|
ここしばらく、短期のおしごとにかまけていまして、 なんだかネット活動があまり出来ずでした。
しかしこの失業中の身としては、 日銭稼ぎにありがたい短期のお仕事でもありました。
ええとまず先週の、日記、記録、
日数がたっているため支離滅裂になりますが。
日曜日は、なにがあったかな、 ちゃーちでわーしっぷ、
Y牧師不在の折、 この日は、ミュージックプレイヤーが参加できないという話だったため、 僕もアコギを持ってはいったけれど、 Aさんがなれないギターを弾いてワーシップをリード、 それは、お世辞にも上手という感じではなかったけれど、 そのワーシップする気持ちがすごく表れていて、 ひさしぶりになんかこう、技術とは関係なしにすごく感銘を受けてしまったり。
聞いておくれでないよ、僕が高校生のとき。 あるとき、ある場所で、偶然に、 聞いたんだよ、おそらくは、知的しょうがい者というのか、 なんとか学校とか、そういう人達と思われる、パンクバンドの演奏を、たまたま。 ハンデなのか、逆にアドバンテージなのか、わからんけれど、 どうしてもやはりその熱さに、感銘を受けたんだよ。 いまだに忘れないんだ。 そういう意味では、僕は決して、上手くならずに、よかったといえる。
土曜日、 横浜は、伊勢崎町Cross Streetに、 萩原ゆたかさん&ユミコベックさんの演奏を見にいった。
このCross Street、今年オープンして、 初めて実際に見に行ったけれど、 なかなか面白い会場だ。
木というか木材を感じられる作りだし、 自然な感じだし、 音も良い。アコースティック的な音響には。 どちらかというとアコースティックな会場にはなってしまうのだろうけれど。
こういう会場は、 なんというか、90年代以降というか、 良い意味での90年代の価値観の印象を受けるし、 こういう建造物や施設というのは、 僕の印象では首都圏よりもおそらく地方に多いんじゃないかという気がする。 地方の価値観、地方の未来。
たとえば90年代も半ばにさしかかる頃、 バブル崩壊の中から生まれた、 新しい価値観、 日本の未来はもう少し明るいものだと僕は思っていたのだが、 どうだったかなあ。
今見ているものを見て、いつでも僕は複雑な気持ちになっている。 焼け野原の中から、それらの価値観と精神が立ち上がるときが来るだろうか。
なんて、まったく話がそれているけれど。
そうした良い音響、環境としても合っている中で聞く、 萩原ゆたかさんと、ユミコベックさんの演奏は、 とても印象的で、 僕としては、なんだかあらためて、とても感銘を受け、 とても感動をしてしまった。
もとはといえば、僕はそもそも、この方たちの演奏を見て、 あーなんかクリスチャンになってみっかなーと思ったわけなので、
さもありなんという感じなのですが。
その感動を文字にすることはできないので、 こうして機械的に記録するしかないのですが。
でも、この人達は、やっぱり、今このときに、 すごい人達なんじゃないかと、僕は思った。
このCross Street、例の「ゆず」さんが名付けたということですが、 Crossという言葉もクリスチャン的だし(たぶんそういう意図じゃないけど)、 ゆずといえば、三面記事的な話題でいえば、メンバーのお母様が宗教関係の方という話があったと思うのだけれど、 それがなんだかこんな、ゴスペル音楽を演奏するのにちょうどよいような会場、そして環境になっているというのは、なんだか面白いものです。
というわけで、この会場で、あのイベント、できないかな、と思っているところです。
今回のtemporaryのお仕事をしていても思った。
政権与党が変わったときとか、今も、 移民とか外国人とかそういう論点もあるわけだけれど、
そんな法律とか待たなくても、大騒ぎするまでもなく、イエスとかノーとか言うまでもなく、普通に、日本はもうかなり占領されちゃってるんじゃないかという気がしないでもない。
どの職場に行っても、特にIT関係はそうなんだろうけれど、 外国の方、ヨーロッパ、インド、アメリカ、中国、東南アジア、 いっぱいいるし。
外資系の会社、いっぱいあるし。
良い給料をもらっているのは、彼らで、 いちばん儲けているのは、それらの組織の上にいる欧米の人達みたいな気がするし、
都内の飲食店の店員さんが、ほぼかなり高い確率で中国系の方になってから、もうかなり久しいし。
六本木とか行くまでもなく、どこにでも外国の人があふれているし。 喫茶店でも電車の中でも、日本語以外の言葉を聞くのは、毎日のことになっているし。
もちろん全然オーケーだけれど、全然良いことだと思うけど、外国人の男性と結婚している日本人の女性も、辺りを見回すまでもなくたーくさん居る。
(これは男女間の競争原理というよりは、純粋にアウトソーシングな気がする。押し付け、もしくは放棄。現代の日本人の男性は、人とコミュニケーションを取るところまでに達していない人があまりに多いのだから。そして今や、より多くの男性たちが、現実の女性を恋愛対象としなくなっていたり、するみたいだし。とすれば、結婚すべき男性が不在になった日本人の女性としては、実に現実的に当然な対応だ。日本はもはや「夫」という役割すらアウトソーシングしているのではないか。どどど、どんだけ。)
むしろそれでいいのかも、しれないけど、 自分たちで何も決められない、何も変えられない、誰も責任を取らない、 リーダー不在の国民としては、 トップは、優秀なリーダーや経営者の多い外国人にやってもらって、 日本人はその下で働くほうが、むしろ、そのほうが幸せなのかも、しれないし、 あるいはもう、そんな国に、なっているのか。
まあ芸術家気取りのダメ人間の見本である僕が言える立場ではないが、 そんで、欧米で普及しているキリスト教の信者やってる僕がいえる立場でもないが、
たとえばクリスチャンにしたって、 日本の人口の約1%と言われているが、 実際、これだけ外国人が多いと、 日本にあって、外国人による外国人のための教会が、かなり多いんじゃないかという気がしてくる。 うちのVICもだいぶそんな感じだけどね。
つまりは、なんだかんだ、法律する前に、戦争する前に、 経済的、文化的、社会的に、なんだかいつのまにか、とっくに確実に、 この国は負けちゃっているんではないかと、加速度的現在進行形で。 そう言いたかっただけ。
この前、終戦記念日あたりに偶然見た夢は、そういうことだったのかも。
でも、負けたところから次の本物のニホンが始まるのであれば、 どんどん徹底的に負けちゃえばいいと思う。
木っ端微塵に社会の仕組みから文化から、負けちゃえばいいと思う。
いつも外国に移住したいと言っているけれど、 なんのことはない、 あと10年もすれば、日本も外国になっているかもしれないと思う。
僕としちゃあわりと歓迎だ。
あとは、所蔵している漫画を読み返したりしてました。 少年時代からの、自分の漫画のチョイスだけれど、 そりゃ、あまりいろいろ読む方ではないけれど、
ちゃんと必然性があるんだな、と、不思議に思って読み返してました。 ちゃんと、すべて自分の人生のストーリーに関連するものを読んでいたんだなと。
自分のやってること、やってきたこと、そのままだもん。
もひとつ、思考の記録まで。
いろんな教会さんを訪れたときに、 言語の問題だとは思うんだけれど、
たとえばHillsongにしろVineyardにしろ、 ワーシップソングを、 英語で歌ってるぶんには、 そんなに違和感を感じないんだけれど、
日本語訳の歌詞になったとたんに、 とたんに違和感を覚えるのは、なんなんだろう。
「日本語とロックの相性」なんて旧いissueではなく、
つまりそれは、敬語という言葉のニュアンス、 上とか下とかメタ情報を含みすぎる日本語の副作用、
Jesus resurrected っていうと、別に、へえー、そうなの、って感じだけれど、
イエス様がよみがえられた、 っていうと、なんか、その。
敬語にして、へんなメタ情報が付加されたとたんに、 とたんに意味が違ってしまう。
イエス様が、よみがえられた
と敬語にした瞬間に、なんか、いきなり嘘っぽい他人事になってしまう。
自分とは関係ないことになってしまう。
いきなり思考停止して信仰がなくなって宗教になってしまう。
日本語の持つ複雑なメタ情報伝達機能により、勝手に、
(イエス様というものすごく偉い方が偉大なことをしたけれど、あなたには関係ないのよ、だからあなたはおとなしく言うこと聞いてなさい)
という翻訳に、脳内で変換されてしまう。
日本語が高機能すぎるからいけないと思うんだけれど、 対策として、ジーザスのこと聖書のことを語るときに、 敬語とか動詞でも尊敬語の形でしゃべるの、やめたほうがいいと思うなあ。
イエスというおっさんが、 いい人だったのに、 わざわざ十字架で死んだ。 なんでやねん。
と、 これくらいシンプルにしたいと、
といっても、 おっさん、 なんでやねん、 このへんがすでに、メタ情報含んでるね。
自爆でした。
つまり、日本語は、高機能すぎて、 「本当に親しい人に、本当に心をこめて、機会をとらえて、素直に話すのでなければ、ちゃんと伝わらない」
高機能すぎて、マスに伝えるには、制約が多すぎる言語かも。
だから政治も機能しないのか。
No(687)
|
|