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■…2017年 5月21日 (Sun).......Feed the machine
正直なところ、羨ましい、なんていうと嘘っぽいか。
しかし、単純に分野として研究やこうした発表の機会が無いだけかもしれないが、作曲の分野で。
コンピュータや人工知能が作り出す楽曲(あるいは演奏)に感動し、人間には敵わない、なんて思える日が来るのだろうか。
すでにそういう技術はあるのかもしれない。でもたぶん権利の関係とか、実用には至らないのか。
作曲ソフトとか、そういうの使っている人はたくさんいるのだろうけれど。
すげえ感動できる、ぶっとばされるような音楽を聞けるのであれば、それが人工知能が作り出したものでも構わない。
人工知能が作り出すシンフォニーが、ベートーベンとかモーツァルトを越える日を、見てみたいし、その音をぜひ、聴いてみたい。
逆説的だが、結構本気でそう思っている。


こちら
佐藤名人がソフトに連敗「私にない将棋観や構想」

No(4889)


■…2017年 5月21日 (Sun).......Getting Ready for an New Adventure
-Getting ready for a new adventure-
[一種の近況報告]

先日の「切り売りデモ」の添付文書を、あんまり人目につかないように、わざわざこっそり、深夜の時間帯にアップしたのだけれど(笑)
その中に、ぱっと見てネガティヴに聞こえる言葉とか、あるいは、「これをImari Tonesのひとまず最後の作品にする」みたいな言葉も書いてあるので、さっくり見ただけだと、ああこれでTone君は音楽やめるのかー、とか思った人もいるかもしれません(苦笑)

まぁ、いつも、はやく音楽やめたい、って言ってる人だけれど、僕は。

なので一応。
よく読めば、内容はその真逆だということがわかると思います。

そもそも、「現体制のImari Tonesとしてひとまず最後にする」と書いた作品が、まず、3つ先のアルバム。つまり、今年、歴史ものコンセプトアルバム"Jesus Wind"を、早ければ夏の終わり、遅くても年内、にはリリースして。その次に、ひさしぶりの全部日本語アルバム"Overture"を作って(現在絶賛リハーサル中)。その次にやろうと思ってるのが、その「ひとまず最後」と書いた「切り売りプロジェクト」。そこまでやるのに、まず何年かかると思ってる(笑)

その「切り売りプロジェクト」も、「今の形のImari Tonesとして最後」というだけで、「バンドとして最後」というわけではない。
最後に控える、究極の到達地点、大ボスである「鍋島」。
その「鍋島」を作り上げ、鳴らし終えるまでは、俺は音楽をやめないでしょう。
そして、その大ボス「鍋島」が、あまりにも巨大で、遠いので、「今のままではたぶん無理」と判断して、「環境を変えなければならない」と感じているのです。

実際のところ、昨年、"Jesus Wind"を完成させて、その後、「鍋島デモ」を作り上げた後、「さあ、ゴールが見えた。年齢も年齢だし、やっとこれで俺も音楽をやめることが出来るかな。」と思っていたところ。そして、好きなバンドとか、世界の音楽状況のあれこれを見て、たそがれていたところ。

その時に俺が神さんに言われたのは、「お前はこれまで音楽をやってきたと思っているのか。それは違う。お前はこれからやっと、本格的に音楽に向き合うのだ。」と言われて、もちろんその時は、「うそやん」と思ったが、その後色々考えて、感じて、そして「切り売りプロジェクト」などの曲も作り、今はそのことに確かに納得している。

そして、もちろん俺もいい歳であることに変わりはないのだけれど、どういうわけか、体の中に、自分の中に、次々にエナジーが湧き上がってくるではないか。そして、まるで日々、若返っていくように、(途方に暮れているのと同じくらいに)、新鮮な気持ちが湧き上がってくるではないか。

音楽的な面を含めて、そして音楽的なものとか、目に見えないことが実際は多いけれど、俺はこれまで、神さんからいっぱい祝福をもらってきた。だけれども、音楽とか、目に見えないことというのは、あんまり人には理解されない、というよりは、そもそも認識されないらしい。
これは、つまり、俺が若い頃にうちの嫁さんに出会った時に、その嫁さんとの関係が、いかに大きな「祝福」で、自分にとって言葉にできないほどの意味を持つものなのか、当時、周囲の人たちには、まったくわかってもらえなかったのと、同様のことだ。

たとえば、例にたとえれば、ある男女(男女、とすら限らないかもしれないが)が、深く愛し合って、人生のパートナーとして年月を生きてきたとして、けれども戸籍にそれが登録されていなければ、世間はそれを「無関係の他人」と看做す、それとおんなじようなものか。(もちろん、現実には内縁の夫婦とか、いろいろの法制度がある。)

同様に、神さんと俺の間にある関係、約束、祝福、そういったものが、どれほど大事なもので、それが今まで、どれほどに俺を助けてくれて、どれほどに祝福してくれたのか、周囲の人にとっては、それはあんまり問題ではないみたいなのである。

それはたとえば、キリストさんがこの地上に居た時に、人々はイエスさんが起こす、奇跡とかしるし、水をワインに変えるとか、死人をよみがえらせるとか、そういう奇跡は理解もしたし、認識もしたけれど、イエスの起こした本当の奇跡、すなわち愛の奇跡ってやつは、理解もしなければ、そもそも認識もできなかったのと、きっと同じことだ。

人々はわかりやすいしるしってやつを求める。2000年前も、現代も。
だからわかりやすいしるしとか奇跡ってやつを見せるのは、たやすいことだ。
けれど、愛ってものに忠実でいることは、簡単に見えて、どうやら、きっと、そんなに簡単なことではないらしい。

それはすなわち、この世界にたくさんのバンドとか、音楽グループが居て、いろいろライヴを見てみたり、レコードを聞いてみても、本当に良いと思えるものは、悲しいほどに少ないのと、同じことだろうと思う。(悪くないね、っていうのは、もちろんいっぱいあるけれど。)


バンドが音を鳴らす時に、そして、日本のロックバンドが音を鳴らす時に、そしてもっと言えば、特に日本のメタルバンドが音を鳴らす時とか。
そこに、Glass Ceiling、ガラスの天井、みたいなものがあることに、気付いている人も、きっとたくさんいると思います。というよりは、みんな、無意識にそう考えているからこそ、そこに天井があるのだけれど。

そして、大抵は、その天井のガラスの中でしか、皆、音を鳴らそうとしない。
よくて、その天井の下にある、どこかの棚の上に、収まろうとするのが精一杯。

バンドが、音楽家が、音を鳴らすとき、そこに、音楽的な要素も大切ですが、それ以上に、社会的な要素も大事になってくる。
それはロックミュージック、ポップミュージックとしては当然のことであり、また、そのような状況や制約の中で、どのように音を鳴らし、そのようにその音を使って、どのような意味をその音に持たせるのか。それも音楽家の生き方であり、また腕の見せ所でもあります。

そして、その音楽的な要素(教義)と、社会的な要素(教え広めること)の葛藤は、古今東西の音楽家、芸術家のみならず、大衆の救済を目指す宗教家にも共通した要素であったと思います。古今東西、魂の救済というものに向き合った宗教家は、皆そのことに苦悩したはずです。

戸棚の中に収まろうとするのも、それが、その音楽家の生き方であるのならば、それは決して悪いことではない。

けれども、日本のバンドが音を鳴らす時に、無意識に、そして現実にやはりそこにあるそのGlass Ceilingのことを思うとき、どのようにしてその天井を打ち破っていくか。あるいは、打ち破らないとしても、どうそこを迂回し、その先へ向かうのか。
そのことは、やはり僕の音楽人生にとっても、ひとつのテーマであったと思います。

キリスト教というテーマ、クリスチャンロックというものに向き合ったのも、西洋と東洋のさらなる融和を目指す、そのテーマの一環であったかもしれませんが。あるいは、神に出会いたいというその一心だったのか。

その、自分にとってのひとつの到達地点としての「鍋島」を、私は今、射程距離にとらえています。
そして、「鍋島」を作り上げ、鳴らし切ったら、その時こそ僕はやっと、音楽をやめることが出来るでしょう。
けれども、それがあまりにも遠く、巨大なものであるために、僕は途方に暮れているのです。

なんか、自分の身辺をめぐる状況は、めまぐるしく進んでいっています。
あるいは進んでないかもしれないけれど、でもきっと、自分で思う以上に早く進んでいる。
やっぱりこれは、神さんなり、誰かが、背中を押してくれているのだろうか。

今の3人で作り上げる最後にしよう、と考えた「切り売りプロジェクト」さえも、ひょっとすると、今の3人では間に合わないかもしれない。でも、それならそれで、かまわない。どのような形で、どのような音を鳴らすべきか、それは、すべて神が決めることだ。

どこへ向かうのか、わからないけれども、それが「約束の地」であり、その「しかるべき場所、しかるべき時」において、その「鍋島」をきっと鳴らしたい。

そこまで、実際に生きて辿り着けるかどうか、それはもちろん、わからない。

展開の早さ、および遅さ、には、ばっちり痺れているが、自分の心は、とてもわくわくと期待を感じている。

No(4888)



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