[BACK]
最新レス 2件表示しています


■…2017年10月15日 (Sun).......ブックレット重労働
おもいっきり愚痴なんでスルーしていただきたいんですが(そんなもん書くなよと言われればそれまでです)、
アートワークを作ってる作業についてほんとグチりたく(笑)

そもそもが今回のコンセプトアルバムJesus Wind、歴史をテーマにしたストーリーのあるアルバムだから、
どういう形でリリースするか、音を作った時点でまったくどうしていいかわからず。

おいおい、まさか昔のメジャーみたいな12ページとか16ページとかあるようなブックレットでも作れというのか、とか思って。
そんなの無理に決まってんじゃん、デザイン的にも予算的にも、みたいな。

そんで、とりあえずCDの形にするだけでも、
そんで、今回は節目だから皆さんへのご挨拶や、けじめの意味でもクラウドファンディングに挑戦しよう、となって。

そしたら、ありがたいことに全額集まってしまい、本当にそれはもう素晴らしく感謝で、こちらももちろん本気でやっているんですが。
うわ、これ、ちゃんとしたブックレット作れってことだよな、ってことで、気が付けば12ページのブックレットを作ることになってしまい。

そのデザインとか、誰がやるかって言ったら、俺なんですよね。

うちのバンドの問題っていうのは、ずっと昔からこの一点にほぼ集約されてて、つまりはすべて俺がやってる、ほとんど俺が一人でやんなきゃいけない、という点。わかってるんですけどね。もちろん、その状況も改善していきたいんですが。

なにから何まで。特に、うちのメンバーにも嫁さんにも、英語出来る人いないから。しかも、みんな厭世的な、ネット上ですら社交的になれない人たちだし。クラウドファンディングでファンドしてくれた人とメールのやりとりとかしてても、「メンバーとハードワーキングなスタッフの皆さんによろしく」みたいなこと書かれるんだけれど、スタッフなんて居ないから。全部俺なんだよ。そのハードワーキングってのをやっているのは。

で、12ページのデザインで死んでる話。
今までジャケットを作った時も、全部4pの表と裏だけしかやったことないし。
そんなブックレットのデザインとか、歌詞ものっけるんだけれど、あとはストーリーがあるから、曲とかストーリーの解説を書かなきゃいけないじゃない。英語で(笑)。

で、9月中にやれたらよかったんだけれど、現実には慣れないおちごと(デイジョブオフィスワーク)の関係で、やっぱり全然そんなの手をつけられず。

で、おちごとの期間が終わったと思ったら、嫁さんのお母様の入院、Calling Recordsのライヴ(準備全然出来てなかったし)、嫁サービスの箱根出張、その後も嫁さんずっと体調崩してる、とか。全然時間取れず。

自分の中では、早く出荷して届けたいし、10月の5日とか6日には、もうCDの発注をするつもりでいたんですが。

実際には、全然そんな暇はなく。
時間を見つけて慣れないデザインに取り組んでみて。
曲の解説もがんばって英語で書いて。(添削もしていただきました。ありがとうございます。)

で、気が付いたらもう10月も半分過ぎた、という。

12ページのブックレットのデザイン、やっぱ俺としてはもちろん素人だし、やってみたら、やっぱ全然、重労働というか、すぐに出来る、なんてものではなかった、と。

そのCDの発注とリリースの作業の他にも、
次の「出稼ぎ」を始める前に、最低限やらなきゃいけないことが、まだまだあるわけですよ。山のように。

そんで、「次」への色々な準備も、動き出さなくてはいけない。

次のフェイズ。
次のステージ、への。

もう正直に言えば、関係者の皆さんには重々わかっていらっしゃると思うんですけど、うちのバンドの現在の状況は、もうライヴとかやれる状態じゃないんですよね。
何が、とか、何がどう、とか、うまく言えないけれど、それは側で見ていればわかるはず。

つまり、半年振りにやっと一本ライヴをやったと思ったら、ドラマーが酔っぱらって曲構成を間違えまくる、とか。いったい何のための練習だったのか。
そしてベース君は、もう極力ライヴはやりたくない、と言っている。
ここ2年くらい、もうずっとそういう状態でやってきた。

ライヴの一本もまともに出来ない状態ということ。
いや、本当を言えば、なんとか形にして演奏できただけでも、感謝しなきゃいけないのだけれど。

周囲には、「ベーシスト替えればいいじゃん」みたいによく言われますが、むしろ実際はいつでも、ベーシストよりもドラマーの方がずっと問題だったわけで。彼は調子というか愛想がいいから、外から見てそう思われないだけで。

どちらにしても、なんでそういうふうになってるのか、それは他人にはわからないと思う。
俺たち3人にしかわからないことだから。

別に仲が悪いわけでも、バンド内に不和みたいのがあるわけでも、全然ない。
そうじゃなくて、皆が真剣に、まっすぐに、音を鳴らすことに向き合っているから、それぞれの答えをそこに出しているだけ。
それについて、俺は彼らのことを何も否定できない。

だから、今のジェイクがあんな演奏しか出来ないこと、とか、この前でもライヴの日に酔いつぶれてしまうこと、とか。

はっしーがもう極力ライヴはやりたくない、って言ってることとか。

どちらも、俺にとっては、よくわかることなんだ。
そうだよね、って。
仕方ないよね、そのとおりだよね、って。
そんなふうに、理解できることなんだよ。

そのことについては、日本人、外国人を問わず、クリスチャンの人たちには、とやかく言われたくない。
俺たちは、10年間、こうして一緒に、やってきたんだから。

だから、一年前に、Overtureを作ろう、って決めたんだぜ。
最後に、皆で、日本語のアルバムを作ろう、って。

2月に節目のライヴとなる予定ですが、その際は、きちんと悔いの無い、ベストな演奏をさせたいと思っています。

その前に"Overture"のれこーでぃんぐをしなきゃね。。。。。

リリースまでの一人孤独な重労働(当社比にて、すんません。でも、やれるやつが他にいるのか)が続くんですが、この部分さえ乗り越えてしまえば、どんどん、次に向かって動き出していけるから、次第に楽になるんじゃないかと。。。。

やるべきことをやろう、みんなで。
俺とジェイクとはっしーで、愛を込めて"Overture"を作るんだ。
全部日本語のやつを、この3人で、作っておくんだよ。
だから間に合ってくれ、CD制作も、れこーでぃんぐも。

No(4950)


■…2017年10月11日 (Wed).......オジー・オズボーン・ダブルトラック・ライブ
もうひとつ、音に関するあれこれ。

先日、すごいひさしぶりに、クラシックなんだけれど、Ozzy Osbourneの有名なライヴアルバムであるところのTributeを聴いていたんだけれど。

これはつまり、ガキの頃というか10代の頃に嫌というほど聴いてるんだけれど、そういうものほど、大人になってからは全然聞いてなかったりするので、ふとしたきっかけで聴いてみたんだけれど。

そしたら、びっくりした。
いや、これ、以前聴いていたときに気付かなかったのが不思議なくらいなんだけれど、ヴォーカルがダブルトラックになってる。

もちろん、ライヴアルバムだから、ヴォーカルがダブルになってること自体、普通に考えたらあり得ない。

バックにテープとか流してて、オケというかバックトラックにもう一本ダブルのヴォーカルトラックが入ってる、なんてことも考えづらい。当時のライヴ演奏で、しかもこの当時のオジーのバンドで、オケと同期ってことはほぼあり得ないだろうから。

一瞬、ディレイとかハーモナイザーでダブルっぽくなってるのかとも思ったんだけれど、聴いてみると、明らかにエフェクトで広げたんじゃなくて、まったく別のテイクが2本ある、という感じ。もちろん、限りなく違和感のないように重ねてあるけれど。

さらには歌唱の部分のオジーの声と、曲の間のMCとかかけ声の部分との録音の状態というか音質が明らかに違う。そう思って聴くと、オジーの歌声だけ、ランディのギターとかバックトラックからちょっと浮いている。

有名な話だとは思うんだけれど、Ozzyのアルバムでのヴォーカルは、基本的にいつもダブルトラックになっている。
ダブルトラックでなくて一本で歌ってたのは、1986年のThe Ultimate Sinだけだったと思う。だからあのアルバムは他のアルバムとちょっと雰囲気が違う。

オジーのヴォーカルが常にダブルトラックなのには、もちろん色々な理由がある。テクニック的なこととか、声質、キャラクターとか。

で、ライヴアルバム。
これって、明らかに、スタジオで歌い直して、もう一本重ねたんだよね。
あるいは、場合によっては二本とも歌い直しているかもしれない。
違和感のないように歌い直した労力も、きっと相当のものだったと思うけれど。

つまり、1981年に行われたライヴの録音なのに、それが1987年になってリリースされたことには、このヴォーカルの処理とかの経緯もあるわけね。

と、思って今、Wikipediaを見たら、アルバムのページのすみっこにちゃんと書いてあった。一行だけ、さりげなく。
Ozzy's voice in this album is doubled tracked.
って。

ライヴアルバムなのに、ダブルトラックにしちゃうっていうこのプロダクションに、びっくり。
しかも、ちょっと注意して聴けば、わかるくらいの処理なのに。

そして、何も気にせず聴いていた10代の頃、そのことにまったく気が付かなかったことに、自分でびっくり。


もちろん、このアルバムにおけるランディ・ローズのギターは、スタジオでの修正なんてもちろんあり得ないわけだけれど、
昔も、当時も、そんでたぶん今も、ライヴアルバムなんてものは、実際にはかなりの部分が、スタジオで作られたもの、っていうのは、やっぱり真実なんだろう。

つまり、ライヴアルバムの音は、スタジオで作れる。

そう思って、いろんなアルバムを聴いてみると、きっと発見があるに違いない。

そんで、自分のバンドの作品で恐縮だけれど、
うちのバンドの、2014の11月に諸事情で成り行きで録音して2015年の3月に発表した、"Atomic Live"っていうライヴ作品。

あれは、福島いわきでのライヴが急にキャンセルになったから、アメリカから来ていたAngelo Gonzales (Gallery Cat)と一緒に、南相馬のスタジオで、関係者数人だけを観客に、急遽「スタジオライヴやって録音しちゃえ」ってノリで、作ってしまった作品。

小さなスタジオで、ほんの3、4人の観客の前で演奏してるにもかかわらず、出来上がった音は、まるで巨大なアリーナで演奏してるみたいな音になってる(笑)

それは、つまり僕たちが昔から聴いてきたビッグなメジャーバンドのライヴ盤に対するパロディみたいなもんで。

すげえビッグなサウンドだけれど、実際には3、4人の前で演奏してるだけですよ、っていう。

逆に言えば、弱小インディーバンドでも、純粋に音に関しては、大きなアリーナで演奏しているようなビッグサウンドのライヴ盤が作れるんだぞ、っていう。

そんでもって、最後の2曲では、現場で声がへたってしまったので、後からヴォーカルを録りなおして重ねるっていうことをやっている。
それも、他の楽器のマイクへのかぶりがあったから、元のテイクも完全に消えてなくて、ヴォーカルトラックが2本重なってることが、明らかにわかる、っていうレベルになっている。

それも自分たちなりの、「作られたライヴ盤」ってことへのパロディなんだけれど。

でも、それとおんなじような「ライヴ盤なのにヴォーカル2本重なってるじゃん」っていうのが、まさかオジーのライヴ盤でもおんなじことが起きているとは思わなかった(笑)

一応、その"Atomic Live!"は、BandCampでのみ公開しているけれど、こちらで聴けます。
こちら

笑っちゃうくらいにわざとらしいビッグサウンドです。

No(4949)



tackynote Ver0.996 Created by Tacky