だ。
なにはともあれ僕らはギグの翌日の観光に出かけた。性懲りも無くタイムズスクウェアから始めてみたけれど、僕らには行きたい場所がいくつかあった。 まずは定番のコテコテだけれど、バッテリーパークへと向かい、自由の女神を、遠目からだけど眺めた。 そして、私が個人的に行きたい場所はどこだったかというと、ブルックリンだった。 ブルックリンといっても広いので、ブルックリンブリッジあたりから景色を眺めてみたいとか、その程度のことだったけれど、 +/-{plus/minus}の連中をはじめ、アーティストたちが多く住んでいるというその地域が、どんなヴァイブを持っている場所なのか、見てみたかった。
で、僕らは、Brooklyn Bridgeを渡ったわけです。歩いて。 ちょっと歩くのは疲れたけれど、行った価値はとてもあった。 非常に眺めがよかった。 橋の上から見た、マンハッタン、それからブルックリンの街並みは、とても素敵だったけれど、 意外と、上陸して近づいてみると、ブルックリン、それほどきれいでもなかった。 でも、ほんの入り口を眺めただけだから、本当はどうだかわからない。
僕らはその後、地下鉄でイーストヴィレッジに戻り、ケンさんに教えてもらった日本食屋さんでサッポロラーメンを食べ、楽器屋の前で奈良美智の落書きを見つけ、そしてタイムズスクウェアに戻った。
タイムズスクウェアに戻ったのは、Richy牧師に会うためだったが、面白かったのは、ジェイクが、ブロードウェイの土産屋で、ショウウィンドウに飾ってあったディスプレイ用の、直径70センチくらいの巨大コーヒーカップを買うという暴挙に出たことだった。店の人も、まさかこれを買う人がいるとは思わなかった、と驚いていたようだ。ジェイクは帰国後、この巨大なカップで毎朝コーヒーを飲んでいるとかいないとか。よく持ち帰ったよな。
Richy牧師とは、タイムズスクウェア近くのマリオットホテルのロビーで会って話し込んだ。 これからの音楽活動について、レコードについて、レコーディングについて、業界について、フェスティバルについて、演奏について、演奏の際のイヤモニの重要性であるとかそういうことも話していた。また話は、ビザであるとか、そういうところまで及んでいた。 仮にもグラミーの票を持っているようなプロデューサーと、こうしてニューヨークのど真ん中で、ある程度具体的なビジネスの話をしているという時点で、ちょっとだけエキサイティングではあった。 なにがどう機能するかはわからないが、少なくとも、このニューヨークにおいて、非常に強力なつながりを得たことだけは間違いはなさそうだ。
ホステルに戻る帰りのタクシーの車窓に映るマンハッタンの夜景を眺めながら、やはりニューヨークは何かが起こる街なのかもしれないと思っていた。
mixi日記記録 移動日 2009年04月14日16:28 本日は二泊三日お世話になったナオコさんちを出発してアトランタの空港からにうようくへ向かいました。
NYC 2009年04月15日16:26 にうようくはイーストヴィレッジでのショウを終えてきました。
反省続き 2009年04月16日00:14 昨夜の録音を聞いてチェック反省。
nyc 2009年04月17日00:01 恥ずかしながら僕らはニューヨークは皆初めてだが、
April 14th, NYC setlist 1.Winning Song 2.Iron Hammer 3.Changes! 4.i love you, now ur on your own 5.Only One Wish 6.Karma Flower 7.He's Still With Us 8.First Pop 9.Big World
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