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2017年 8月の日記です


■…2017年 8月18日 (Fri).......Overtureにまつわるラブソング
しゃしん、適当に選び出したら、たくさんww
こちら
あれです、アレであれば、男どうしの、アレと思っていただいて問題ないです(笑)
友情、ではない、いわんや愛情、であるはずもない、これを表す言葉は現在使われておりません・・・(日本語では)。あえて言えばそれは「戦友」、なのか。

皆の「期待」や「妄想」に応えることが、「成功」ということなのだとわかってはいても。

皆さんの期待に応える音なんて鳴らせない、皆さんの「期待」に応えるステージなんてやれない。なぜなら僕たちの求める音は、皆さんの「期待」の向こう側にあるから。
なんていう僕たちでも、女性ファンの「妄想」にお応えできる数少ない機会。

照れ屋で気難しくて世間なんかに絶対に尻尾を振らない三匹の男たちの、気恥ずかしい「ラブソング」(笑)

--
クラウドファンディングやって"Jesus Wind"をリリースに向けて、走ってる手前、釈明しておきたいことが。

でも日本語でしか書かないぜ。
海外の「ファン」の人たちには黙っておいてくれよ(笑)
これでも、長年、結構、いるんだから、世界のいろんなところで、熱心にエールを送ってくれる、信じてくれる子たちが。
今日も、明日も、そんな子たちが、世界のどっかから、CDの注文をくれる。
意味のわからん海外発送に慣れっこになってしまう。
それが現代のインディーバンドの生活ってものだ。

そう、僕たちImari Tones (伊万里音色)のinternal issue、current内部事情。

僕はちょっと前から、こういうネット上の書き込みとかで、平気で「現メンバーでの活動は今年いっぱいです」とか「これから制作する作品"Overture"が現在のImari Tonesのメンバーで作る最後の作品になります」とかあっさり公言しているから。。。

だから説明しておきたい。釈明しておきたい。
俺たちは、今でもとても仲がいい。

たとえば、これは、一緒に運営しているCalling Recordsの他のバンドの仲間たちにも、おそらくきっとわからないことだろうと思う。

俺たち、Imari Tonesの現メンバーの3人が、明らかに運営上は機能停止状態にあるのに、それでも3人集まれば、一緒に音を鳴らせば、思いっきり「仲が良い」ということに。

世間で言うところのキリスト教がどうたら、バンドの成功に向けての意識やら努力やら、つまりは世の中から見た時の俺たちのパブリックイメージがどうたら。

そんなことは、俺たち3人にとっては、「どうでもいい」ってことに。
俺たち3人が集まれば、そんなことは、すべて、「どうでもいいこと」。
ただ3人がそこに居て、そんな世間一般の「価値基準」から離れた世界で、自分たちだけの音を鳴らすこと。
それだけが、俺たちのすべてだということに。

そこに神はいるのか。
なぜなら俺たちは少なくともクリスチャンロックバンドだから。
「ジーザスはここにいます!サンキュージーザス!さあみんなで賛美していきましょー!」
そんなふうにわざとらしく叫んだら、そこにいるのはもう神ではなく、偶像になってしまう。
それはロックではなく、商売になってしまう。
宗教になってしまう。建前になってしまう。
そして嘘になってしまう。
そんなことを、誰に言われずとも理解しているこの3人。

俺にとっては、こっちの方が大事なんだよね。
こっちの方を、信じているんだよ。
これこそがすべてなんだ。

だから俺は、この10年間、一緒に旅をして、一緒に音を紡いできたこの[Tone, Hassy, Jake]のイマリトーンズが、これこそ確かに「神のバンド」であったことを信じているし、そのことに誇りを持っている。

だからこそ俺たちは旅をし、新しいことを始め、周囲をインスパイアし、火を点し、人々を驚かし、人々に愛され、そして確かに俺たちにしか鳴らせない音を鳴らした。

だからこそ俺たちには"Victory in Christ"が作れたのだし、"Japan Metal Jesus"が作れたのだし、そしてついに"Jesus Wind"を作り上げた。
そしてだからこそ俺たちは今これから「Overture」を作り上げる。

だってそうだろ、一緒に旅してきた仲間なんだぜ。
アメリカを一緒に4度も回った。
やばいことも、deepなことも、dopeなことも、いっぱいあった。
奇跡なんてことも、一度や二度じゃなかった。
「よく乗り越えてここまで来たよな」
いつだってそう笑い合える。


俺が、この1年半くらい。いや2年かな。
ずっと悩んでいた。考えていた。

それはつまり、「鍋島」のソングライティングを終えた頃から。
2015年の夏に、「鍋島」のソングライティングの骨組みを終えて。
2016年夏に、「鍋島」のデモを作り上げ。
2016年秋に、「鍋島」の歌詞を書き上げて。
2017年初頭に、「鍋島」の仮歌を録音して。

それらの過程において、俺は何度も問いかけた。

俺の、俺たちの、Imari Tones (伊万里音色)の、究極の最終到達地点と言える、この「鍋島」。その2枚組24曲の楽曲群。

これを、果たして、鳴らせるのか、と。
今のこのImari Tonesで。今の、この体制で。今の、この状況で。今の、このメンバーで。

何度も問いかけたその答えは、"NO"だった。

だから、その理由は、本当に純粋に音楽的なことなんだ。

だからこそ、俺は、その「鍋島」に至る序曲、試験、試運転、分水嶺としての意味を、「Overture」に持たせた。
そして、昨年の末から、俺たちはこの"Overture"に取り組んでいる。
しかし、その中で俺が感じる答えもやはり、"NO"なのだ。

いいか、Jakeも、Hassyも、決して才能に溢れたミュージシャンってわけじゃない。
それでも、俺たちは、確かにここまで、最高にやってきた。
だからそれ以上は聞かないでくれよ。

俺たちは、"Overture"を作る。
それは、この現在のイマリトーンズが作り上げる、日本語のクリスチャンロック。
そして同時に、俺たち、この気難しい、世間とあまりに距離のある3人の男たちの、せいいっぱいの「色気」を込めたラヴソング。

でもそれは、本当に「意味」を込めたものなんだ。
切なさと、逆説と、裏腹と、出会いと別れを込めたものなんだ。

そして、それは、神が定めた「音楽的」な限界地点なのだ。。。。


理由を挙げることは出来る。
運営上のこと。
年齢のこと。
才能のこと。

そしてそれ以上に、人が人として「成長する」ということ。
その、あまりにも切ない、恋人や友人に限らず、あらゆる人間関係の中にある、「歩き続ける」「成長し続ける」という宿命。

俺は、神が定めたその「音」を鳴らすこと、そのことしかわからない。
俺にとっては、それだけしか、大事なことはない。
俺にとっては、それだけが、唯一、大事なことだ。

その音を鳴らすために、神は俺に言い放った。
「より先へ」と。

もちろん、いつものように俺は応えた。
「冗談じゃない」と。

神は、いつも、無茶しか言わない。
俺にとっては。
でも、いつでもそこに選択肢なんてなかった。
「はいはい、わかりました」
そう言って、従うしかなかった。
きっと、これからもそうに違いない。

いい歳になり、
「さあ、やっとそろそろ、音楽やめることができる」
と思っていた俺に対して、
「お前はこれから、やっと音楽を始めるのだ」
と告げた神。
ふざけんなよ、と、俺は思ったのだ。
それでも、逆らうことが出来ないのは、わかっているのだ。


言いたかったこと。
俺たちは、最後の瞬間まで、お互いを信じ、お互いを認め合い、お互いに「俺たちは最高だ」と確信して、音を鳴らす。

だからこそ俺たちは今まで。
Hassyがバンドに加入して、既に10年。
Jekeがバンドに加入して、おおよそ9年。
年が明ければ、それは11年と10年ってことになる。
走ってきた。

小さくても波紋を起こしてきた。
ひょっとするとその波紋は、世界のどこかで、未来にあって大きな[make a difference]になるかもしれない。

最高の「日本発クリスチャンメタル」を作り上げてきた。
そして、ついに"Jesus Wind"という究極を作った。

そして、最後に、自分たちのために「Overture」を鳴らすんだ。
これは、それくらい個人的な、「君だけに向けた」ラヴコールなんだ。

これで十分かな。


そんな感じ。
10月7日(土) 新宿 MegaRock
Calling Recordsのイベントにて。
そんな"Overture"の楽曲を鳴らします。

そして、予定どおりに行けば。
年が開けて2018年、2月10日(土)
世界でも格別に特別なハコ、西横浜 El Puenteにて。
記念すべきクリスチャンロックの、信仰とヘヴィメタルの夜を。
鳴ら締め括る。

そこから先は、未知なのだ。
「鍋島」を鳴らすための旅に、出るのだよ。
You know?

Only God knows.

No(4925)


■…2017年 8月17日 (Thu).......Band FBに形だけポストした告知のこぴぺ
This is just a notification of a gig we play in Tokyo!!
Oct 7th Saturday at Shinjuku Mega Rock.

クリスチャンロック専門レーベルCaling Recordsの主催ライブが今年も行われます。
2017年10月7日(土)、場所は歌舞伎町にあるロック色の強いライブハウス新宿Mega Rockです。
もちろん僕たちImari Tonesも出演します。今回はいつものメンバーに加え、僕たちも尊敬する先輩であるクリスチャンロックの大御所B.D.Badgeの出演が目玉です。

Imari Tonesは、只今クラウドファンディング続行中の話題のコンセプトアルバム"Jesus Wind"のリリースと重なる時期ですが、実のところバンドは既に次のアルバム、全曲日本語となる予定の"Overture"に取り組んでいますので、その"Overture"からの日本語の楽曲を中心に演奏します。メタル色はあまり強くなく、オルタナ、ポップ色の強い「さわやかな」ステージを展開しますので、ご期待下さい。

そして大きな声では言えませんが、そして日本語だから書けることですが、現メンバーでのライブはあと何回行えるかわからない状況です。下手をするとこれで最後、なんてこともあり得ます。もし注目してくれている方、おられましたら、この機会にぜひ目撃しておいてください!
そしてCalling Recordsの志を同じくするクリスチャンバンドたちの熱い演奏が集うイベントです。日本におよそほとんどここにしかない、と言える、このクリスチャンロックの最先端を、どうぞ体験しに来てください。

------------

Calling Records presents
"Jesus Calling vol.1"
場所: 新宿MegaRock
こちら
Open 17:30 Start 18:00
Fee 2000yen +1drink
Bands: Xie, B.D.Badge, 三木裕季, Soul of Faith, Imari Tones
(僕たちイマリトーンズの演奏は、3番目を予定しています)
(時間帯は若干変更になる可能性があります)

No(4924)


■…2017年 8月16日 (Wed).......もうやってしまった歌
[日記雑感] [クリスチャンロックやってる理由]
Thank you for all the help for the new album project. I'm very grateful and humbled. It's only God who can do things. I just try to empty my mind and pray.
-- Here is the project ;)
こちら

コンセプトアルバムのクラウドファンディングやってるのに際して色々綴りたく。

写真は、もう何年も前。うちのバンドが今の3人になってやり始めたばかりの頃。クリスチャンロックとかクリスチャンメタルとか言い始めた頃。ファイルの日付を見ると、まさにジェイクが加入したばかりの、もう9年も前(びっくり)。

若い、うん若いな。
俺は自分では歳を重ねた今の方が完成形に近づいてセクシーになったと思っているけれど(笑)
ジェイクなんか過酷なバンド生活のせいか、髪も白いのがまじってブッチャーズの小松さんみたいになってきたもんな。(ドラムの腕前も小松さんの10ぶんの1でも叩ければいいんですが。。。)

俺はなんでクリスチャンロックとか始めてしまったのか。
別に、信じる気持ちとか、捧げる気持ちに偽りがあるわけじゃない。
なんつーかそのへんは、人並みに、ってわけじゃないけれど、自分なりに信じているつもりだ。

けれども、何年もやってみて、歳をとってくると、いろんなことが見えてくる。
よくIgnorance is bliss (知らぬが仏)って言うけれど、無知だからこそ、突っ走れるってことがある。
若い頃だから向こう見ずに始めることが出来た。(別に当時だって、既にそんなに若くはなかったし、逆に今だってまだまだ若いと言えるけれど。)

たとえば「クリスチャンロック」って言い出した時に、当時叩いてもらっていたドラマーさんは、(きちんとアルバムの録音を終えた後で)、私は宗教には関わらない主義だから、っていうことで、脱退した。(そんで2ヶ月後にジェイクが加入した)

なんというか、当然の反応だと思う。宗教には関わりたくない。
なぜって宗教は怖い。宗教とか神とか、そういうやつは怖いのだ。
なにしろ、そういうのが原因で、人類は何千年にもわたって、戦争とか殺し合いをやっているくらいのことだから。
日本には「さわらぬ神に祟りなし」という言葉がある。
だから普通は、みんなそう考えると思う。

神なんてものは、たとえ同じクリスチャンとか、キリスト教の人たちの中でさえ、難しい。
それに人が神を信じる、その心は本当だとしても、宗教というものは社会の中で、権威になり、派閥になり、勢力になり、政治になり。
社会的にも、そして人の心としても、そこには人間の心の醜い部分が、皮肉なくらいに表れてくる。
そういう分野。(笑)

だからやっぱり「クリスチャンロック」とか言い出して、熱い気持ちで飛び込んで、それでもやっぱりずっとやってると、嫌な部分もだんだん見えてくる。いや、それはもちろん、そういうことだって、最初から予想はしていたんだけれど(笑)

でも、ああ、思ったよりもずっと、ひどいな、とか。思ったよりも、ずっと、手遅れだな、って(笑) そんなふうに思うことは、年々増えている。

そんな中で、ちっぽけな弱小バンドである自分たちに出来ることは、そんなには多くない。

だからこそ、教会とか組織に頼るんじゃなく、俺たちはあくまで好き勝手にジーザスのためにロックしてるだけの「いちインディーバンド」であり続けた。野良クリスチャンバンド、というべきか。

歳を取ると、あるいは、いろいろ見てしまうと、ってわけじゃないが、知ってしまえば。若い頃のように、勢いだけでやれないことは増えてくる。

だから、今だったら、きっと僕はやらないだろう。宗教的なテーマを掲げて、本気でバンドをやる、なんて、きっと、たぶん、絶対にやらない。
怖いし、危険だし、文字通りパンドラの箱なのだし、そこには面倒ごとしかない。
(もっとも、いまどき、別段に宗教でなくったって、世の中はそういうもので満ちているが)

でも、もうやってしまった。
がっつりやってしまった。
手遅れってくらいにやってしまった。
何枚もアルバムを作ってしまった。
インターナショナルに大風呂敷を広げてしまった(笑)

そんで、それを信じてくれた人たちも、少なからず居た。

だから、しょうがないので最後までやろうと思っている。

こんな俺たちでも、たぶん、何かの役には立つはずだ(笑)

It's all between me and God.
(これは神と俺との間だけの約束)
誰にもわからないかもしれないが、その気持ちだけは、ずっと変わらない。

No(4923)


■…2017年 8月10日 (Thu).......クラウドファンディング始めましたブログ、こぴぺ
Hello this is Tak from Imari Tones, Japanese Christian heavy metal band.
Today here (as we have posted already on Facebook) we have very important news.

We soon will release the new album called "Jesus Wind".
It's a concept album about Japanese history.
Japanese history from a Christian viewpoint.

This is an album we have always wanted to make.
This is the most powerful heavy metal album we have ever made and it's going to be a very important album for us.

We have launched a Crowdfunding campaign for the release, because we want to release the album on actual CDs, not only digital downloads.

Please visit our IndieGoGo campaign page.
We have videos, photos, songs and stories behind the album.
Please check and help us.
Your support is very important for us.

Visit here:)
こちら

Also we really appreciate if you spread the word about this crowdfunding campaign and the new album.

We hope you join us and celebrate together on the release of this album!
Thank you very much!

God bless you ALL!
Tak / Imari Tones


日本のクリスチャンヘヴィメタルバンド、伊万里音色より、Takが書いています。こんにちわ。
今日はとても大切なニュースがあります。

僕たちはもうすぐ、"Jesus Wind"というタイトルのアルバムをリリースします。
これは日本の歴史をクリスチャンの視点から描いたコンセプトアルバムです。

僕たちがずっと作りたいと思って構想していたアルバムであり、僕たちがこれまでに作った中で、もっとも力強いヘヴィメタルのアルバムになりました。

このアルバムのリリースに向けて、クラウドファンディングのキャンペーンを立ち上げました。それは、このアルバムをデジタル配信だけでなく、ちゃんとしたCDの形でリリースしたいので、そのために皆さんにご支援をお願いすることにしました。

どうか、IndieGoGoのキャンペーンページを訪れて、ストーリーを読み、ご支援をお願いいたします。
少しずつでも、皆さんのご支援が私たちには本当に大切です。

キャンペーンページはこちらです。
こちら

また、少しでもこのアルバム、キャンペーンについて、拡散、話を広めていただければ幸いです。

この大切なアルバムのリリースを、皆さんと一緒に祝えることを願っています。
ご支援感謝します。

皆さんに神の祝福がありますように。
Tak / 伊万里音色

No(4922)


■…2017年 8月 9日 (Wed).......ネタとしては確かに盛り上がれるモノではある
売れない厭世的なインディーバンドマンのひそかなプチ自慢tweetである。ちょっと身近な友人には相談したい気持ちもアリーナ。クラウドファンディングを立ち上げたこのタイミングで(苦笑)わりと「マシな」レーベルから話が来ちゃった。嫁によれば、キット送ってから半年くらいらしい(ありがと)。でも世の中そんなもんだよな。今度のはわりと由緒ある、おそらくはNWOBHMあたりをディグってる人ならきっと知ってるんだろうな的なレーベル。ネタ的には確かに興奮できる。"Jesus Wind"は確かにそのへんの音に近い作品なので必然性もある。この前のイタリアの(ちょっとだけ由緒ある田舎の)レーベルよりは現実味もある。だが、いまどきレーベルと契約すること自体がどうなのか。意味あんのか。そのへんも含めて、どうするんだ、ワタシ。「あのバンドやこのバンドもここから出してるよー」って言ったら、友人たちはきっと興奮してくれるだろう。だが、きっとうちのバンドの人たちはもう「別に」な感じなんだろうな(泣) まさかの逆転劇があれば、あるいは。そんなことも、ゼロではありませんが、しかし、うん、すべては神の御手にゆだねっこ。
No(4921)


■…2017年 8月 5日 (Sat).......Everything has its end. Or you just have to wait.
ここ2、3週間くらいだろうか。先月、"Jee-You"のビデオをアップして少ししたあたりから、YouTubeにアップした自分たちのビデオのViewっていうのか視聴回数が「フリーズ」する現象が起きていた。そして同じ時期にわりと規模の大きな障害も起きていたらしいので、そういったことも関係しているかもしれない。

もちろん、ビューに関しては、有効な再生をフィルタリングする、とか色々の説明はされているものの、2週間以降にわたってビューが動かなかったり、Analyticsの分析ページとかには再生回数がたくさん表示されていて、ためしに自分でも再生してみたり、しても、ちっとも反映されない状態が続いていて、まあYouTubeなんて別にどうでもいいとも言えるけれど、やっぱりちょっとイライラしていたのだが。

で、さっき、YouTube公式上にあるフォーラムみたいなところを覗いてみたら、案の定というか同じ症状を訴えている人がいっぱいいる。
つまり、問題をぐぐって検索すると、古いトピックしかヒットしないのだが、このフォーラムだと直近の訴えが書かれているので。

たくさん同じ症状をうったえている人いて、自分だけではないと思うと少し安心感は感じたが、どうもこのところYouTubeも障害とか不具合が多いようだし、運営側とかシステム側に、何か問題が生じているのかもしれない。

そもそも、使う方も基本的に無料で使って、世界規模で皆が使っているものだから、こういった問題は起きても不思議はないわけで。

世の中なんでもそうだが、特にインターネット上のものは。
何がどうなるかわからない。
Facebookと心中する気はないし、YouTubeにすべてを委ねる気もない。
かといって、インターネットを利用しないと発信できない弱小インディーバンドの身としては。
あんまり気にせず、シリアスにもならず、don't take it too seriouslyって感じで、ほっとくしかない。
少なくとも、別に視聴回数の数字が増えなくたって、見てくれがちょっと悪いだけで、見てもらえる、聞いてもらえるんであれば。それで別に問題はない。かな。

てなわけで、うちのチャンネルこれです。
視聴ビューを、増やしてくださいください~~笑。
こちら

No(4920)


■…2017年 8月 3日 (Thu).......Mistake 練習風景
連投ですがこの曲にはすごい感情がこもってます。
不協和音の連続で、どう受け取られるかわかんないんですが、自分たちにとっては大事な曲です。
(まだスタジオ練習だしね・・・)
そんで10月7日(土)新宿MegaRockでCalling Recordsのクリスチャンロックのライブイベントやるんで、この曲もきっとたぶんおそらく絶対演奏します。
見に来てくれるよな!(。 ・ω・))
こちら

No(4919)


■…2017年 8月 1日 (Tue).......支配と音楽とガラスの天井
ガラスの天井について考えてみたい。

なんか知らないが、ここ数ヶ月、僕はこのガラスの天井(Glass Ceiling)ってやつがとても気になって、まるで神が俺に、このガラスの天井をよく見て、それについて考えろと命じているみたいなのである。理由は知らん。

だから、最近、僕が「いや、ガラスの天井がさ・・・」とか発言しているのを聞いた人もいるかもしれない(笑)

さっきも書いた気がするが、物事には前提ってものがあって、でも大抵、人はその前提ってものについて考えない。考えずに、前提を前提のまま前提として何かをやったり、生活していたり、人生を送ったりしている。

でも俺は、その前提ってものについて考えてみることはすごく大事なことだと思っている。


さて僕がまず最初にやはり気になるのは、音楽についてである。

たとえば、もちろんこれは日本人に限ったことではないのだけれど、
僕も日本人だから日本人について言えば、
たとえば日本のバンドがさて音を出そう、という時に、
暗黙のうちに、この「ガラスの天井」みたいなものがあって、
その天井の下、というか、天井の中でだけ、音を出しましょうね、
という前提でやっているように聴こえるのである。

で、これは俺にとって、とても不思議なことで、
なぜなら、音とか、音符とか、音の周波数でも、
別に鳴らすのは自由であって、
たとえば音符を楽譜のこの位置に書くと税金がかかる、とか、
2100Hzの周波数の音を鳴らすと罰せられる、とか、
このコード進行を使うと国外追放になる、とか、
そういうことは別に無いのだから、
自由に鳴らせばいいのではないかと思うのだけれど、

でもほとんどの場合、特定の限界とか、暗黙の了解のうちにその「限界」が「ガラスの天井」みたいにして存在して、
みんな、申し合わせたように、その「内側」の音しか鳴らさないように見えるのだ。
それは、なんというか、示し合わせたように、本当にきれいに、みんなでそのガラスの天井の内側をなぞっているように見えるのだ。

それは例えていうならば、音楽というもののレンジが1から100まであるとしたら、70よりも上の音は鳴らさないようにしましょうね、と言っているような感じである。

そしてこれは、別に欧米とかアメリカのバンドにだって言えることではあるのだけれど、僕が日本人で、近くで見ているからかもしれないが、日本のバンドに、このことをとても強く感じるのだ。そして、その「ガラスの天井」の線が引かれているところの、特定のラインというものを、より明確に感じるのである。

もちろん、現代のボーダーレスになり、情報が行き来し、国際化した世界の中では、その「ガラスの天井」が引かれた線そのものも、動いたり、曲がったり、かつてよりはしているけれども、それでもやはり、ほとんどの人は、その「線」から一歩も外に出ない、その「外側」の音を、一音たりとも鳴らそうとしない。
それが現実だと思う。


そして、これは、話をはしょって先に進めてしまうのであれば、
これは音楽に限ったことではない。

生活の中でも、
そして人生を生きるにあたっても、
世界について考える時でも、
なんというか人生を生きるその最初のところから、
その「ガラスの天井」の中で、生きるように、
つまりその「ガラスの天井」の中のことしか考えられないようになっているように、思うのだ。

そして、いちばん厄介だと思うのは、ほとんどの人は、そのことに気付いてさえもいない、ということだ。

気付かないうちに、その「ガラスの天井」の中だけで物事を考え、人生を考え、世界を考え、そしてそのままで人生を終えるようになっているのである。


そして、これは、俺は一番の自分の問題として、音楽について思う。
なぜ、この線の外側の音を、皆は鳴らそうとしないのか、ということについて。

そして、厄介なことに、これは生活全般だけでなく、信仰について考える時にも、言えるのである。
つまり、キリスト教世界にあっても、これは同様に、この「線」が明確に存在しているように思うのだ。(それはもちろん、キリスト教、だけの話ではない)
このことに、俺は、結構、問題意識を持っている。


いったい、いつからこうだったのだろう。


前にもちょっと書いたが、僕の読書傾向は偏っている。
子供の頃は優等生だったから本をたくさん読んだかもしれない。
けれども、大人になってからは、恥ずかしながらインディーの無名のバンドマンをやっていて、音から情報を得る方がはるかに効率が良かったから、本は全然読んでいない。

もちろん、好きな作家というものは少数は存在するけれども、一般にくらべたら全然読んでないと思う。

一応、キリスト教徒やってるから、聖書はコンスタントには読んでいると思う。
けれども、聖書をいかにして読むかってことについては持論ってほどでなくても思うことがあり、ここではそれについては面倒だから触れないでおく。

でも、聖書以外で言えば、暇つぶしに中国の古典っぽい老子とか論語とかはちょくちょく目を通したりする。それは、なんかこう、実用的だからである。

たとえばそういった中国の古典、日本人にとっては昔から基礎の教養とされてきたやつ、それらの中でも、孫子、とか、そういう兵法は、いちばんわかりやすいと思う。わかりやすいというのは、霊的な意味で、いちばん卑近だという意味で。

つまり、人間世界の中にいつもあるところの、争い、であるとか、戦い、戦争、そういったものについて考えることは、僕たち人間にとってはいちばん身近であり、想像しやすく、簡単なことだからだ。

だから、そういった戦いについて書かれた孫氏とかの兵法書っていうのは、身近で、卑近で、実用的な書物であると思う。

そんだけれども、老子とかになると、もうちょっと難しくなる。
それは、老子は、思想体系として、存在ということそのものについて論じているからだ。
それは力をふるって壊したり、奪ったりする戦いとか争いではなくて、何にもしないでそこにある、というところの、ただの存在ということについて書かれているからだ。それは派手な戦争、ということではなくて、普通の日々の地味な暮らしの中のことである。そして、それについて考え、認識することは、実のところ、争いとか戦闘について考えるよりも、難しいことだからだ。

でも、これらのことを理解することは、聖書を読む時の助けになる。

聖書になるとさらに難しくなって、これは、結構、神の視点から容赦なく書かれているからだ。
もちろん、「著者」であるところの神に言わせれば、いやいや、これは人間にもわかりやすいように、レベルを落として噛み砕いて書いてあるんだよ、って言うかもしれないが、実際のところ、それでも普通に考えたら、人間の理解がなかなか及ぶような書物だとは思えない。

つまり、物理力学の存在ってところじゃなくて、霊の領域、そしてその上の神(精神)の領域にわたって書かれていることだからだ。

でもその「霊」とか「神」の領域について認識し、知ることは、その下のレイヤーであるところの存在であるとか、戦いの力学においても、その本質について知ることにつながる。

つまりそれは「根源」というものである。


その、聖書よりはもうちょっとわかりやすいところの「老子」なんかは、俺は結構好きなのだが、より卑近な兵法書がそのことについて書いているように、存在の力学においての老子にあっても、「支配」ということについて書いていると思う。そしてそれはつまり、支配する者と、される者との間に、何ら違いは無い、という一点だと思う。

そして、その「支配」ってことの「根源」や「中心」について知りたいのであれば、いよいよ聖書を手にとってみたらいいんだと思う。

だからいきなりもう結論に飛んでしまおう。
なぜなら論じる能力も気力も僕には無いからだ。

俺はこの地上における、どんな「支配」も、どんな「権力」も、
それは、論じるに足りない、取るに足りない、おままごと、だと感じて、そう認識している。

それは、支配するということは、それは神の支配ということに比べれば、地上における人間世界の支配というものは、どれも小さく、かわいらしいものに過ぎないからだ。

人間には、物理法則のひとつだって曲げることは出来ない。
そして聖書にも書かれているが、自分の髪の毛の色ひとつ、自由にはできない。(染めることは出来るが)

だから俺は、「支配」ということには興味がない。
この地上における「支配」ということだけれども。
本当の「支配」ということは、そういうものではないと思う。

もっと大事なものが、もっとたくさんあると思う。
そしてたとえば、ギタープレイヤーであるところの僕からしてみれば、
自分の手の中で、指先で、弦が、ギターが、どのように鳴るか、そっちの方がやはり、とても重要だ。

そしてたとえば、今日も一日、周囲の人や、仲間や、嫁さんと、仲良く、幸せに過ごすこと、これもやはり、とても重要だ。

物事を支配するのには、責任も、労力も、心の苦痛も伴うものであり、インディーの無名のバンドマンをやっている僕としては、社会的にはすごく底辺の方というか、だから支配ということについて言うのであれば、僕なんかは間違いなく支配される側である。被支配層というか。

だが、現代を生きる無名のバンドマンくらいに、豊かに恵まれた環境というものが、果たしてどれだけあるだろうか。

俺はいつも、支配する人に向かっては、ご苦労様、ありがとう、と、そう思っている。
たとえば、どこかの国の大統領とか、総理大臣とか、いろんな政治家さんや支配者さんが、がんばって支配しているのは、それは俺が、今こうして、一日を生きて、無名のバンドマンをやるためにみんな存在しているのだ、と思っている。

だから、たとえば、僕が、そして君が、この今日という一日を過ごすために、世界があり、世界中のいろんな人たちが働き、支配したりされたり、殺したり殺されたり、地球は太陽の周りをまわり、銀河は光速で広がっていく。

宇宙が生まれ、地球が生まれ、何億年も何百億年もかけて、世界は周り、そして今日、自分は、ここでギターを鳴らした。

だから、宇宙が存在したのは、俺が今ここで、ギターを鳴らすためだった。

そう思えるのであれば、いいんじゃないか。

そして、そう思えることを、各自が為すべきなのだと思う。


話が飛んだけれども、Glass Ceilingの飛び越え方については、ちゃんと説明したつもりだ。

だけれども、実際にそのGlass Ceilingを飛び越え、ガラスの天井の外側の音を鳴らしたら、どうなるのか。
そのガラスの天井の外にある言葉を発したら、どうなるのか。
ガラスの天井から踏み出す生き方を選んだら、どうなるのか。


支配するためには、記号が必要だ。

なぜなら、人間は、記号によってしか動かないからである。

記号によらず動く人間は、神の力によって動く人間だ。

けれども、そういう人間は、あんまり多くはない。

だからこそ、人間の世界は、記号によって運営され、記号によって動いている。

だからこそ人間世界における支配というものは、記号による支配ということだ。

だからこそ、信じていた「神」というものが、「記号」に置き換わる瞬間というものは、いとも簡単に、世の中にはあふれている。

そこから先は別に必要ないんじゃないか。

記号に従う人生なのか。神に従う人生なのか。

「記号」しか認識しない人間に、「神」は見えない。

だから、ガラスの天井を飛び越してしまったら、天井の内側に生きている人たちには、もう認識できない、見えなくなる、というのが実態なのじゃないだろうか。

キリスト者というか、Christ Followerのはしくれとしては、神の世界に踏み出す生き方をしたいものだと、そう願う。

そこは、人間の理解や認知の及ぶ場所ではないから、祈るしかない。
でもそれは、わりと理想的な精神状態だ。

以上、最初っから最後まで、「政治」と「信仰」と「国家戦略」について書いていたつもりである(笑)

No(4918)


■…2017年 8月 1日 (Tue).......存在しない架空コンソール
アナログのサウンドということについて考えてみたい。
いや、実際には必ずしもアナログのサウンドについては考えない。
つまりは僕は本物の高級なアナログの音なんか、ちっとも知らないからだ。

だが、想像してみることは悪いことではないはずだ。
想像とか勘違いというものが、創作のほとんど唯一のキーであったことは、人類史上とっくに証明されているはずだから。

ここに一枚のアルバムがあり、それはJudas Priestの81年のアルバム"Point of Entry"である。

僕は個人的には、思春期で13歳の時に初めて好きになってロックやヘヴィメタルを聞き始めたその「初恋のバンド」はJudas Priestであったので、だからきっと今でもヘヴィメタルを演奏しているし、Priestについては本当に語り尽くせない。けれどもこの伝説的なバンドについてはたくさんの人が語っているだろう。

そのPriestの、81年のアルバム"Point of Entry"は、彼らのキャリアの中でも問題作のひとつと言われる、あまり評判のよくないアルバムである。
けれども、僕はなんとなく昔から、このアルバムが好きだった。そして、その理由は何だったのだろう。

どんな人にも、ごくごく若い頃に、衝撃を受けたり、夢中になったり、そのサウンドが自分の中の基準になっているアルバムがあると思う。あるいは僕にとっては、Priestのアルバムの中でも、この"Pont of Entry"はそういったアルバムのひとつだったかもしれない。


さて、アナログのサウンドは良い、とされる風潮があるのは周知のことと思う。
その前提でこの文章を書くのだけれど。

では果たして、僕が求めていた、僕が理想としていたサウンドは、果たしてアナログの音だったのか。それとも、デジタルの音だったのか。

最近、遅まきながら、ネット上をうろついていた時にHarrison MixBusなるDAWアプリケーションがあることを知った。
なんでも、伝統あるコンソールメーカーであるHarrison(テネシー、ナッシュビル)が、本物のアナログのコンソールのフィールで、音楽的なミックスが出来るようにと設計されたDAWらしい。

これはつまり、プラグインとかで、アナログをシミュレートしたEQとか、コンプとか、サミングとか、ある中で、そういった単体のプラグインだけでなく、DAW全体っていうか、ミックスのシステム全体をアナログの本物のコンソールをシミュレートしました、っていうものなんだと思う。たぶん。(間違ってたらごめん)

で、早速試してみよう、と思ったんだけれど、めんどくさくて、まだ試してない。だから、試してからこの文章を書けよ、という感じではある(汗)

しかし、俺は思うわけだ、果たして、そんなに良いものだろうか、と。


ミックスをする時、音楽の録音制作をする時には、いくつもの前提というものがあると思う。僕は、物事に取り組むとき、この前提ってやつがとても重要だと思うし、その前提の部分を疑ってみたり、その前提の部分に向き合ってみるとはとても大事なことだと思っている。

たとえば、商業音楽を制作する時の前提として、ひとつには、再生する機器、再生する環境、またどういった用途で使われるのか、とか、そういったことはきっと前提になっていると思う。そして、その前提というものは、場所によっても、時代によっても変わってくる。

僕が、自分で個人の立場で音楽を作っていて良い部分だと思うことのひとつは、その「前提」の部分を、商業的とか、社会の都合とか事情、ではなく、自分で個人的に決めることが出来ることだと思う。

僕が自分のバンドの録音制作をする際に、たとえば低音とかベースの音を入れ過ぎていたり、あんまり音の分離を図っていなかったり、ある程度生のままの素材で良しとしてしまっている傾向があるのは、自分でもわかっている。

とはいえ、僕もミックスというものが、最近やっと少しずつわかってきた程度であるので、これまで作ってきたものについてはご容赦いただきたいくらいだが、しかしそれでも、敢えてそういった音作りをしていたのも事実なのだ。

僕はそういった音作りを、再生機器や、商業的に流通する都合ではなく、個人的に伝えたい、感じてもらいたいこと、の都合でもって、決めていたのだった。そして、俺は別に、音楽にはその程度の自由があってもいいんじゃないかと思っている。

良い音ってのは、いったい何なのか。

俺は、その、Judas Priestの1981年のアルバム"Point of Entry" (邦題、黄金のスペクトル)に関して、世間ではつまらない月並みな作品、ヘヴィメタルの総帥であるPriestが、迷走して軽薄なポップロックを作ってしまった作品、のように見なされているその作品。

確かに、そのアルバムの楽曲はとてもシンプルだし、サウンドについても、ごくごく普通の、何の変哲もない、普通のノーマルな、ベーシックなロックバンドの音だと思っていた。

だが、今にして、今になってわかることは、その「ベーシックな普通のロックバンドの音」を作り出すことが、録音することが、いかに難しく、貴重なものであるか、その事に、痛いほどに感じて、腹痛が痛いアレで、痛感している。

俺は、そのアルバムの音が、どんな機材で作られたのか、その卓が、Neveであったのか何であったのか、本職のエンジニアでも何でもないし、知らん。
けれども、俺にとっては、果たしてこの「何の変哲もないつまらないアルバムの音」とは、ロックバンドを録る上でのひとつの理想のアナログサウンドではなかったのか。
そう思えてならない。

Judas Priestの歴史から言うと、彼らがこの"Point of Entry"で作り上げたサウンドは、大ヒット作でありヘヴィメタル史上に燦然と輝く名盤である次作品 "Screaming for Vengeance"に受け継がれている。だが、そのサウンドの青写真は、間違いなくこの"Point of Entry"だったことは間違いない。

アナログの音っていうのは、いったいどういうものだったのか。
たとえば、鳴っている音を、そのまま正確に記録し、正確に再生する、その部分については、デジタル録音はきっとすごく優秀なはずだ。
だが、そのデジタルで録音したエレクトリックギターの音を聞いて、「この音は正確ではない」と言った人がいる。たとえば、僕が昔お世話になったプロデューサー/ギタリストのY氏もそう思った一人だった。

では、いったい、何がどう正確では無いというのか。

俺は、きっとそれは、中域、ミッドレンジの情報量ではなかったのかと思っている。

人間の耳の、ヒアリングというのか、聴覚の、その認知のシステムが、どうなっているのかは詳しくは知らない。
けれども、一般に音楽を聴く際に、人間の耳は、そのミッドレンジ、中域に、とても敏感である、ということはよく知られている。
どちらにしても、中域、ミッドレンジには、音楽や音色を感じる上で、とても重要な情報が詰まっていることには間違いない。

アナログの録音機器、マイクにせよ、アンプにせよ、コンソールにせよ。
アナログの機器というものは、そのミッドレンジの情報量、感受性能が、非常に高く作られていたのではないか。おそらくは、生身の人間の耳以上に。

誰だか知らないが、それらの昔のオーディオ機器を設計した人々は(それがRupert Neve氏にせよ誰にせよ)、そういった繊細なミッドレンジの情報量、記録量が豊富な設計をもって、「正しい音」「音楽的な音」「良い音」だと考えたのだと思う。

それは、アナログとか、デジタル、とかそういった単純な分類ではなくて、むしろ音とか聴覚とかオーディオを考える際の、「思想」ではなかったか。思想という言葉が重ければ、方向性、でもいいけれど。

だから、たとえばエレクトリックギターの音をマイクで収音し、再生した時に。
実際に同じ部屋でギターアンプの音を聞いた時以上に、その録音された音には「ミッドレンジの情報」が、ぎゅっと詰まっている。

それが、果たしてデジタル的に「正確」な収録であり、再生であるかどうかはわからない。しかし、昔のオーディオ設計者や、録音エンジニアは、そしてミュージシャンは、その音をもって、「より正確な音」と考えたのだと思う。

実際に、マイクで収音された音を、生身の耳で聴くことは叶わない。
なぜなら、たとえばオンマイクで、キャビネットのスピーカーから数センチとかの位置で、耳を近付けてギターの音を聴いたりする人なんか、いないからだ。爆音で鳴っているギターアンプに対して、そんなふうにして音を聴けるようには、人間の耳は出来ていない。しかし、マイクロフォンというものはそうやって使い、収音するものだし、録音制作というものはそうやって作っていくものだ。
であればこそ、どんな音が「正解」であり「正確」であるのか。それは、生身の人間には知ることの出来ないことだ。
だが、きっとオーディオの設計とか、理論とか、感性とか、そういったものから、Rupert Neve氏をはじめとするオーディオの設計者の人たちは、解答を導き出していったのだろうと思う。
(もちろん録音機器やオーディオ機器は別にギターの音を録るために作られたわけではないが、その時間軸の逆説はここでは便宜上、考えないこととする。)

そして、たとえばコンソールなり、チャンネルストリップに、EQが付いていたのであれば、それはきっとその「正しい音」に近付け、再現するために、きっとそれは使われるのでり、そのために付いているはずだ。

さて、そう思って"Point of Entry"のアルバムの音を聴いてみると、ギターの音なんか、中域の情報が非常に豊富である。それはエレクトリックギターの音で言えば、ディストーション成分も含めて、「倍音」ということになる。(きっと「1.6k」のつまみはぐぐっとブーストされていたに違いない。)

もっと後の時代の、デジタル録音が普及した時代以降の、低域がふくらんだ音ではない。そして、その後の時代の基準で言えば、この時代のアルバムには、低音なんか、全然入っていない。(あるいは、これも、環境とか、大きなスピーカーで再生すれば、違う感想を持つのだろうか。だが、現代においては、そんな大きなスピーカーで音楽を聴く人は、どれだけいるのか。)

だけれども、俺は、デジタル録音の普及ってこともだけれど、再生するスピーカーひとつとっても、上とか下のレンジも、全体で言えば、昔よりも、今の方が広がってるっていうか、性能は上がってると思うしね。昔は、再生するスピーカーだって、中域に集中していたんじゃないかという印象を持っている。

けれども、現代の録音とか、現代のロックバンドの録音作品を聴く限り、この豊富な中域の情報量ってことに関しては、やっぱり昔の作品の方が優れているのである。

ProTools等を使った、コンピューターのハードディスクを媒体とするデジタル録音が普及したのは、1990年代の後半というか終わり頃。それから21世紀に入って本格的にProToolsとかコンピューター録音の時代になったと思うが。

それ以降のバンド、といっても、やっぱりヘヴィメタルとか、メタル系のバンド。
メタル系のバンドは、特に往年のベテランバンドたちは、ギターの音の録音に苦労してきたと思う。

つまり、たとえば、これも時代に合わせて、ハイゲインアンプの普及したメタルコアのギターの音なんかは、ドラムの音も含めて、鮮明なデジタルの録音が明らかに前提になっているから、これも時代や環境に合ったものだろう。
それから、2010年代に入ってからの、ProgMetalとかの、Fractal等の機材を使ってデジタル的に作られたギターの音、録音手法も、このデジタル時代の録音に適合したものだ。

だけれども、そういった1980年代とかのバンドが、21世紀になって以降、作品を作ると、ギターの音が、昔とまったく違うというか、やはりそれは、ギターの音が、ふくらんでしまうのである。

アナログ録音で、録音媒体もアナログテープだった時は、テープ等のサチュレーションのせいもあって、ギターの音はミッドレンジに情報量がぎゅっと凝縮されていたものが、それがもっとぶよぶよとふやけて広がってしまうのだ。

この問題に、21世紀になってから、ロック、メタルのギタリストたちは向き合ってきたと思うけれど、上手い解決方法を見出した人たちは、あんまりいるとは思えない。

広がった録音レンジに対して、より現代的に深みを増したモダンアンプを使うことで対処することは一般的だと思うが、

ある者はたとえばEQ等で中域の特定のレンジを不自然に強調したりであるとか、

ある者は真空管の機器を使ってみたり、またある者はプラグインのテープシミュレーターを使ってみたり。

そのへんは省略する(笑)。

では、僕自身は、この問題に、どう対処してきたのか。
あるいは、どう対処してこなかったのか。

それは知らん(笑)

全部、偶然とか、成り行きとか、感性とか、気分である。

だけれども、僕はつねづね、自分でバンドの録音をする時に、「1970年代の終わり頃とか、1980年代のはじめ頃の録音が、イメージ的に理想」みたいなことは、常に公言していた。たとえばこの"Point of Entry"も1981年であるから、その意味ではその範疇に入るのだと思う。でもやっぱり、他にわかりやすいのは、Van HalenのDave Lee Roth時代の最初の6枚ってことだよね。


じゃあ、確かにアナログっぽい音を目指していた。
少なくとも気分の上では目指してきた。
と、しよう。

でも、本物の高級なアナログ機器の音なんて知らんので、
それは結局、想像の中だけの、勝手に思い描いた、気分だけのものじゃないか、と言うこともできる。

その通りだ。
けれども、その「気分」ってやつがやっぱり、実はなによりもいちばん大事だったんじゃないかと思う。

その「理想の音」ってやつを、それが本物のアナログとか、実際の機材とか、そんなのはまったく関係なく、自分勝手に思い描くこと、それこそが、実は、何よりいちばん大事なことだったんじゃないのか。

俺は、エレクトリックギターていう楽器にたいして、昔から持っている持論みたいなのがあって、
それはつまり、エレクトリックギターというのは、非常に多様性のある楽器である。
だから、一口にギターとか、エレキギターとか、エレクトリックギターとか言っても、本当にいろいろな種類がある。
そして、本当にいろいろな音色があり、用途がある。
最強に凶悪な音も出れば、いちばんきれいで、かわいらしい音も出る。
その音の種類は、ギタリストの数だけあるし、ギターの楽器本体をとってみても、本当に数々の種類とかバリエーションがある。

だからこそ、ギター弾き、ギタリストというものは、自分が思い描く「エレクトリックギター」というものを、しっかりとイメージすることが大切なのだ、と、これが僕の持論である。

自分にとってのエレクトリックギターとは、大きな音なのか、小さな音なのか。重いのか、軽いのか。丸いのか、尖っているのか。絹のようになめらかなのか、あるいはコンクリートのようにざらざらしているのか。光沢があるのか、あるいはマット仕上げなのか。弾力があるのか、あるいは硬くて曲がらないのか。

そういったことを、もちろんヴィジュアルイメージなども含めて、思い描けば思い描くほど、イメージすればイメージするほど、その音を、実際のギターから引っ張り出せるようになるからだ。

そして、その「イメージ」の奥底には、やはりその人間の「感性」、そして「官能」というものがある。そしてその「官能」ってやつを磨くのは、やっぱり並大抵のものではない。「官能」の奥には、「思想」ってものもあるかもしれないが、そこまでは知らん。伝統とか、文化、とか、自然、みたいなものもあるかもしれんが、そこまでは、個人の与り知ることのできる範囲ではない。


そんでもって、きっと、それは、録音制作においても同じである。
つまり、コンピューターなり、モニタースピーカーなり、その前に座ったとしたら、イメージするのだ、そこに存在するはずの「理想のコンソール」を。「理想のシステム」を。

たとえ何億円もするようなNEVEとかSSLのコンソールを、購入してアパートの部屋に設置することが出来なくてもいい。(別に設置してる人もいっぱい居るとは思うが、笑)
そこにある理想のコンソールをイメージすることが、とっても大事だと思うのだ。

そして、数々の録音物を聴く際にも、「これはどんなシステムで録音されたのか」と、そこにある「コンソール」をイメージしてみることは、やっぱり大事かもしれない。ばかみたいだが。


そんでもって、Harrison MixBusも、今度また暇な時に試してみたいのだが、試す前の考えとしては、僕はわりと懐疑的である。

つまり、デジタル、と、アナログ、を比較すれば、デジタルの方が自由度は圧倒的に高いと思う。

そしてデジタルの中でアナログの方向性の音を作り出すプラグインエフェクトはたくさんある。

昔の、本物のアナログ機器、アナログのスタジオの時代には、そういった選択肢はきっとあまり無かったはずだ。
つまり、現実にワイヤリングされ、現実に電流が流れる、現実のアナログ機器しか、ミックスするシステムがなかった。
そして、それは、デジタルの基準から言えば、おそらく非常に色付けの強いものだった。

だから、デジタルのDAWシステムでミックスをするということは、まったく色の付いていない無色透明の状態から、いろいろなプラグインとか、パソコンのデジタルに入る前のマイクやプリアンプ等も含めて、「架空のコンソール」みたいな、システム全体をいちから設計していく作業でもあると思う。

全チャンネルにコンソールシミュレーターのプラグインを立ち上げてもいいし、その中でNeveとSSLを組み合わせるとか、NeveのEQにSSLのコンプとか、もっといろいろと、得体の知れない、現実にはあり得ない組み合わせを、システムとして作っていける。

けれどもその自由度が高いからこそ、もちろんおかしなことにもなる。
だからこそ、「設計」のセンスが必要になる。システムを構築するセンスが。
そこに「イメージ」って能力が、重要になってくる。

そして、アナログのコンソールの時代には、エンジニアやプロデューサーが、いちいち、パソコンの内部で架空のシステムを作り上げなくても、優れた設計者によるアナログの「ミキシングコンソール」という一定の思想に貫かれたシステムが、既に設置されていた。だから、おかしなことになることは少なかったに違いない。たぶん。

もちろん、0と1で音を再現するデジタルではなくて、実際に電流が流れるアナログ機器の方が、「本物」の音であり、その音には重みとか説得力がある、みたいなことは言えると思う。

だけれども、そんなデジタルとアナログの違いよりも、どんな機器とか機材よりも、やっぱりそんなものを越えて、あるべき音をイメージする、人間の力の方が、やはり数倍も重要なのだと思う。

だからイメージすべし。

とか書いてみたかった。


録音、ってことの意味合いについては、たとえば神がモーセの十戒の石盤に、石に記したように、あるいは古代の人々がパピルスとか羊皮紙に記したように、記録ってことの意味合いを考えるけれど、それはまた別の機会に書いてみたい。

No(4917)



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