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2017年 6月の日記です


■…2017年 6月27日 (Tue).......いんすたメモ
私見。良いレスポールはカンカン鳴る。良いストラトはバリンバリン鳴る。共通点は、どっちもうるさい。
(今ストラト持ってへんけどw)
#lespaul #floydrose #strguitars

No(4906)


■…2017年 6月13日 (Tue).......劇的な凋落に見舞われた若いバンドについてのとりとめもない思索、の続き
PWR BTTMの一夜にしての凋落について書いたけれど、
このバンドの音楽について、僕が個人的に思っていること、思ったこと、
あとは、今回の事件に際して、いろいろと考えたことを書き記しておきたい。

きちんとした文体で書いている余裕がないだろうから、
箇条書きみたいにしてみようか。

いくつかの記事の表現にあったように、Too Good To Be Trueだったということは言えるかもしれない。

パンクの宿命として、本当に美しい瞬間というものはやはり短かったのではないか、とも言える。

2ndアルバムの"Pageant"は、1stと比べて、一撃必殺のキャッチーさは若干薄れている印象もあるが、内容の深さとか広がりは、あと洗練とかは、確かに1stを上回っている作品だという印象を持っている。

このバンドが、もし続いていったとしたら、さらに音楽性を広げ、深化していったのか。それとも、やはりパンクの宿命で、一瞬のきらめきに終わっていたのか。
結果として短命に終わった彼らは、美しいままで記憶されることで、かえって幸せだったのか。

いずれにしても、現実に、Ben Hopkinsが「問題のある人間」であって、現実にこうしてPWR BTTMというバンド、アーティストが事実上「消滅」してしまった後となっては、考えざるを得ない。

バンドが、その役割、音楽的、または社会的な、役割を、今の時代の世の中で、達成することの難しさを。

PWR BTTMは素晴らしいバンドだった。
それは、俺はもう、間違いなくそう思っている。

今度の騒ぎで、ストリーミングで聴けなくなり、しょうがなく1stと2ndのフィジカルのCDを買ってきちんと聴いてみると、その素晴らしさが本当によくわかった。

こんなバンドは、そうそう出てくるものじゃない。
そして、そのQueer Punkなんていう、クィアーだかゲイだかわからないが、そういった特別な立ち位置も含めて、
特別な魅力と、人をひきつける力を持ったアーティストだったことは間違いない。

けれども、そんな素晴らしく特別なバンドをして、結局は本格的なブレイクを目前にして挫折し、消えざるを得ない状況に追い込まれた。

今の世の中は、バンドに対して、音楽だけでなく、人間的にも、聖人君子であれとでも言うのだろうか。

そして、PWR BTTMみたいな、希有な才能と魅力を持ったアーティストであっても、「まだ足りない」とでも言うのだろうか。

これほどのバンドをして、結局は、その「役割」を果たすことなく、舞台から消え去った。

それとも、早い退場のように見えたとしても、彼らは本当は、もう十分に役割を果たしたと言えるのだろうか。

彼らが起こした波紋、騒動、話題。
彼らが消えたことで開いた穴を、つまり、キャンセルになったツアーの会場には、地域のミュージシャンとかLGBTの人たちのコミュニティによって、地域のLGBT系のアーティストとか、チャリティ的なイベントとか、組まれているという。そのムーヴメントの素晴らしさも、どこかの記事に書いてあった。PWR BTTMが風穴を開けたところに、皆がそれを協力して埋めることで、新しいムーヴメントがそこからが生み出されていくのかもしれない。

たとえば彼らにインスパイアされた性的マイノリティの少年少女たちが、音楽をはじめ、近い将来に素晴らしいアーティストになるかもしれない。


バンドが、その本当の使命や目的を達成するためには、果たして何が必要なのだろうか。

たとえば一応、クリスチャンロックなんていう変わったジャンルに身を置いている立場としては、考える。
神のため、キリストのため、なんて言っても、人間のやることは、しょせん、自分のためという枠から出られないし、そして、きっとそれでいい。

だからこそ、「神のために」、どれだけのことを求めることができるのか、どれだけのことを望むことができるのか、どれだけ大きな夢を持つことが出来るのか、どれだけ大きな目標を描くことが出来るのか。

そこを問いかけたいし、俺は、これでも、わりと、「神のため」に、嘘くさく聴こえようとも、「自らの大きな夢」を、たぶん誰にも負けないくらい、大きく描いている、と、その欲望と贅沢な欲求の深さにおいて、言える。わからんけど。いい歳して、そう言える。つまり、俺は、夢なんか描いてバンドをやっていたことは無いけれど、神のための夢なら、知らん間に描いていたと思う。

つまり、本当に「神を求める」ということは、どういうことなのか。

成功の先にある本当の成功。そして名声の先にある本当の栄誉。
それを、求めることが、果たしてできるか。

成功や名声を手に入れても、「まだ足りない」と思うことが出来るか。
つまり、地位とか財産のことじゃなく、もっと大きな意味において。

名声というものは、いつの世においても、何らかの形で悪魔との取引だということは、経験上、みんな知っていると思うのだけれど。

その意味では、バンドがその本当の目的を達成するために、「名声」なんてものは、あてにならない。

今回のPWR BTTMの事件を見ても、あらためてそう思わされた。
PWR BTTMほどの素晴らしい魅力を持ったアーティストであっても、この「名声」というものに、足をすくわれてしまったのだから。

特に今の世の中においては、名声というものはペイしない、つまり、割に合わないことが多いように思う。

「本当の目的」を達成するために、君は、僕は、それらのバンドは、果たして、十分なものを持ち合わせているのか。

そもそも、「本当の目的」なんてものを、誰が見ているのか。

それとも、そもそも、僕は、君は、ロックバンドというものに、何を期待しているのか。

だから聖人君子みたいな、理想像を求めるのか。

ヒーローになって、世界を救えとでも言うのか。

U2のボノみたいになればいいのか。
皆はマイケル・ジャクソンにいったい何を期待していたのか。

古今東西の偉大な宗教家や哲学者のように、道を究めて、大衆を救いに導けとでも言うのか。

きっと言っているんだろう。

だから君たちは、大衆は、PWR BTTMみたいなバンドを求めて、そして、その理想像に合わないと思えば、容赦なく、その地位から突き落としたのではないか。

でも、その道は、遠く、長く、果てしない。

その道を、歩こうとする人間は、果たしているか。

はなしそれた。


どちらにせよ、PWR BTTMは、音楽的に素晴らしいバンドだった。

なにがって、別にこれと言って新しい要素があったわけじゃない。
革新的に新しい音楽をやっていたわけじゃない。

でも、だからこそ、余計に凄みを感じた。

もちろん、僕の世代としては、「90年代っぽいサウンド」というのが、ツボにはまったのは言うまでもないことだけれど。

そのように、彼らの音楽は、もちろん今の時代っぽい軽いキャッチーさや、キラキラ感を備えつつも、その実際は、もっとベーシックな、エッセンシャルな、昔からのロックの文脈にのっとったものだった。

その上で、別に変わったことやってないのに、新鮮なメロディや、新鮮なサウンドや、そして独自の声を、持っていたことが、素晴らしいのだ。

彼らの楽曲は、シンプルだ。
パンクだから、と言ってしまえばそれまでだ。

だけれども、そのシンプルで、たわいもない、どうってことのない楽曲だからこそ、
その中身が際立った。

たとえば、2ndアルバムの曲だけれど、Answer My Textという、非常にくだらない曲がある。

10代の女の子が、ボーイフレンドがテキスト(SMS、つーか、LINEだよな、日本だと)に、返信をくれないことに怒る、というだけの、本当にたわいもない、くだらない曲で、僕も最初に聴いた時には、本当にシンプルで、どうってことのない曲だと思ったのだけれど、ではなぜ、僕はこの曲に、なぜかぐっときて、あげくのはてには涙が出てきてしまったりするのだろう。

そこにはいろいろ理由がある。
でも、たとえば、「俺たちが」あるいは「皆が」、がんばっているのは。
あるいは、俺なんかにしてみても、分不相応に大きな目標かかげてクリスチャンロックとか苦労してやってきたのは。

こんなふうに、世界のどこかで、(性的であれ、人種であれ、精神的であれ)、若い世代の子たちが、そしてマイノリティの子たちが、こうして普通に、何不自由なく、たわいもない日常を、過ごすためだったんじゃないかと思うと、もうどうしようもないくらいに涙が出てきてしまうのだ。わかってもらえないかもしれないが。

だから、馬鹿みたいに聴こえるかもしれないけれど、Imari Tonesが、クリスチャンロックやってんのは、地球の裏側の遠いどこかで、ゲイの子が、普通の何不自由ない生活をするため、なんて言ったら、おかしいけれど、でも究極的にはきっとそうなんだ。

そして、このAnswer My Textというくだらない曲、10代の女の子のたわいもない日常を描いているだけの曲だけれど、実はそうではなくて、つまりこれは、この曲を歌っているLiv、つまりPWR BTTMの二人のうちの、「きれいな、女の子っぽい方」だけれど、そのLivは、実際には、ゲイだかクィアーだかやってて、こんなふうな10代は、過ごせなかった。だから、これは、実際には送ることのできなかった「10代の女の子としての生活」を、彼というか彼女が、歌っているのだ、と気付いたとき、たわいもない単純な曲だと思っていたこの曲が、実はもっとそれ以上の意味があったんだ、と思って、そこでまた泣けてしまう。

同様に2ndの曲で言えば、LOLという曲があって、これはもう一人の、男っぽい方の、(残念ながら性的な侵害で糾弾されてしまったところの)、Benが歌っている曲だけれど、これは、ものすごく素晴らしいバラードだと思う。
ほんとにシンプルで、たわいもない曲なのに、なぜだか本当に美しい。

だから、90年代とか80年代とかを思わせる感じで、特段に新しいことをやっているわけではない、のに、それでも、新鮮で、素晴らしい、と思わせる。そして、パンクでもあり、グラムロックでもあり。

PWR BTTMの音楽を言葉で説明すれば、「基本パンクなんだけれど、グラムロックとか、インディー、ガレージとか、もっと繊細な要素もあって、そこにタッピングとかを絡めたギターの弾きまくりも入ってくる」みたいな。

だから、そんな、古くて新しい、決して形だけの新しさではなく、ちゃんとロックの文脈に向き合った彼らが、これだけのことをやってくれたというのは、俺にとっては。

俺は、常々、長年、ある程度の年齢になってからは。
もっと若い世代のバンド、アーティストに夢中になりたい、びっくりさせられたい、と思ってきたし、言ってきた。

もちろん今までだって、それなりに自分よりも若いアーティストの音楽も聴いてきて、好きになったものもたくさんある。

このPWR BTTMは、決して、あらゆる意味で偉大、とは言えないけれど、
けれども、やっぱり、突き抜けている。
あるいは、2分間という短くシンプルなポップソングにおいての、魅力と破壊力においては、歴代のどのバンドよりも、あるいは突き抜けているかもしれない。

だから、果たして、俺は、自分よりもずいぶん若い世代のアーティストに、夢中にさせられるという経験を、ようやく、これで出来たのかもしれない。
そうだとしたら、とても幸せなことだ。

他のパンクバンドとの比較は、面倒だから省略するけれども。


けれども、何度も言っているように、そんな素晴らしい魅力を持ったPWR BTTMをもってしても、今の時代に、ロックバンドの「本来の役割」を果たすためには、きっと、やはり、足りないものがあったのだろう。

それが、人間的なもの、とか、性的なもの、とか、社会的なもの、とか、それが何だったのかは、置いておいて。

もし、彼らが、こんなふうに劇的な凋落に見舞われずに、このまま、アルバムを3枚、4枚、そしてもっと、10年、20年、と、キャリアを重ねていったら、どうなっていただろうか。

その答えは、わからないが、
けれども、僕は、自分の人生において、それを既に、手に入れている。

つまり、このPWR BTTMのサウンドを聴くと、特に1stアルバムなんか聴くと、Suedeの初期のサウンドにすごく近い、と思わせるが。(もちろん、他にも、いろいろな、たとえばそういうqueerなアーティストの影響もあるんだろうけれど。)

Suedeという素晴らしいバンドが、僕の人生において、ずっと長い間、人生に寄り添うようにして、そこに鳴っていてくれて、そして、21世紀に入って10年もしてから、再結成した彼らは、以前よりも素晴らしく、成熟して、希望に満ちた音を鳴らしてくれている。

僕は、別に性的なマイノリティではないけれど(かといって型通りに男らしいわけでもないが)、でも精神的つーのか、人間としてはいつだってアウトサイダーだった。なんというか、今でも、徹底的に。

だから、そんなSuedeというバンドが、居てくれたことを、あらためて思う。

けれども、そして、このPWR BTTMという若いバンドは、短命に終わってしまったかもしれないが、その輝きが、それらの伝説的なバンドたちと比べても、決して劣るものではない。

それにしても複雑だ。

PWR BTTMは居なくなってしまったというのに、自分よりもはるかに若い彼らは、挫折し、消えてしまったというのに、僕は、僕のバンドは、それでもまだ、存在している。もちろん、全然、比較にもならないが。それでも、道は続いている。

PWR BTTMがいなくなったのに、うちのImari Tonesは、まだ、音楽を作る。

すごくおかしな感じだ。とても不思議だ。不条理な感じがする。

すごい才能を持ったライバルが、一組、減ったのを喜べばいいのか。

それとも悲しめばいいのか。

いや、それは、どちらも違う。

感謝すべきなんだ。

示してくれたことに。

道を開いてくれたことに。

そして、その素晴らしい音楽で、このいい歳した僕に、今日を乗り越える希望を与えてくれたことに。


今、2ndの最後に入ってるStyrofoamっていう曲の歌詞を見ていたんだけれど、
本当に素晴らしい。
彼らの曲は、とても素直でポジティヴだと思う。
涙が出てきてしまった。

本当に惜しい。
こんな結末で、短命に終わってしまったことが。
でも、たとえこれだけであっても、素晴らしいことをしてくれたと思う。

きっと、やっぱり、Too good to be true、
これ以上は、あり得なかったのだろう。

No(4905)


■…2017年 6月10日 (Sat).......オーバーナイトフォール
上り調子で成功の前夜、ブレイク寸前、この場合、本当にあと数日、だったアーティストが、こんなにも短時間のうちに、人々から糾弾され、世の中から消えてなくなる、なんてことは、たぶん初めて見た。
それは、インターネット時代のスピードにふさわしく、本当にオーバーナイト、24時間、少なくとも72時間の後には、跡形も残らなかったらしい。と、どっかの記事に書いてあった。

僕はこのバンドのことを話すとき、いつも90年代のイギリスのグラムロックのバンドであるSuedeと比較をしてしまう。というのは、言うまでもなく僕はSuedeのファンだったからだ。

Suedeも、2ndアルバムをリリースした直後、世の中から徹底的に嫌われるという現象が確かにあった。メディアからは叩かれ、メンバーは脱退し、ファンは目を背ける。それでも、その2ndアルバムは、10年、20年と時がたつうちに、いつのまにか「1990年代を代表する名盤の一枚」として挙げられるようになっていた。

けれども、現代のインターネット社会では、その「非難」とか「凋落」のスピードと落差は、もっとはるかに激しいものだったみたいだ。

僕が昨年、退屈しながらインターネットで新しいバンドを見つけようとしていろいろ見てるうちに、いちばん気に入ったのがこのPWR BTTMというゲイのバンドだったということは、少数の友人には話していると思う。まぁ日記に書いてるが。

ゲイのバンドというのか、queerというのかね、ドラッグクイーンというのか、クィアーというのか。こういう、LGBT的な性的マイノリティの人たちにも、色々な種類があるようで、僕はその区別に必ずしも詳しくない。だから、間違っていたらごめんなさい。

同様に、今回僕は、このPWR BTTMの一夜にしての凋落についての記事をいろいろと読んでいるうちに、こういったジェンダーが男女の区別にあてはまらない人について語る場合、heとかsheを使うのではなく、theyを使うのだということを学んだ。しかし、これは紛らわしいし、すげえわかりにくいよ、文章。なんかそれ用の新しい単語を開発してくれよ。yheとか、ghe、とかさ。

僕自身の生活のタイムラインから書くと、つまり、僕はこのPWR BTTMというバンドを、昨年あたりから気に入っていて、けれども、今の時代の音楽との接し方ということで、SpotifyとかYouTubeで時々聴く、という程度だったんだ。
そいで、5月のアルバムの発売日、つまり、この、上り調子のバンドの、大きなヒットになるに違いない、career makingな、成功を約束された2ndアルバムの、発売日。
その2ndアルバムを楽しみにしていて、でも色々いそがしいからさ、6月に入って、そういえばもうリリースされてるよな、Spotifyで聴いてみよう、と思って、Spotify立ち上げてみて、そして異常に気付いて、ウェブサイトとかFacebookとかチェックして、何が起きたのかを知り、そりゃもう、愕然とした。こんなことってあるのか、って思って。

つまり、その、成功を約束された、バンドを全国的つーか世界的な知名度に押し上げるはずであった、その2ndアルバムが発売される、それこそほんの数日前に、狙いすましたみたいにして、その事件は起きた。その事件の内容は、自分で調べてほしいんだけれど、つまりは、PWR BTTMのデュオのうちの一人である、Ben Hopkins、つまり二人のクィアな人たちのうち、より男っぽくて、どぎついメイクをして、ギターが上手い方、が、sexual misconductっていうのか、sexual assaultで、訴えられた、というか、訴えたといっても法的にではなくて、Facebook上のグループで、そう訴えられた。つまり、無理矢理に性的な行為をされた、という訴えだ。

72時間後には、ツアーのサポートバンドの多くは参加を辞退し、バンドのツアーメンバー(デュオだから、ベースとキーボードはサポート)も参加辞退を表明、ツアーはキャンセル、マネージメントも契約解除を発表し、レーベルは発売されたばかりの2ndアルバムの販売を中止した。
ファンたちはソーシャルメディア上で、失望と落胆と非難のコメントを書き込み、メディアはこの驚くべきドラマティックでスピーディーな凋落劇を記事にした。

そいで、SpotifyとかiTunesとかには、PWR BTTMのアルバムはいつのまにかなくなっていたわけだ。

発売日から半月くらいして、そういえばリリースされてたよな、と思って聴こうとした僕としては、まさかそんな短期間の間に、注目を浴びていた人気若手バンドが、跡形もなく崩壊している、とは思いもしなかったわけだ。

おかげで、この2ndアルバムを聴くために、デジタルではなくて、日本のAmazonからフィジカルのCDを注文しなければならなかった。奇しくも、この2ndアルバムに関しては日本盤も出ているようだ。これは、日本盤出したレーベルさんもびっくりだろうな。


俺は、彼らのことを人として知っているわけでないし、事件の真相も知らんから、なんとも言えん。
けれども、糾弾されたBen Hopkinsが、イノセント、つまり、白、だとも思っていない。
というのは、たぶん、きっと、普段から、行動に問題がある人だったのだろうから。もちろん、推測に過ぎないけれど。

演奏とか、ギタープレイの様子とか、見てればわかるじゃん、そういうの。

でね、人間なんだから、性的なあれこれとか、ましてや、ゲイだろうとクィアーだろうとロックンローラーとかミュージシャンなわけだから、性的なエナジーは激しい人であることも見てわかるじゃない。

これが、善くも悪くも、思うのは、これが、1970年代とか、1980年代とか、たとえばMotly Crueとかだったら、問題にならないじゃん。
いや、もちろん、問題なんだよ。
そして、本来、問題になるべきなんだけれど。

俺は、一応、クリスチャンメタルのバンドやってるから、そして、Stryperの例も、多少見聞きしているから、喩え話にするんだけど。

たとえば、Motley Crueのメンバーが、浮気とか不倫しました、と。ファンの女性と一夜を共にしました、と。これ、道義上はもちろん、問題になるけれど、ファン心理としては、問題にならないじゃん。つまり、社会的には、結果的に、問題にならない。
けれども、Stryperのメンバーが、同じことをして、浮気とか不倫をしました、となると、これは、バンドの存続に関わるような問題、バンドの人気を揺るがすようなゴシップになるわけだ。

これって、良し悪しとか善悪の基準は置いておいて、すごく興味深く、不思議なことだ。

だから、たとえばPWR BTTMのBenが、ツアー中に、性的にちょっと奔放だったとして、それは普通に考えれば、ミュージシャンがロックンロールなライフスタイルをやっている、という、それだけのことだと思う。

けれども、PWR BTTMの場合は、それが、バンドにとって命取りになるような事態になった。

これは、ひとつには、現代という時代性、つまり、もう1970年代とか、1980年代ではない、ということ。
もうひとつは、ゲイというのか、LGBTというのか、クィアーというのか、その世界というか、そのコミュニティの特殊性。
特殊性、って言ってしまうのも抵抗があるけれども。

つまり、LGBTとかクィアーのコミュニティにおいては、それは安全な場所、つまり、安心して自分の性的なアイデンティティを表現できる場所、でなければならない、ということ。そして、自分の意志に反して性的な行為をされることがあってはならない、ということ。

これは、こうやって文字にすると、別にLGBTではなくて、一般においても、当然のことなんだけれど、その基準が、このLGBTとかクィアーのコミュニティにおいては、より敏感であり、より厳しいものだ、ということ、なのだと思う。みたいなことが、いくつかの記事に書いてあった。

たとえば、これが、大学の法律学の授業だったとする。

そして、法律とか刑法を教えている教授がこう言ったとする。
「刑事の法律においては、疑わしきは罰せず。つまり、刑罰や制裁は、有罪であることが立証されて、初めて適用されます。」

けれども、その後に教授はこう付け足すわけだ。
「しかし、これは加害者および被害者がLGBTコミュニティのメンバーであった場合は別です。その場合は、疑いだけで、有罪と見なされ、確たる証拠がなくても、刑罰が課されます。」

と、もちろん、こんなことはあり得ない。
それは、法律というのは、万人に平等に適用されるべきものだからであって、そんなふうに言ったら、それはLGBTの人たちに対する逆差別だからだ。だから、法律は、常に、その人がストレートであろうと、ゲイであろうと、平等に適用されなければならない。けれども、逆に言えば、法律は、ストレートの人にも、ゲイの人にも、いろいろなケースに配慮して対応できるように、定められなければいけないのだし、もっと言えば、法律で救済できる範囲には、現実の社会とか人生の中には、限度もある。
法律の話はめんどうだからやめ。

だから、俺自身は、この「Facebook上で匿名の人物(女性らしい)から被害の訴えがあった」というだけで、Ben Hopkinsひどい、とか、許せない、とか、PWR BTTMの音楽をもう聴かない、とか、そういうふうには思わない。

けれども、LGBTコミュニティの人たちとか、クィアーとかドラッグクイーンと呼ばれる人たちが、「疑わしき」というだけで、Doing Justiceというのか、社会的に反応して、PWR BTTMを拒絶する、その気持ちも、理解できる気はする。

どちらにしても、今はもう1980年代ではない。
そして、インターネット社会の怖さを、あらためて思わされる。
ツアーに出たインディーバンドの人は、もう、ロックンロールだからといって、ファンの人と親密な(肉体)関係を結ばない方がいいかもしれない。
今はもう、きっと、そういう時代じゃない。
けれども、そしたら、素敵な音楽は、世の中から少なくなってしまうだろうか。
難しいところだ。
僕の本音を言えば、俺は必ずしも、そうは思わないのだけれど。


というわけで、昨年たまたま見つけて、お気に入りのバンドだったこのパンクデュオは、あっというまに、「幻のバンド」になってしまった。
成功を約束されながら、ブレイク寸前にして、一夜にしていなくなってしまった。
彼らはここから再起できるか。
きっと難しいだろうな。
もし再起したのだとしたら、それは。
色々考えることはもちろんあるけれども、省略。

本当に色々なことを考えたんだよ。
このPWR BTTMの事件に触れて。

もちろんショックだったし、すごく色んなことを考えた。

インターネット社会の怖さってことは既に書いた。
この匿名の訴えが、どこまで本当なのか。
それをさらに匿名で、どこかのブログメディアが掲載した、それだけで、果たしてその内容には信憑性があるのか。

LGBTとかそういうコミュニティの住人にしてみれば、警察とか司法とかそういったものに頼ることはあまり考えられない、それもわかる。
だとすれば、この「制裁」は、既存の司法とか法律の枠組みでなく、現代のインターネット社会の、良い言い方をすればLGBTコミュニティの「健全な自浄作用」とも取れる。そのことも、いくつかの記事に書いてあった。
そして同様に、一般の社会ではそういった自浄作用があまり行われず、性犯罪を犯した人間とか、アーティストとか、政治家が、堂々とその後も活動している、みたいな。人によっては大統領になったりとかもしているらしい。

PWR BTTMは、そういった非正義を糾弾するメッセージを持っていたアーティストだったから、自らがそういった行為を行っていた、と非難された時に、その訴えは、あまりにも早く致命的なダメージになって広がってしまった。

法律的に、たとえ有罪ではなかったとしても、彼らのファンの多数を占めているであろうLGBTコミュニティの人たちは、自発的に彼らに背を向けてしまったし、たとえ法律がどうあれ、事実がどうあれ、それらの人々の信頼や、気持ちを、再び引きつけるのは、簡単なことではないだろう。

しかしありえない。それくらいに、ひとつのバンドを、それも人気急上昇の飛ぶ鳥を落とす勢いだったバンドを、文字通り一夜にして、崩壊させるなんて、こんな見事なことがあっていいのか、って思う。本当にびっくりした。

多少、似たような例として、まぁ、もちろん日本でも「芸能界」にまつわる話として、昨今もいくつかの例があったけれど、
多少なりとも毛色の似たアーティストの例で言えば、パンクであること、性的な表現の方向性、インターネット上でのバズり方、そして同種のスキャンダルで問題になったこと、という点で、「神聖かまってちゃん」が、比較的似たような例になるかもしれない。


でも、音楽的に、常に「退屈」している僕にとって、PWR BTTMは、本当にひさしぶりに見つけた、面白いバンドだった、ということは、あらためて言っておきたい。

彼らの音楽は、シンプルで、たわいもないものかもしれないけれど、それでも、確かにメッセージがあった。

そして、sexual predatorとして糾弾されてしまったBen Hopkinsだけれど、ギターは本当に素晴らしかった。90年代っぽいギターの音色はもちろんのこと、パンク、インディーの文脈で、あれだけ効果的にタッピングをしまくって、ギターをぶちならす姿は本当に素晴らしかった。事件の真相や、人間性はともあれ、俺としては音楽を素直に受け取りたい。

けれども、90年代にSuedeのファンだった僕としては、もう一人のLivの方が、まるで当時のBrett Andersonのように美しかった、と書いておきたい(笑)

Suedeと絡めて書きたいこと、自分の来歴や、個人的な思いなども書きたいのだけれども、長くて疲れ果てた。また後で。

こちら

No(4904)


■…2017年 6月10日 (Sat).......言うまでもなく
もちろん、神はたとえ人間なんぞに理解されなくても、痛くも痒くもない。
神は偉大だし、不滅だから。

だが、そうであったとしても。

また、神は人間が滅びようと、栄えようと、また、救済されて天国へ行こうとも、そうでなくて地獄へ行こうとも、同様に痛くも痒くもない。
神は天にあって栄光なわけだから。

だが、たとえそうであったとしても。

その、そうであったとしても、の部分が、愛であり、キリストだと考えていいと思う。

No(4903)


■…2017年 6月10日 (Sat).......幼い神
神が人間なんてものを作った理由は、
まぁ別に明白だろうとは思うんだけれど。
理解してもらたかったからでしょ?

理解には愛が伴う。
というか、愛がなければ理解はできない。

とすれば、世界でいちばん孤独なのは、
誰でもない神自身じゃん。

神は人に理解してもらいたくて、
いろいろとヒントを投げる。
自作自演もする。

けれど、人は見事なまでにそれを勘違いして、
「宗教」とか「神学」とかを勝手に作り出す。
それは人のことであって、神のことではない。

キリスト教では、「父なる神」ってことになっていて、
新約聖書のイエスはともかくも、
旧約聖書には、厳格で、恐ろしいイメージの神が描かれている。

また、神なんてものをイメージするとき、
古今東西、だいたい、それはいかめしい顔をした白髪の老人、
みたいな姿で描かれる。

けれども、俺の中では今、神の本当のイメージは、
そうではなくて、まるで、幼い少年みたいに描かれている。
その少年が、宇宙のいちばん真ん中で、膝を抱えている。
誰も辿り着けない、宇宙のいちばん真ん中で。

俺は、その彼に会える日が来るだろうか。
面と向かって、その彼はどんな顔をしているだろうか。

まばゆい光とか、人智を越えたパワーとか、
そんなのは関係ない。
時間も空間も、奇跡も、生死も、ぜんぶまやかしだ。

厳格な恐ろしい父なる神のイメージ。
それも全部、逆説だってわかってる。

絶対、少年だよ。
寂しそうな目をした。

その彼が、どんな顔をして、
イエスに、地球へ行くことを命じたのか。
あるいは、どんな気持ちで、
イエスという人格(キャラクター)で、
地球に[プレイヤー]として降り立ったのか。

神の方だって、人間との接し方や、扱い方が、
わからなかったことが、あったのではないか。

神はこの宇宙に、知的生命体を作った。
知的、霊的、魂的な生命体を作った。
それらの生命体、人間と呼ばれるその種族は、
好き勝手にやってる。
殺し合ったり、愛し合ったり、
この地球で、文明文化を作り上げて、楽しくやっている。

それはそれでいい。
けれども、神が人なんてものを作った、
本来の、そして唯一の目的は、
理解してもらいたかったからだ。

そして、愛してほしかったからだ。

その愛と孤独の謎に、
俺は出来る限り迫ってみたい。

No(4902)


■…2017年 6月 7日 (Wed).......衝撃的な結末
楽しみにしていたレコードだったのに、残念でならない。あらゆる意味で。本当にあらゆる意味で。
Super sad and disappointed. I always love indie rock and punk. I didn't care how they looked and what they wore. They sounded good. Turned out to be, worst possible outcome.

"What We Can (and Can't) Learn from PWR BTTM's Downfall"
こちら

No(4901)


■…2017年 6月 5日 (Mon).......うちのユーチューブ
あんまし外向きの活動がやれてるとは言い難いうちのバンドにとって、唯一継続的にやれているのはたぶんYouTube。チャンネルビューはもう少しで20万。だけれども、それは全体として頑張っているからであって、ひとつひとつの動画はぜんぜん視聴数が伸びないのも多い。これだけ見てもらってることを喜ぶべきなのか、これだけしか見てもらってないことを嘆くべきなのか、限りなく微妙な線上にいる。
何が言いたいかというと、我がImari TonesのYouTubeチャンネルを、ぜひチェックしてやってください!
こちら

No(4900)


■…2017年 6月 4日 (Sun).......愛は無意識
手癖というのは、「身に付いているフレーズ」のことではないかとよく思う。

音楽そのものの捉え方、理解のされ方が間違っているのではないかと思うことがある。

僕が思うに「速弾き」とは、「手抜き」のことだ。効率化、と言ってもいいと思うが、要するに「速く弾く」のは、気合いとか根性とかそういうものではなく、「めんどくさいから」結果的に速くなってしまっている状態のことだと思う。

ちょっと前に日記に「速弾き」というのは、音符の多さのことではなくて、脳みその回転スピードのことだと書いた。

で、手癖というのは、何も考えずに無意識で弾いてしまっているフレーズのことを言う。

で、考えて弾いている時、つまり、意識的に何かをしている時のスピードと、何も考えずに、無意識で弾いている時のスピードというのは、それはもう、無意識の方が圧倒的に速いのだと思う。つまりそれは、音符の速さはいざ知らず、脳みその回転スピードについてであるが、意識的にやっていることというのは、意識のブレーキの範疇であるが、無意識の領域でやっていることというのは、そんなブレーキがかかっていないからである。

意識的になってがんばってやっていた作業が、何も考えずに無意識でやれるようになることを、つまりは練習とか修練と呼ぶのだと思っている。

これは馬鹿みたいな事だが、今となっては、僕も某ちょっとした食品工場で勤務した経験があるので、多少なりとも経験上の話として言えるのだけれど、そんな作業とか動作を、人から見たら、そんなに速くとても出来ない、と思うような作業が、それを一日に何千とか繰り返しているうちに、おおよそ誰でも、だいたい出来るようになるのである。工場のおばちゃんとか。人間ってそういうものだろう。だから、それは特段に、特別なことでもない。

面白いことだが、その工場の作業場のところに、ある日、張り紙が貼られていた。「無意識から意識へ」と書かれていた。それはつまり、何も考えずにぼーっとルーティンで作業しているところから、色々なことに気をつけてやろうね、という意味合いだとは思うが、こと、仕事ってことに関して言えばこれは真逆であって、大間違いの、とっても皮肉な標語である。

つまり人は、無意識よりも、意識的、の方が偉い、と思いがちなのであるが、実際には意識なんかよりも無意識でやっていることの方が、精度もスピードも、そしてそれ以上の意味合いにおいても、ずっと上なのである。訓練というのは、意識を無意識に落としこんでいく作業のことだ。

だから、練習とか、修練とか、修行っていうのは、どう無意識を構築していくか、という、そこにかかっているのだと思う。
それはもちろん、よく言われるように、日常の生活の中の習慣ってところにも関わってくるところだと思う。

人は、「無意識」の領域が、認識できないから、だからこそ、「意識」の領域で物事を理論だてて体系化し、そして、理解したつもりになる。
だが、それは、理解したつもり、であって、実際にはまったく1%も理解していない。

これはたぶん他の学問とか、たとえばクリスチャン的に「神学」でもきっと同じことだろう。
無意識の領域で本質を知る、「腑に落ちる」とか、は、きっとそういうことで、現実に何かをやろうとしたら、そっちの方がよっぽど重要だ。

だけれども、「無意識」を説明することなんて、誰にも出来ない。
それを都合の良いようにコントロールすることもあんまし出来ない。
出来ないからこそそれが肝心だ。(もちろん、わざと、肝心、という漢字をあててみた)


ちょっとうっかり、間違って、イングヴェイのレッスン動画みたいのを、YouTubeで出てきたから、見てしまったのだけれど、今、この歳になって彼の弾いている様子や、話していることを見ると、気付くことがある。

つまり、昔は僕はもっと色々なことがわからなかった。今、この歳になって、体の使い方、脳みその使い方、というものが、昔よりはちょっとだけわかるようになったので、気付くことがある。

イングヴェイは結構、理論的な人で、やはりそう思うと、明らかに根本のところがクラシック畑の人なのだろうという印象を受ける。
そして、これも当たり前のことであるが、傲慢な俺様キャラとして世間には認知されているけれども、こと、音楽とか、ギターとか、そういう「普通のこと」に対しては、非常に謙虚な人であると思う。そういう人に限って、何故だか世間に対しては「俺様キャラ」として受け入れられてしまう。おかしな話だけれど事実だろう。

イングヴェイは絶対音感を持っている人ではないかと思う。
というのは、インタビューでもそう言っていたし、そして彼の楽曲とかプレイとか、弾きっぷりを見ていると、絶対音感を持っている人の弾き方をしているように思うからだ。(あくまで僕がそう感じるだけだが)

たとえばエディ・ヴァン・ヘイレンに関して言えば、僕はあの人は、いわゆる音程とかを判別する意味での絶対音感はたぶん持っていない人だろうという印象を受ける。それは、プレイとかソングライティングの仕方から、そういう印象を覚えるのだ。だけれども、音質とか周波数とかサウンド全体に対しての耳は、恐ろしく鋭い人であるのは、当然のことだけれど、間違いない。

わかりやすいくらいに「絶対音感のある人」っぽいプレイとか作曲の典型的な例は、やっぱり非常にわかりやすいくらい、Steve Vaiだろう。理由は省くけど、なんとなくわかるでしょ? だが、俺はわりと、Steve Vaiは、もちろん好きだが、だけれども彼のプレイは、ちょっとつまらないな、と思う方なのだ。

僕はわりと、音楽的な環境に恵まれた家庭に育ったが、小学生の頃にすでにピアノとかのレッスンは放棄していた。そして、両親もそれでよいと思ったらしい。つまりそれは、男の子であるから、音楽とかやらずに、ちゃんと勉強して、仕事についた方がいいと判断されたのだと思う。そして、妹はその後もピアノを続けていたから、高校も音楽課程へ行ったし、ちゃんと音大にも行った。

うちの妹は絶対音感のある人である。
だから、これもよく僕はたびたび話していることなのだけれど、(鋭い、本当の意味での、ほとんど強迫的な)絶対音感を持っている人の苦労というものを、多少なりとも知っているし、だからこそ、僕は自分に絶対音感がなくてよかったと、本心からそう思っている。

音楽という、意味のわからん巨大な宇宙の中、そして、この世界の中にあっては、才能や能力というのは、力であると同時に弱みでもあり、何かを得ることは同時に何かを失うことでもある。知らない方が良いこと、あいまいな状態の方が良いこと、というのも、世の中にはある。

つまり、作曲する上で言えば、絶対音感のない人間は、最初から宇宙空間に居るのである。だからこそ、宇宙に飛び出すことに抵抗がない。だが、天も地もしっかり定まってしまっている人間は、そこから飛び出すことが、もうひとつ、やはり難しくなってしまうではないか。

絶対音感というのは音楽をやる上で、強みであり、武器になる特殊能力のひとつではあるが、その能力は時に、自らを制限する呪いにもなる。
逆の言い方をすれば、能力の無さ、弱さ、曖昧さ、それらのものは、転じて強みにもなり得る。当然のことだが、カート・コバーンがイングヴェイみたいにギターが上手かったら、グランジは生まれなかっただろうから。

適材適所の能力の話である。
クラシックの人、ジャズの人、パンクの人。それぞれに役割があって、誰も「音楽」なんてものを一人ですべて成し遂げることはできない。
みんながそれを鳴らして、それが全体で、音楽というでっかいものに向かっていっているだけである。

音楽理論を多少なりともかじってみると、わかることとして、
いわゆる楽典に書かれている理論というのは、たとえそれが網羅された理論であったとしても、それは「音楽」というものを実際に行う上では、ほんの1%以下の情報でしかない。

ミックスとか音作りをかじっていても思うけれども、つまりはこの「音」「音楽」という未知の巨大な宇宙、その物理と印象と形而上がせめぎあう創造と不条理の中で、今の世の中における「商業音楽」というものの枠組みは、これも音楽全体のうちの小数点以下なんパーセントかわからないくらいのものだろう。

僕が、自分の音を作る時に、必ずしも「メジャーっぽい音」「いわゆる商業音楽の標準的な音」を狙わないのは、そうした理由からであって(とても偉そうで、ほぼほぼ大言壮語の大ボラだとは、自分でも思うが)。

たとえばその「メジャーの標準の音」というのも、その時代ごとに基準が変わっていくからである、つまり、悪い言い方をすれば、その時の流行によって、ドラムの音やギターの音の作り方ひとつとっても、変わってくる。それにいちいち付き合ってらんない、みたいに思うのだ。

どちらにしても、イングヴェイ氏が、意外とそのパブリックイメージに反して、表面のところはもちろんロックンローラーかもしれないが、根本のところはやはり意外とクラシックであったり、理路整然としていたり、そして、その「完璧」な美意識の中で、そういった独自の「完璧」な美意識を持っていて、その完璧な美意識の世界こそが、彼の本質だということは、まぁ今更なにを言わなくても、ファンの人なら最初っからわかっていることだろう。

だが、今となっては、ギタープレイヤーとして、昔よりは多少は経験や見識が増えたぶん、イングヴェイが「ストラトキャスターは完璧な楽器だ。これ以上のものはない。」と言った時に、ああ、なるほど、確かにそうだな。と、その彼の美意識の中の感覚を、ちょっとだけ理解し、共感することが出来た。

確かに彼は、その自身の完璧な「美意識」の中に閉じこもり、その外には決して出て来ない人かもしれない。
けれども、その「無意識」の中で、自分に与えられた仕事をすることこそが、神に与えられた「本分」というものではないか。

話は変わるが、イングヴェイにせよ、Eddie Van Halenにせよ、そういった往年の巨匠たちの姿を見ていると、確かに思う。

今では世界はすっかりインターネット社会で、スピードということもそうだが、日々膨大な情報に触れ、その膨大な情報の中で、アクセス数を増やすこと、つまりは、Attention, Attention, more attention, even more attention みたいに、それがすべての世の中になってしまっている。

だけれども、イングヴェイ氏にせよ、決してその[Attention]が欲しくてロックミュージシャンになったわけではない。彼はただ、ものすごく、ものすごく、ギターを弾くことについて[無意識に]情熱があって、そして、ものすごくギターが好きだっただけなのである。

もちろん、そこへいくと、David Lee Rothとか、そういうフロントマン的なスター的なシンガーの人たちは、[Attention]が欲しかった人種なのかもしれないが。それは、大昔からきっとそうだろう。スターってやつは。

俺は、やっとこの歳になって、多少なりとも、ギターの弾き方とか、ギターを弾くことの意味が、ちょっとだけ前よりもわかってきて、やっと「自分はひょっとして、ギターが好きなのかも」と、なんとなく思えてきたところである。

イングヴェイ氏が、10代の頃に辿り着いていた領域に、その足下まで、「あと200km」の看板が見えたくらいだろうか。
文字通り、まだ足下までも達していない。

No(4899)


■…2017年 6月 2日 (Fri).......社会復帰はたぶん無理
ひさしぶりに昼の仕事なんてものをさせてもらっている。
昼の仕事なんていうと言葉があれだけれど、バンドマンとしてはday jobという言葉がそのままではあるが、それでもここ数年はどちらかというと夜とかに働いていた気がするから。

年齢的にも、普通に世間の状況としても、仕事を探すにしても簡単には雇ってもらえないのは当然のことだが、世間というか世界というか、社会そのものの地盤沈下と、流動化の中で、なんとかどこかにもぐりこんで行く道はやはりあるのかもしれない。世界そのものが音を立てて揺れ、崩れているのだから、隙間はあるはずなのだ。そして、社会の中で、バンドマンみたいな不安定なことやって生きているのに、これだけ年月がたっても、なかなか「若い人たちと」仕事させてもらえない。これが高齢化社会ということなのだろうか。自分もずいぶんと「いい歳」のはずなのだが。

オフィスワーク的なことをさせてもらうのはひさしぶりだ。
最後にオフィスワーク的なことをやったのは、記憶に間違いがなければ、2011年後半から2012年初頭にかけてのことだったと思う。あの時はあまり気分のよいものではなかった。事実上クビになった数少ない、とはいっても片手で数えるくらいはある、体験のひとつではあったが、辞めるにあたっての周囲の皆さんのわかりやすい誤解っぷりが、今思い返してもいたたまれない(笑) つまり、俺はなるべく、自分がクリスチャンであることはカミングアウトするようにしていたのだが。

2011年の震災からこっち、もちろん自分のやっていた音楽のいろいろもあり、今までどおりの社会というか、今までどおりの生き方というか、今までどおり何事もなかったように働くことに、違和感というよりは罪悪感を感じていた。
だから、どこか世間と距離を置くようにして、体を動かして働くことを選んでいた気がするが、
けれどもXTJやら音楽の創作や制作に没頭しつつやっていたここ数年、僕は必ずしも人並みに働いているとは言えない状態だった。その意味では世間に対して顔向けできる顔は持っていない。

だけれどもその数年間で得たもの、創作し得たもの、霊的に行くことのできた領域、自らに課した修行とか、それは大いにその価値はあったのも真実だ。

だけれども、色々なことに区切りがついて、次に進みたいので、もうそろそろ、人並みに働くことを考えようかと思った次第だ。

そうはいっても、自分に何ができるわけでもない。
というか、自分に何ができるのか、何をするべきなのか、いまさらにあらためて、今更のさらっさらで考えてみていた。

音楽を教えることも考えてみたり、
小説を書いてみたり(いや、ここ数年書いていたものをまとめただけだが・・・って、書いてたのかよ、笑)、
しかし本当に書かなくてはいけないものは、きっとこれからで、バカみたいに格好つけてキリスト教文学、みたいのを書くのはこれから先のことである。しかし今時のご時世、小説家になるにも、まずはお笑い芸人として成功しなければいけないくらいの状況だから、現代のネット社会において文学なんていう幻がそもそも意味あるのかということは承知している(笑)その話はまた別だ。ミュージシャン、小説家、料理人、どれも失われた時代の職業である。

ヨーロッパあたりの某国に出稼ぎに出ることも検討した。というのは内定をもらってしまったからだったが、仕事内容がちゃらいと思って断ってしまった。
考え方によっては、たとえちゃらかったとしても、それに食いついて乗っかっていく、という考え方もあるかもしれないが、僕はどうしてもそう考えることが出来なかった。どちらにせよ、たとえ数ヶ月とかであっても嫁さんと離れて生活するのは僕にとっては精神安定上のリスクが大きい。自分がまともだと思ったら大間違いだからだ。
だが、これがもし、仕事内容がもうちょっとまともだったとしたら、きっと僕はその話にのっかっていただろうから、まだここで戦えることがあるのだとしたらそれはそれで天の配剤だったかもしれない。

教える、ということについては、やれればそれは良いことなのだろうけれど、やはり余り稼げないのは事実なようで、なおかつ商売であれば、それはお客さんをヨイショして高い楽器を売っている楽器店の店員さん(ご苦労様です)とあまり変わらない。顧客の年齢層はそういう世界でも今時高い。典型的な理想と現実のギャップではあるが、そこのギャップに向き合うのも人生ではあるが、それは僕の仕事ではない可能性がやはり高い。

世間との距離というのか、自分がまともではない、ということについては、よくよく今更わかっていて、それは、何度も"Heavenly"な音楽体験とかツアー等の体験を繰り返すうちに、やはり自分は変わっていってしまったからである。

たとえば最後にオフィスワークをやった2011年後半の時から思い返してみても、その時から、今の僕は、大いに変わった、そして、自分が本当にダメ人間であるということもしっかりとわかっている。いや、まだ自覚が足りないくらいである。

逆に言えばダメ人間だということを自覚したからこそ、ここ数年の創作や、XTJや、肉体労働もやれていたのである。

だから、いつまでやれるかわからないが、無理はしないし、いくつか面接っぽいことをしたときであっても、自分のダメ人間具合は、今更隠す手だてもない。多少髪の毛も短くはしたが、僕はしょせん「多少長い」くらいがベストだし、それくらいであれば今時普通とも言えるので、やはり髪を切らないと働けないような場所は僕は働く必要はないのだろう。

無理はすまい。そして、もう今更、いろいろのことの答えは出ているのだから、いちいち動揺はすまい。
そして、別に積極的にカミングアウトしないまでも、クリスチャンであることと、ヘヴィメタルであることは、隠さないでいようとは、思っている。

No(4898)



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