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2017年 9月の日記です


■…2017年 9月24日 (Sun).......告知、雑感、Cool in Christ
ひさしぶり、というよりはクリスチャンロックとか言い出してからは初めての「全曲日本語あるばむ」になるところの"Overture"についての思いと、
10月7日(土)の新宿MegaRockのCalling Records主催のライヴについての、思いと意気込みを。

まずは詳細を、義務っぽくw

10月7日(土)
新宿 MegaRock
Calling Records Presents
Open 17:30 Start 18:00予定
Fee: 2000yen +1drink
出演(予定): 三木ヒロキ、B.D.Badge、Soul of Faith、
Xie、Imari Tones
クリスチャンロックレーベルCalling Recordsの
3年目となる主催イベントです。

--

昨日は週末リハで、実のところ、(2週間前だけど)ライヴ前の最後のリハだったんですよ。
で、今回はこれまでやってきた英語のメタルの曲はほとんど封印して、今取り組んでいる"Oveture"プロジェクトの楽曲を中心に演奏するので。
慣れてない曲、しかも、直線的なメタルのリズムではなくて、もっと横に揺れる普通のロックとかオルタナっぽいグルーヴの曲が多いので。うちのリズム隊はそういうの慣れてないから、演奏も崩れがち。
だから心配だったんだけれど、昨日のリハーサルでは、きちんとまとまってくれた。なんだかんだ、もう一年近く/半年以上、これらの楽曲に取り組んでいるんだものね。

今回はずばりオシャレ系なんですよ(笑)
つまり、俺は、ヘヴィメタルなんて言っても、しょせん普段好きで聴いてるのは、もっと王道のものだったり、USインディとか、オルタナ/ガレージ/パンクなんかも多い。
本当はオシャレなものがやりたいんです。オシャレだけど、それだけではなくて、割り切れない何かをがーっと鳴らすようなものが、一番好き。
だから、僕はヘヴィメタルの文脈でメジャーセブンスのコードをいちばん上手く鳴らすやつになりたいし、実際にそうしてきたと思う。
で、そのオシャレ系に行きたいけど、しょせん不器用で暑苦しいヘヴィメタル、っていう葛藤が、うちの独特のカラーを生み出していたと思う。

でも今回の"Overture"プロジェクトについては、歌詞も日本語でいくって決めたし、これまでのヘヴィメタルって枠も考えずに、もっと好きにやろうって思って。

で、昨年の段階で、「鍋島デモ」も含めて、この"Overture"の楽曲の歌詞を書いた時点で、いろいろと思うことがあって。

それは、俺も歳を取ったな、ってことなんだけれど、
馬鹿なことを言うとね、やっとこの歳になって、少しは男の色気みたいなものが出て来たように思うんです。

そもそも僕は精神的にアンバランスで、ナイーヴ(未成熟)なところが昔からあるから、その世間知らずなナイーヴさのゆえに、青さがなかなか抜けなくて。というか、きっとまだ抜けてないけれど。

だからそのぶん、この歳になって、やっとだんだんバランスが取れてきたのかな、って。

俺はフィジカルつーか肉体的にはぜんぜんセクシーではないし、面と向かってもてるほどのイケメンだった覚えもないですが、
そしてセクシャリティについても、表現者として、男とか女とかのジェンダーの枠にとらわれない表現をしたい、そういう生き方をしたい、と常に思っていたけれど。

でも、男ってどういうことなのか、っていうことについては、わりと昔から考えていたところがあって。
それは、世間で言う男らしさっていうことじゃなくて、もっと魂としてどうあるべきなのかってことについて。
それはつまり、男なんてしょせん、弱いもので、弱い存在で、女性に助けてもらわないと、なにひとつできない。
弱いからこそ、虚勢も張るし、ちっぽけなプライドにしがみつかないといけない。
でも、だからこそ何が出来るのかって言ったら、せめて最低限、何が正しくて、何が間違ってるのか、そこのところをはっきり示す勇気がないと、男には価値がない。
それは、なんというか、せめてものことに、ってところね(笑)

自分は幼少時はわりと真面目なお子様だったんだけれど、歳をとってバンドマンやって、ダメ人間な生活をして、自分のダメ人間具合がわかってくると、そういうことがだんだん、理解できるようになってきた。

つまり、俺は、良い歳になったけれど、まだまだいい男を目指したい。
足りないものはたくさんあるけれど(笑)、滑稽でかまわないから、せいいっぱいかっこつけていたい。
そしてそれは、神の愛を伝えられるいい男でいたい。
愛って難しいもので、みんな言うけれど、わかってるやつはあんまりいない。
俺もわかんないけれど、愛ってものが結局、神の愛で、キリストの十字架なんだってことは知っている。
そして、それを実際にやってみせることの出来るやつは、さらにいない。
だから俺は、人間の基準でいい男になるんじゃなくて、神にあっていい男でいたい。
それはつまり、Cool in Christ。
神の愛を伝えられる男ってこと。

今回のOvertureの楽曲に取り組んでいて、これまでにない、ちょっとオシャレ風味で、ちょっと色気のある楽曲に、自分もやっと、こういう表現が出来る年齢になってきたのか、と思わないでもない。

この"Overture"にせよ"Mistake"にせよ、一年前に書いた歌詞だけれど、最近、自分の身の回りに起きている出来事を見て、ああ、これってこういう意味だったのかな、って思ったりもする。

書いている時は、ぜんぜん違う出来事を念頭に置いていたはずなんだけれども。
いろいろなものがつながってしまった。個人的に自分の人生の中で。
でもそれが、もっと大きな「愛」とか「救済」につながっていく。不思議なくらいに。
これからそれがもっとひろがって、すべてがつながったらいいなと思う。

でもひとつ書き添えておくならば、うちの嫁さんもずいぶんと「いい女」になった。
だから俺がもし多少でもいい男になれるんであれば、その陰にはやっぱりいつでも「いい女」が居る、っていうのは事実であり、世の常だ。宇宙の法則かもしれない(笑)

そんなふうにして、いつものはっちゃけたぶっとびヘヴィメタルではなくて、しれっとオシャレ系の色気のあるステージを展開する予定の、10月7日のCalling Records主催ライヴ。
(だから、いつもよりは大人しい演奏になるかもしれないぜ)

だけれども、予定によれば、こんなふうに"Overture"の楽曲をたくさんフィーチャリングするライヴは、今のところの予定によれば、今回のこの一回きりだ。
貴重だ。
ちょっと残念な気もする。
もし、このバンドが来年以降もなんとかして、良い形で続いていくのであれば、もっと披露する機会もあるかもしれない。
そう願いたい。


-- そうこうしているうちに"Jesus Wind"のクラウドファンディングは100%を達成してしまった。信じられない。いや、信じていたのか。というよりも、皆が信じてくれた。信じてくれた人たちがいる、ということか。
本当にありがとう。本当に感謝でいっぱいです。
そして、そのぶんがんばります。
志を新たにがんばります。

いや、昨日のスタジオでも、「90%まで来たよ、ありがとう」っていう挨拶の動画を3人で自撮りしたんだけど、100%行っちゃったから、お蔵入りになっちゃうな。

そして、くだらないことかもしれないが、先日書いていた「誰か俺のスタンドの絵を描いてくれませんか」というリクエストも、とある友人が叶えてくれました。しかも、すげえ高度なデザインで。
嬉しいな。

スタンド使いになっちゃって、厄介事も多いけれど、私は元気です(笑)

No(4939)


■…2017年 9月21日 (Thu).......厨二っぽいスタンド設定
FBには書けない駄文日記シリーズである(笑)

霊的な感受性を、とあるきっかけにより意識的に自覚してしまったことによる、精神世界の能力っぽいやつのことである。
もうめんどうだから、便宜上、「スタンド」と呼んでしまおうと思う。
なぜなら本当にスタンドっぽいから。
個人個人の「精神の形」によって能力が違うところとか、たぶんそんな感じ。
なんて便利なんだ。荒木先生ありがとう。

なにしろ精神的なものなので、「捉え方」とか「認識」によってそれは大きく変わり、またその「認識」ってやつは1時間単位、というよりも分単位、一瞬で変わる、あるいは深化することの出来るものなので、1時間後にはまったく「進化」していることもあり得ることで。

現に、先週の自分がそんな感じだった。一日ごとに認識が新たになり、金曜日の時点で「そうだったのか」とすべてがわかり、自分の認知とか、能力ってことを「意識」したとたんに、どんどんと「認識」が新たになっていった。


話は前後するんだけれど、基本的には自動操縦の働きなもので、基本的にやはり「無意識」で動かすものである。けれども、その「無意識」に働きかけることで、ある程度のコントロールみたいなのは出来ないことはないみたい。

たとえば物質的にせよ精神的にせよ、何かに働きかけようと思ったとき。
たとえば物体Aを動かそうと思ったとき。
自分自身の霊体みたいなその「無意識」というブラックボックスに働きかけることで、結果、物体Aが動くかもしれないし、そのかわりに物体Bが動くかもしれないし、あるいは何にも動かないかもしれない。
そんな感じ。
だからちょっと予測つかないというか、細かいところはわからない、という感じである。

でも、もしこれが、具体的に思い通りに物体Aを動かすことが出来てしまったら、それはもちろん、すごく危ない。理由は言わずもがなで、絶対に悪用してしまうに違いないから。
基本的には、霊だかスピリットだか、神さんの力なり、自然の力の法則みたいのに頼って、そこにある「バランス」みたいのの作用なんだと思う。
だから当然、好きにはできない。


この、「スタンドっぽい何か」。もちろん霊的な感受能力とか、そういった霊的なところから情報をやりとりする、ってことが今までも自分が無意識に役立てていたところではあるんだけれど。
では、この「スタンド」で、感受するだけではなく、こちらから能動的に何かのアクションを起こすことは出来るのだろうか。つまり、こちらから「攻撃」をしかけることは出来るのか。


僕は「ジョジョ」は決して読み込んではいないけれど、それでも多少はもちろん読んでいるので、たとえば思い出すに、13巻あたりだったか、第三部で空条承太郎が登場した際に、スタンドがまるで自分勝手に動き回って、承太郎の意志に反して相手を殴るとか、やっているみたいな描写がある。「さっきのケンカの時も、俺は必死でそいつを止めようとしたんだ」みたいな。

でも、その後、「スタンド」は自分の意志で操作できるような流れになっていくので、「承太郎うそつき」といつも思っていたんだが。「結局、自分で殴ってたんじゃん」みたいな(笑)


けれども、「攻撃は可能なのか」と考えた時に、僕はちょっと思い出して、背筋が冷たくなった。冷たくなったって言うと大袈裟なんだけれど、これまでの人生の中でも、いくつかの場面で、「これ、俺が無意識にやったスタンド攻撃だよね」みたいなの、確かにあるからだ。で、それ、100%無自覚だったかというと、もちろん無自覚なんだけれど、それらの出来事について自分の「意志」が関わっていた、という自覚というか認識というか、言ってしまえば「手応え」みたいなものは、やっぱりちゃんと持っていたからだ。

そして、やっぱり、これも、また別の人になるけれど、人に言われたことを、ちょっと思い出す。


でも、どちらにせよ、安心していいのは、そういった「攻撃」にしたって、霊的な意味でのバランスを利用したもの、つまり、霊的なバランスの均衡みたいなのが崩れているところに、ちょっとしたきっかけを与えることで、その作用がはたらく、というか、ようするにわかりやすく言えば、「攻撃を受けた場合の、反撃」しか、たぶん基本的にはやってないはずで。つまりは基本的に、自分が攻撃をするというよりは、神なり自然の法則といったものにアクセスすることでそこの作用を促す、といったことでしょうか。

どちらにせよ、「攻撃」とは言わないまでも、「無意識」を媒介とした働きかけは可能だということだと思います。

そして、その「無意識」に名前を付けて、キャラクター設定してしまおう、というのがつまりはスタンドでしょう。

無意識を、認識する、なんて、どだい、そこがすでに無理な話なんだけれど、そこを認識するために編み出されたのがキャラクター化、能力のヴィジュアル化ってわけで。そう思うとすごい設定ですね、「スタンド」っていうのは。ジョジョの作者さん、おそるべしです。


ちょっとキャラ設定してみます。

つまりは、設定を考えて整理し、対象化することで、より具体的に意識、認識し、それはたぶん能力を発達させるとか、役立てるための手助けになるはずだから。。。。



スタンド名: Royal Road (ロイヤル・ロード)
本体: Tone

「神の愛を伝える」という意志が原動力となったスタンド。
ネーミングは愛の王道を歩くという決意に由来する。

操作性: C (無意識を介した自動操縦が基本)
パワー: B (未知数ぽい)
スピード: B (速さの概念がない)
射程距離: 物理モードC、スピリットモードA
持続力: C (つかれる)
精密動作性: C (予測不能)
成長性: A (希望的観測)


得意技 (一例。応用可能。)

ディサーン!
- 霊的な事象を認識し、切り分け、判別する。すべての感覚に適用されるが、特に聴覚と味覚が鋭い。

ヒア!
- 霊的な音楽を大音量で響かせる。射程距離は精神力に比例する。

つたえたい!
- 神の愛を人に伝えることの苦しみと矛盾を一身に背負うことで、霊的パワーが向上する。

クリエイション!
- 創造の秘密に触れることにより、霊的事象を解き明かすとともに、物事をあるべき姿へと導く。

スピリット・スナイプ
- 霊的なバランスが崩れた状態の特定の事象に作用することによって、霊的なバランスを取り戻す。時として攻撃にも使用される。

スピリット・ディクテイト
- 様々な事情のある際に、霊的な事象に対して直接に働きかける。

ラヴ・プリベイル
- 天からの光で周囲を照らし、すべてのものが神の被造物であること、すべての人間が神の子であることを宣言する。非常に強力だが、射程距離は物理モードに依存するためそれほど広くない。

オイルアンドウォーター
- 決して混ざることのない水と油を、信じる心によって混ぜ合わせる奇跡を起こし、互いに理解し合う。

ライフスピーク
- 他の誰も認識しない自分自身の言葉を見つけることによって、霊の作用を音声に載せる

デアユー・トゥムーブ
- 8分の愛と2分のおせっかいによって、他者に霊的に向上し人生を前進するきっかけを与える。

うけいれる!
- 目の前の事象を理解し、受け入れ、受け止めることによって、逆に変化と前進を促す。

かたちのない
- ホーリースピリットと同調し包み込むことによって愛の奇跡を起こす。

かたちのない Act2
- 特定の人物や場所に思いを寄せることによって射程距離と効果の範囲を広げる。一般的な祈りよりも霊の実効を伴うが、精神の消耗が大きい。

かたちのない Act3
- 意識の範囲を広げることにより霊の作用のパワーを理論上無限に増大させるが、そのぶん危険も伴う。



とりま、現時点でこんな感じ?

あとは、誰かが絵を描いてくれたらなあ。
愛着と、気分と、対象化の面で。

No(4938)


■…2017年 9月19日 (Tue).......これでまた曲が書ける。ファミコンの曲が。
90%まで来たあ。うおお、まじありがとうございますサンキュージーザス。。。I'm so thankful I don't know what to say. Now it's 90%... Thank you everyone Thank you Jesus.
こちら

No(4937)


■…2017年 9月18日 (Mon).......Jesus Wind クラウドファンディング御礼 (2weeks left)
[感謝の気持ちと、お礼とお知らせ]
残り2週間ほど。クラウドファンディングのお礼を書いておきたいと思います。
個人ページのウォールに書くことで、友人、フレンドの皆さんにも、あらためてお知らせする意味で、書いておこうと思った次第です。

これですね。
こちら
現在、74%の達成率。
本当にありがとう。

僕たちのバンド、Imari Tones (伊万里音色)は、日本では希有な[クリスチャンヘヴィメタル]を演奏するバンド。日本において、クリスチャンで、ヘヴィメタルっていうのは、まったく無かったわけじゃないけれど、僕たちがこうやって大々的に言い出せば、もっと増えるかと思ったんだけれど、悲しいかな、現実は、ほぼほぼ、唯一無二の、孤高の存在。

そんな僕たちイマリトーンズの、集大成みたいな、決定的な作品。
日本の歴史をテーマにしたコンセプトアルバム。
つまり、日本の歴史を、クリスチャン的な視点から描き出し、そして過去、現在、未来にわたって、まさにヘヴィメタル的な預言書として描き出した、コンセプトアルバム。それが、今度僕たちがリリースする"Jesus Wind"というアルバム。

そのリリースのために、具体的に言えば、CDの形で制作する費用のために。そして少しでも多くの人に知ってもらうために、クラウドファンディングを立ち上げた。

もとより、ニッチなジャンルの、ニッチな存在だけに、ファンディングの目標額だって決して多くない。現実的に、CD制作に必要な額を見定めて、スタートした。
けれども、立ち上げて以来、世界中の、いろんなところで見守ってくださる皆さんからのご支援をいただく中で、僕たちは本当に感動し、とてもエモーショナルに、とてもhumbleな、謙虚な気持ちにさせられた。そして、本当に皆さんに、そして神様に感謝した。
それはつまり、神の愛を伝えたい、という志に対して、真摯に答えてくれる人々が、こんなにもいるのだ、ということに、僕たちは感動した。

折しも、ファンディングを立ち上げてから、アメリカ南部はハリケーンの被害に見舞われ、日本やアジアの各地でも豪雨の被害が発生。メキシコでも地震があり、また国際情勢も、ミサイル危機など、先の見通しの立たない不安定な状況。
そういった災害が次々と発生する中で、小さな無名のインディーバンドに過ぎない僕たちとしては、もうこれで十分なのではないかと思い、実質的に、ファンディングは完結したかな、という思いがある。

けれども、それでもまだ、伝えたい思い、愛を交換したい人たちが、まだ残っている。

もとより今回のアルバムをリリースするにあたって、とても大事な節目となる作品であったから、単にデジタルで配信のリリースをするだけではなく、きちんと皆さんにメッセージを届ける必要性を感じていた。

今の時代にあって、きちんとしたフィジカル、すなわち現物のCDというパッケージにしてリリースすることの意味合いが薄れていることは重々わかっている。けれども、重要なストーリーを持ったコンセプトアルバムであることを加味し、楽曲の背景を伝えるために、歌詞カードや解説を載せたブックレットなどもきちんと制作し、完全なパッケージとして形にしたかった。

そして何より、そうしたクラウドファンディングを行うことを通じて、皆さんにご挨拶がしたかった。
僕たちのささやかなバンド活動も、ささやかではあるけれども、これまで何年にもわたる活動の中で、様々な人たちのお世話になっている。これまでの活動の様々な場面、決定的な場面で、助けてくれた人たち、力を貸してくれた人たち、お世話になった人たち、ふれあい交流した人たち、メッセージを共有した人たち。
それらの人たちに、きちんと挨拶し、メッセージを届け、俺たちは、こうして元気に活動し、神の、イエス・キリストのメッセージを伝えるためのヘヴィメタルを、鳴らし続けています、と。

そして、記念碑となるような作品を作ることが出来ました。
ここまで活動を続け、こんな作品を作ることが出来たのは、皆さんのおかげです。
本当に感謝します、ありがとう。

そんなふうに、感謝、お礼とともに、皆さんにご報告がしたかった。

CD制作の準備とか、仕事の予定とか、いろいろと生活の事情がありますが、
クラウドファンディングは日本時間で10月2日の夕方くらいまでオープンしてます。

現時点で、きちんとしたブックレットを付けて、CD制作、たぶんなんとかなるんじゃないかというところまで来ました。

バンドページとか、先日もちょっと恥ずかしい昔の写真をのっけましたが、僕が90年代の半ば頃に10代の頃に作った曲も、今回のキャンペーン限定で、ダウンロードパッケージに特典として付ける予定です。

もしお気持ちがありましたら、ぜひご支援をお願いいたします。
こちら

In Christ (主にあって),
中峰崇裕 / Imari Tones (伊万里音色)

No(4936)


■…2017年 9月17日 (Sun).......ゴーストが囁くのよぉぉ
つまり、わかりやすく例えるのであれば、インターネットや、フェイスブックといったソーシャルネットワークのようなものが、今ではありますよね。
それと同じように、人の意識なども含めた、霊的なネットワークというものが存在していて、私はそれを感じる能力が、人よりもほんのちょっとだけあるんです。そこから色々な情報が来て、その中には、役にたつものも、有害なものもあります。
けれども、そうした情報を可視化あるいは数値化して、もしデバイスやツールとして利用出来るようになったら、人間の生活はまた変わるんじゃないでしょうか。(もちろんそこには危険も伴いますが)
そしておそらくは、世界の大企業や、最先端の研究機関などは、そうした研究を、もう行っているんじゃあないでしょうか。

No(4935)


■…2017年 9月17日 (Sun).......スタンドはフィクションではない。あと王道の話。
ジャンルってのは不思議なもので、
もちろん音楽にはもともと、ジャンルもカテゴリーも存在しない。
先日、昔のアンディ・パートリッジ (XTC)のインタビューを読んでいたら、彼がインタビューの中で"genre"という言葉を言った後に、そのことを恥じるという箇所があったんだけれど。

けれども、ジャンルってものは架空でも、その人にとっての、そのミュージシャンにとっての「道」ってものは確かに存在する。
それが「型」とか「スタイル」ってものになった時、そしてその「スタイル」が、信条とか信仰とか呼ばれるものになったとき、確かにそれはそこにあるものになる。

自分は果たしてヘヴィメタルなのか、というのは、僕のささやかな音楽人生の中でも、ずっと問いかけてきたテーマだった。

たとえばうちの嫁さんなんかは、どこをどう切ってもヘヴィメタルだと思うんだけれど。(もちろん、80年代ポップメタルとか、特定のスラッシュメタルとか、嗜好は偏っているけれども。)

でも僕の場合は、思春期に決定的にヘヴィメタルの洗礼を受けながらも、ずっと「メタルは好きじゃない」みたいな発言を常に繰り返してきた。

けれどもこの歳までやってくれば、自分は結局、ヘヴィメタルの人間なのだということは、よくよくわかっている。

音楽にジャンルもカテゴリも存在しないって言っても、スタイル、そして、「道」と呼べるものはある。
たとえば、これがブルーズであれば、そういったブルーズの大御所とか、ブルーズ一筋50年、みたいなベテランとか、誇りを持って「私はブルーズミュージシャン」と言えるのかもしれないし、周囲もそう呼ぶことが出来るのかもしれない。

そしてひとつ幸いだったのは、「ヘヴィメタル」というのは、もちろん、たとえ今では、「パンク」や「ハードコア」と同様に、細分化し形骸化したおおまかなカテゴリと概念でしかないとしても、やはり「ヘヴィメタル」というものは、「ブルーズ」と同じくらいに、「道」として示すことが出来る懐の深いジャンルであり、音楽であった、ということだ。

これは僕にとっては幸いなことだった。


「王道」なんてものがどこにあるのかわからないが、世の中には「王道」とか「本道」といったものに向き合えない人も存在する。というよりは、それは逆で、「王道」とか「本道」なんてものを見出すことの出来る人の方が稀で、それはとても幸運なことなのだろう。
そして、その「道」ってものに向き合うのは、きっとものすごく勇気の要ることに違いない。

だから、誰もがそれに向き合えるというものではない。
たとえばキリストは言ったとされる。
自分について来るのであれば、自分を捨てて、自らの十字架を背負って来い、と。
だけれども、そんなことが、そうそう誰にでも出来るっていうものじゃない。


だからこそ、音とか芸術の概念上、霊的な世界に価値を見出して生きてきた自分にとっては、音の世界の中で距離を図る方が、現実世界の立場とかよりもよほど確実で、確かな手段だ。


-
- 注: ひとつ前の日記は、facebookにはポストしていないので、混乱するかもしれないが -


キグルイ日記を書くのであれば、今回の一件で自分の「能力」をおそらく初めて意識的に自覚してしまったせいで。(だって、今回の「クランケ」は相当なもんだったよ)

普通と違う、ってことの苦しみとか、感性が感じ過ぎるってことの苦しみにも、ずいぶんと意識的にわかるようになってしまった。

俺は基本的に人生とか生きることについてポジティヴに考える方なので、たとえばKurt Cobainが自殺したことについても、基本的には否定的に捉えているのだけれども。(しかし理解、シンパシーはしっかりと持っている)

だけれどもここまで切迫した「苦しみ」を感じると、彼が自ら命を絶ってしまったことについても、今更ながら、少しはその気持ちがわかるような気がするし、同時にまた、これは少し恥ずかしい話だけれども、そして僕は最初から、そういった社会的な成功とは縁のないところで音楽を作っているつもりではあるけれど、一応はバンドとかをやっている身としては、自分にはそういった"fame"というのか有名になって成功する、みたいなことは、とてもhandle出来ることではなかったに違いない、とても耐えられることではなかったに違いない。とそう自覚するに付け、そういった社会的に成功してしまう立場にある人たちにくらべれば、自分はずいぶんとうまくやっている、うまくやってきた、あるいは少なくとも幸運だった、と思わざるを得ない。

要するに、自分ではこれだけ、自分自身の存在について強迫観念を持っているのに、その強迫観念についての自意識を、まったく他者の手に、しかもかなり悪意のある他者(システム)の手に委ねることになるからだ。

そう思うと、カート・コバーンみたいな人のケースは、本当に「そうなってあたりまえ」みたいな、必然的な、不幸な成り行きのケースだったと言える。

(そう思うと、規模はかなり小さいとはいえ、今回のPWR BTTMの件も本当に心配だ)



どちらにせよ、自分の「感受能力」とか「共感能力」が、どこまでやれて、どんなもんなのか、これからちょっと注意して生活しないといけない気はしている。これまでも、気をつけていなかったわけじゃあないが、これからはもうちょっとそこを計算に入れて生活したら、たぶん楽になる。

なにしろ、「スタンド能力」みたいにして、ああ、そうか、やはりこういうもんにも「射程距離」はあるのだな、みたいな。近距離パワータイプとか。つまり、霊的ネットワークを通じてメッセージを送ることは可能だが、直接意識とか神経に働きかけるにはやっぱり物理的に近くにいないとダメらしい、とか。そういうことも、少しわかったし、少しずつわかってくるのかもしれないし。(と、思うと、やはりジョジョの作者の人。。。)

どちらにせよ、世の中でコンピューターのネットワークが発達し、人々の生活上のいろいろなものがつながり、それももちろん自然な成り行きではあり、素晴らしいことではあるが、今の自分にとっては明らかに「霊的なネットワーク」の方が有用であり、重要であり、かつ面白い。もちろん、危険もいろいろありそうなところが、怖いのであるが。(今回だってやばかったではないか、苦笑)。思えば昔からそういったものを、知らずに僕は活用してきたということのなのだろう。(それはもちろん、音楽の創作や、演奏の上でも、だ。)

そして、たぶんこれは僕に限ったことではなく、コンピューターのネットワークと同様に、いやそれ以上に、人間はこれから、こっち方向のネットワーク、コミュニケーション感受能力も、たぶん発達していくんじゃないか、というか、発達させないといけないんだろうと思う。
だから、ここ何年か、僕が世の中とか政治的なトピックについて語る時も、実は僕は霊的な意識のネットワークの観点から、民主主義とか政治について語っていた、考えていた、ということは、確かに追記しておきたい。

そして一番大事なことに、自分が自分の創作活動や、音楽活動について考える時も、今現存している物理的な社会よりも、現在、過去、そして未来にわたっての、霊的な世界においての「事象」つーかつまり影響を主眼において、昔からきっとやってきた、ということだ。さらっと言ったぞ企業秘密。


-

どちらにせよ、「王道」ってものに向き合うのがいかに難しいのか、ってことを一度書いてみたいと思っていた。一度、っていうか、いつも話題にしたいし、いつも不思議に思っているし、たぶん過去にもそういうテーマで日記とか書いたことはきっとある。

先月のことだったか。週末のバンドのリハーサルを終えて、楽器屋に弦を買いにいくと、店内に、とあるバンドのレコードが流れていて、ふと耳を傾けてしまった。アメリカのバンドだということはすぐにわかったが、非常に良い意味でメジャー感があり、なによりもヴォーカルの声とキャラクターが素晴らしく、しかも、録音は明らかに新しいものでありながら、古いロックの基本というか伝統を押さえていて、そうはいっても、古いロックの模倣ではなく、きちんと新しいことをやっているではないか。

ああ、いつの世にも、良いロックバンド、良いロックンロールというものは存在するのだな、と僕は思い、それがどういうバンドなのかは、ちっともわからなかったが、ヴォーカルのスター性が非常によく伝わってきて、バンドも素晴らしく、つまりまさに選び抜かれた「本当にかっこいい、優秀な人たち」であり、メジャーバンドというのは本来、こうあるべきだ、という見本のように感じた。正直な感想を言うんなら、自分が経験してきたエクストリームツアーとかで、「こういうバンドが対バン、というかツアーを一緒に回る相手だったら、嫌だな」という感じである。勝ち目がとても無い、みたいな。

で、明らかに流れているのはベスト盤みたいな感じだったのだけれど、ずっと聴き入っていて、携帯にShazamとかのアプリも入れてなかったので(その後、インストールしたけど)、ゆっくりなバラードが流れた隙に、なんとか歌詞を聞き取って、歌詞でぐぐってみたのである。

そしたら、そのバンドはIncubusだった。
ちょっと驚いた、というのは、不詳、恥ずかしながら、私もぜんぜんメジャーどころのバンドについて不勉強で、
インキュバスなんて言ったら、僕の世代からしてみれば、2000年前後に、NuMetalとか、Papa RoachとかKornとかと一緒のくくりで、ミクスチャーっぽい、スクラッチノイズのがんがん入ったヘヴィロックをやっている人たち、というイメージしか無かったからである。

それが、いつのまに、こんなに直球で、ストレートで、まさに王道と言えるようなロックンロールを鳴らすようになっていたのか。

どうやら、ミクスチャーっぽい、いわゆるNuMetalだった初期の頃から、段々と変化していって、2000年代の半ばから後半にかけては、そういったスケールの大きな王道のロックを新時代の形として鳴らせるようなバンドに成長していたらしい。

はっきり言って素晴らしい。
これはきっと、21世紀になってからの、アメリカとか世界を代表するロックンロールバンドのひとつとして、挙げてしまっていいくらいのものだろう。

で、Spotifyでもかなり聴いたが、面倒なので、ベスト盤のCDも手に入れて、ここのところ、かなり聴き込んでいた。かねてからの「霊的なジェットコースター」を乗り切るにあたっても、かなり助けられたので、それは良いタイミングで出会ったな、と言うことも出来る。(神に感謝)

かといって、Spotifyで、今年あたり出ていた新しいアルバムを聴いたら、がくっと来たけど(苦笑)


さて王道って何だろう。

じゃあ、このIncubusみたいに、王道を、過去の模倣ではなく、現代のもの、新しいもの、自分たちのオリジナルのもの、として、自分のものにして、きちんと鳴らせる人たちは、世の中にとても少ないのである。

たとえば、過去の伝説で言えば、僕はVan Halenのいちばんのファンだし、ヘヴィメタルで言えばJudas Priestがすべてであり、プリーストしか好きじゃない、くらいの勢いだったりするが、そんなふうにVan Halenの大ファンをずっとやっていると、昔から、とてもとても、とても不思議にいつも思っていた。

Van Halenがやっているのは、やってきたのは、まさに王道の、どまんなかの、直球ストレートのロックである。
それって、俺が思うに、とてもシンプルで、ストレートで、どまんなかのものなのに、なぜ、他の誰も、それをやらないのだろう、という。
この疑問は、少年の頃からあったけれど、大人になって、いろいろな音楽、いろいろなバンドを知り、聞くにつれて、その疑問はどんどん大きくなっていった。

一見、簡単に見えて、シンプルに見える、どまんなかストレートだと思っていた、その「王道」の表現を、鳴らしているバンドは、実は、世の中にぜんぜん、あんまり、ほとんど居なかったからである。


王道って何か。

じゃあ、昔の偉大なバンドの模倣をして、懐古的なものを鳴らせば、それは王道なのか。
違う。

新しい流行のスタイルを取り入れたら、それは王道なのか。
それも違う。

王道というものは、一見簡単に見えるが、実は、形のない、とらえることの難しいものだからこそ、鳴らすのが難しいのだ。

言葉にしてしまえばとても簡単だと思う。
心の中にある音を、素直に鳴らすことなのだ、と。
でも、それが出来るやつは、決して多くはない。
それを、きちんと鳴らせるやつも、決して多くない。

先日も、Eddie Van Halenの2012年のインタビューを読み返していて、このタイミングだからこそ、そうやって読み返すと、エディ・ヴァン・ヘイレン氏が、やはり非常に感性の高い、とても繊細な人物であったことを痛感し、そして氏がこれまでやってきたこと、くぐり抜けてきたことを思うと、本当に痛々しくて、また色々な意味で、涙が出てきてしまったのであるが。

たとえばそのエディ・ヴァン・ヘイレンが、90年代の前半にあって、グランジがそれまでの80年代的なヘヴィメタルやハードロックを破壊しまくっている時に、その「ヘヴィメタル」の最大の象徴の一人であるEddie氏は、Nirvanaを聴いてとても気に入っていた、というエピソードは、それほど大々的に喧伝されていないにせよ、いくつも記録されていると思う。

それはつまり、ジャンルとかカテゴリとかマーケットの別とかにまったく関係なく、エディ・ヴァン・ヘイレン氏からしてみれば、Nirvanaおよびカート・コバーンの鳴らす音は、ただ単に「心の中の音を素直に、きちんと鳴らし切った」音、そうとしか聴こえていなかったのではないか。

だから、エディ氏の耳には、おそらくNirvanaは、素直に、ありのままの音をロックした、「王道」のロック、としか聴こえなかったのだろうと思う。
そして、エピソードは色々と説があるけれども、その逆もおそらくは然り、ではなかったのか。(もちろん、VHも、時期によって色々あるので、話がややこしいので略。)

俺の目には、どちらもおんなじくらいに"vulnerable"な人物として映っている。

その生死を分けたものが何であるのかは、はっきりと言うことは出来ないけれど。
(兄貴、とか、家族、の存在は、きっと大きかったのかも)



王道って何か。

たとえば、Whitesnakeとか、そういう、ブリティッシュっぽい伝統のハードロックを、真面目にやりましたよ、みたいなやつ。
最近でも我が家は、元Dokkenのイタリア人ギタリストであるAlex De Rossoのソロアルバムをちょっと気に入って流していることがあったが。そういうやつ。

そういうのは、世間では「王道」と呼ぶのかもしれないが、僕は必ずしもそう思ってなくて、それは、「王道よりちょっと右側」みたいな。
だから、実はかゆいところには、必ずしも届いていない。

Incubusも、本当に素晴らしいけれども、言ってしまえば、「王道よりもほんのちょっとだけ左側」みたいな。
でも、かなり王道に近い。

同じ2000年代のアメリカを代表するバンドで言えば、Switchfootとかは、「クリスチャンロック」でありながら、確かにほとんど、王道を捉えることが出来ているように思う。

クリスチャンロックでありながら、と書かなくてはならないのは、残念ながら、クリスチャンロック、なんてものをやっているバンドの中には、そんな「王道」みたいなのに迫ることの出来るバンドなんて、ほとんど居ないからだ。

流行りのジャンルとか、スタイル、を追従することの中には、「王道」はない。
でも、かといって、その葛藤の中から、「王道」を見出すやつもいるかもしれない。
王道に「型」はない。


王道には、制限ってものがない。
そこに、表現に、リミットを設けてはいけない。
自由でなくてはいけない。
でも自由って難しい。

その「自由」とか、「No Limit」(制限なし)に、向き合う勇気のあるやつにしか、王道は鳴らせない。

道を究めるには、「型」というものも必要かもしれない。
けどその「型」も、絶対ではなく、確かにそこにあるけれども、やはりゆるやかなものでなければいけない。

まさに孔子の語るところの「道」とか「君子の道」であり。

タオイズムとか老子の言うところの「道」であり。

そんでもってキリスト教徒にとってみればやっぱり「キリストこそが道」というやつである。


そんな王道を鳴らせるやつらを、今日も探している。

No(4934)


■…2017年 9月15日 (Fri).......スピリチュアル探偵いやいや仕事する
さて、ハリケーンの各地での被害や、ミサイル危機や、様々があったにも関わらず、アルバム制作のためのクラウドファンディングは、成功の見通しが立ちつつある。
本当に感謝である。

だから、今年は「転機」であり、ライヴとかツアー活動をしていないと言っても、音楽活動は、順調に進んでいると言っていい。

だが、そうであったとしても、私生活、いや、私生活はいつだって充実しているのだが、社会生活というか、「バイト生活」の方は、あまりうまくいってない。
しかし、クラウドファンディングで他人様からお金を寄付してもらっている身としては、たとえ「無理」だったとしても、なんとか最後までやりとげて、必要な給料をもぎとらなければいけないのである。


今やっている期間限定のオフィスワークだが、僕としてはこういう「オフィスワーク」をやるのは実に5年ぶり。
5年前、2012のアメリカ西海岸のThe Extreme Tourへ参加し、返ってきた後、おそらく自分にはもうこういった働き方は無理だろう、と判断し、体を動かすことに徹してきたのである。
だが、今回、いろいろあって、「期間限定なら、いっぺんだけやってみよう」と、話に乗ってしまったものである。
そして、やはりそれは大間違いだった(笑)


このバンドのウェブサイトに載せている個人のWeb日記、CGI日記は、不思議なもので、つまり、うちのバンドの場合、ファンの大部分は海外の人なので、ウェブサイトのすみっこに日本語で書かれたこの文章を読む人は、そういった「ファン」の中にはおそらくいない。
また、日本の友人たちにしても、ほとんどはFacebookやInstagram等のソーシャルネットワーク上でのコミュニケーションになるため、この日記は密かに存在しているような立ち位置のものであり、自分への記録と整理が第一の目的、そして、遠くであまり利害関係のないところからほんのり見ている遠い誰かの役にたつかもしれない、という意味合いで記録しているものだ。

思い出すことがひとつあって、それは、その2012年のアメリカ西海岸のThe Extreme Tourに参加する際に、出かける時に成田の空港のうどん屋でうどんを食っていると、不思議な老人、というか老婆、というかおばあさんが、ひょこっとやってきて、「ほうほう、口元の良いところにほくろがありますな。これは、きっと、一生食うのに困らないのに違いないですじゃ。ひゃっひゃっひゃ。」(実際はもっと普通の言い方だったと思うw)と僕に向かって意味ありげに笑いかけた。

今にして思えば、その老婆の意味していたことは、たぶん今僕の身に起きているあれこれのことであり、それであの老婆は意味ありげに笑っていたのに違いないのである。

そしてほくろと言えば、春先か初夏くらいに、「年齢のせいか顔のほくろがずいぶん増えてしまった」という投稿をフェイスブックあたりにしていたのを見た人もいるかもしれないが、そしてフェイスブック上では、「洗顔が」とか「ガンが心配」とかそういう反応があったと記憶しているのだけれど。

だから、そういう意味では、このほくろはそういう意味合いであるとすれば、たぶんそういうことなので、俺はもう、ほくろについてはあきらめようと思った次第である。年齢と言うことももちろん出来るが、必然性のあるほくろだったということだ。


年齢と言えばそういうことである。
つまり、若い頃には気が付かなかった。
先日、知り合いがやっている同性愛者の方々のためのちょっとしたセミナー的な会合を見学させていただく機会があった。

その時に参加者の人が話していたこととして、そういった同性愛の方によくあるパターンとして、自分自身がどういう性的嗜好を持っていて、それがどういうもので、どういう呼び方、名前がついているものなのか、マニュアルがあるわけではないので、また人に相談することも出来ないから、人と比較することも出来ず、わからないままで手探りに生きていって大人になるしかない、みたいな話があった。

つまり、生まれながらにそういった「人と違う点」があったとして、そのことに気付く、つまり「自覚的になる」のは、ひょっとすると案外遅いかもしれない、ということである。

そして、俺は、やっと今、そのことに「はっきりと自覚的」になってしまったのだと思う。

もちろん、これまでだってその「感覚」を使って、物事を感じ取り、判断し、活用して生きてきたのだけれども。

それは、ちょっとした些細な感受性とも言えるし、俺に言わせれば些細な感受性でしかない。だから、それは俺にとっては「普通のこと」なので、その「普通のこと」を、何か特別なことのように言われると、俺は非常に困惑してしまう。それはなんというか、自分の「普通の生活感覚」を疑われる、ということだからだ。

たとえば、バンドのアルバムを聴くと、そのバンドがあとどれくらいで解散するかわかる、とか。

コーヒーを入れた人間の心理状態がある程度読める、とか。

またクリスチャン的な話題で言えば、俺にとっては「ホーリースピリット」というものは、さすがに目には見えないけれども、「触れて感じる」ことの出来るものである。だから、クリスチャンの集まりなどで、実際にはホーリースピリットがそこに来てないにも関わらず、「ホーリースピリットが満ちています」とか「聖霊に満たされて」とか言われると、「え、来てないじゃん」とか思ってしまうのである。それは、普通にそう思うということだ。もちろん、来る時には来るし、結構意外な時、意外な場所で来ていたりすることもある。たとえば他宗教とか、いわゆる「異端」っぽい人たちの集まりなんかにも、ちょくちょく「聖霊さん」が来ていたりするのをご存知だろうか。


そして、これは職場の人にも説明したのだが(したんかい、汗)、とても良い例として、「ねずみ避けの超音波発生装置」ってやつがある。
俺は、これは怖いのでぐぐってみたことがないのである。
以前、一度だけフェイスブックにそういう内容のポストをしたことがあるのだけれど、反応はごくごく限られたものしかつかなかった。
つまり、ねずみとかゴキブリとかを追い払うために、18000Hzとか2万ヘルツくらいの音を発するあれである。
街中を歩いていると、昔からちょくちょくあるし、またスーパーの野菜売り場とかにも、ちょくちょく置いてある。「ばちばちばち」という感じで、かなり爆音で鳴っていることが多い。

歳食って聴こえなくなるかな、と思っていたんだけれど、今のところ、まだまだ聴こえている。というよりは、昔よりも聴こえるくらいだ。

だが、この、かなり爆音で鳴っている「ばちばちばち」というあの音が、どうやらきっと、世間では、聴こえる人よりは、聴こえない人の方が多い、ということは容易に想像がつく。

だから、あの音のことって、あんまり話題にしたくないのである。
だって、相手が、その音が聴こえなかったとしたら、それはまるで、自分が狂人のようになってしまうではないか。

この苦しみって、実は結構なものだと思うんだけれど、今回、こういう目に合って、たとえば同性愛の人が感じる苦しみとか、カミングアウトの苦しみとかが、ちょっとだけわかったような気がした。


ともあれ、オフィスワークの話題に戻ろう。
期間限定ならやれるんじゃないかな、と思って「やります」と言ってしまったのである。仕事なかなか、無かったし。
そんで、やっぱり最初の二週間くらいで「これは無理だ」ということがわかった。

だけれども、昼休みにスケートボードをやる、とか、ひたすらガムを噛むとか、とにかく色々な工夫を編み出して、まあやはり一番大きかったのはスケートだけれども。
ここまで無理矢理続けてしまった。

クラウドファンディングを立ち上げてからは、スケートが出来なくなってちょっとやばかったのだが、そこはそれで、私生活でちょっとした息抜きがあった。

だが、9月に入って、席の配置が変わり、クラウドファンディングも一段落付いたら、すげえやばいものが待っていた。


「無理だ」と思っていた都会でのオフィスワークではあったが、それでも、あともう少しだから、最後まで乗り切るために、ここで振り返らせてもらうけれど、振り返ってみれば。

異常に得るものが多かった。
近くのスポットを見つけたおかげで、スケートボードの技術は大いに進歩した。
なぜか視力が非常に良くなった。
ドラムの基礎練習が非常に進んだ、足を主体とした速いパラディドルとか、複雑なパターンもこなせるようになった。
なぜだか股関節の開脚が、まだ180度とはいかないが、かなり開くようになった。間違いなく今までの人生でいちばん開いている。
そして、耳も非常に良くなってしまった。

早い話が、感覚が非常に鋭敏になってきてしまったのである。
この理由は、今のとこあんましわからない。

そして、きわめつけにこれである。
霊的な感受性が、ちょっとやばいレベルまで高まってしまった、ということ。

今回の事件で、そのことに嫌でも自覚的にならざるを得なかったので、今更に気付いて振り返ってみたのだ。

少年の時から感じていたこと。

あの時にとった、あの行動。あの判断。

あたりまえだが、今までに書いた曲。というよりは、天から「与えられた」曲たち。

大学にきちんと通えなかった理由。就職できなかった理由。

あの場所や、この場所で、仕事が長続きしなかった理由。

そして、これまでの音楽活動の中での、あれや、これや、それや。

要するに、俺は、「聞こえてしまう」人間だったからこそ、こういう人生にならざるを得なかったのだ、ということに。

そりゃ、人と話が合わない、とか、考えてみれば当たり前の話である。
なるべく人と接することをせず、孤独を好むのも、至極当然だ。
あれやこれや、いろんなことの理由がわかった。

特にここ1、2年でその感覚が、さらに鋭敏になっているのだとすれば、友人たちに言っておきたいが、最近、僕が友人たちのライヴとか、そうでなくても、一般的なライヴとかコンサートに、あまり行けない、見ることが出来ない、そういう事情があっても、どうか理解して欲しい。それは、見たくないものとか、聴きたくないもの、感じたくないものを、いっぱい感じてしまうからである。

そして、こうなってみると、これってやっぱり、非常に苦しいことなのだ。


さて、今回の事件の概要を、形式的に示しておきたいと思う。

今回の事件の原因は、要するに「ドルオタ」である。
ドルオタ、というのは、つまり、ファンの皆さん、ということだ。

そして、若くてきれいな女性に限って、そういう「ファンの皆さん」が、いっぱい付いている、ということである。

世の中にはいろんな「つきもの」があるし、いわゆる「美人」には、そういうものがよくついている、ということは、話には聞いていた。
だから今回、現物を見て、「ああ、こういうことか」と。

そして世の中の不思議というか、皮肉というか、そういう女性に限って、「耳が悪い」ものなのである。その理由はいろいろあると思う。が、ひとつには、頭上の「ファンの皆さん」が、いつもあまりにも大きな声で声援を送るので、自然にその爆音に慣れてしまい、鈍感になって耳を閉ざしてしまったのではないか。

そして、そんな「鈍感」な人が多いから、「聞こえてしまう」俺が、こんなひどい目に合うことになる。

プロセスで言うと、おおよそこんな感じの流れだった。

1: 誘致
こいつは聞こえる(見える、感じる)ということがばれて、そういう立場に自然とひっぱりこまれる。(今回の件だと、9月に入ってなぜか僕だけ席を移動させられた)

2: 強制
感覚にいきなりぶっこまれる。何を言っているかわからないと思うが、書いている俺もわからない。

3: 共感
そこで、感受性の高い、優しい俺様としては、共感してやったのである。考えてみれば相手は「ドルオタ」である。自分たちのお姫様のことをわかってほしいのだ。

4: 克服
強制的にぶっこまれている感情と、自分自身の感情を切り分けて、自分自身の感覚とか、自我を取り戻す。これが出来ないと、きっとやばいんだと思う。俺の場合は、やっぱり神への信仰が鍵だった。ここを乗り越えるプロセスの中で、俺は「伝道者」すなわち神の愛を伝える者、としても、間違いなく一皮剥けたと思う。

5: 解読
相手が何を言っているのか、何を伝えたいのか、を解読する。要するに、うるさいし、感情とか概念で来るので、それを解きほぐして、整理、判断、解読する。

6: 立案
解読したメッセージを元に、現実に何が出来るのかを思案する。

7: 拒否
「霊の世界」の事象を、現実世界、ましてやオフィスの中の現実に持ち込むことなんて無理に決まってる、と社会人として当然な判断をする。

8: 強迫
気が狂わんばかりに強迫される。音を上げた。

9: 実行および適用
しょうがないので、自分の社会的立場をあきらめて、「やつら」の願いを叶えてやる。


と、まあ、だいたいこんな流れだった。
普段なら、こんなことには陥らないのかもしれないが、今回は、2とか3あたりのプロセスの中で、自分の個人的な弱点というか、20年ほど前の記憶のフラッシュバックが重なり、非常に苦しんだ、というか、感情的にジェットコースターを味わった。

社会的な立場なんてあるわけないのだが、それでも、あのオフィス空間の中で、よっぽどうまいことなんとか「形にした」のは、はっきり言って自分の手腕だと思う。

派遣先からはちょこっとお咎めをくらったが、ちょっと反論してみたが、これは絶対に理解出来ないだろう、ということがわかっていたので、そうですね、とこちらの非を認めたのだが、その「非を認めている俺」を見て、上にいる「ドルオタの人たち」が、拍手をして俺をヒーロー扱いしていたのは事実である。なんで俺がこんなことしなきゃならんのだ。

派遣元の担当の方は、親身になってかばってくれて、理解してくれた。
たとえ期間限定の仕事であったとしても、俺にだって社会的立場もある。何よりプライドとか自尊心がある。だから、派遣元の担当さんが、俺の話を笑い飛ばさずにちゃんと真剣に聞いてくれたことは、本当にありがたかった。
なぜって、クレイジー扱いされるのが一番つらいのである。

自分自身だって、かねがね。
つまり、思えば、いつだって、昔から。
俺っておかしいんじゃないのか、って、いつも思っていたんだから。

普通は、こういう時は、スルーして、霊的な事象の真実よりも、社会的な立場の方を優先して取るものである。

だが、俺はわりと「熱い」方なので、それこそ少年時代から、こういう事象に出くわした時、いつも逃げずに立ち向かっていた。
だからこそこういう案件が時折舞い込んでくるのかもしれないが、俺は何より、「逃げる」ことが怖いのだ。
逃げてしまったら。無視してしまったら。
それは自分自身の感覚を疑うことになる。

自分自身の感覚を疑い出したら、そこにはすぐに、気が狂いそうになる地獄が待っている。
今回の件でも、俺は何度も、その「穴の底」を覗き込んだのである。

はっきり言おう。生還おめでとう。

嫁さんが本当に助けてくれた。もちろん、今に始まった話ではない。


俺は、音楽をやっているから、ことに「音」に対する感覚には、自分なりの絶対の基準に自信を持っている。
俺はジョークで次の仕事はスピリチュアルカウンセラーかな、とか言っていたけれども、だからこそ、俺はこれを商売にするつもりはない。あくまで「音楽」の中の基準で勝負したいのだ。


オフィスの中の環境には文句がある。
俺に言わせれば、このオフィスの環境自体が、ずいぶんとおかしいのだ。
そして、そのお姉さんも明らかにずいぶんおかしいのに、周囲は何も言わない。
それこそ「聞こえていない」のだろうか。

だがもし、俺が「ドルオタ」たちとの約束を果たしたのだとすれば、確かに俺は、一発ひっぱたいて「聞け」と言ったのである。(注: もちろん実際にはひっぱたいてません)

もし、うまくいけば。
願わくば、hopefully。
きっと「恐れ」というものを知るのではないだろうか。

それでいいのだと思う。

だが、ひとつだけ言わせてほしい。
オフィスワークは二度とやらない。

No(4933)


■…2017年 9月11日 (Mon).......赤猫ホットブースト
Heavy Lid Effects Shoals Overdriveが、相変わらず足下でメインの座を譲らない。
Shoalsが必ずしもハイファイなオーバードライヴでないことはわかっている。
適度な音の曇りがあるし、そしてどちらかといえば、かなり味付けの濃いペダルだと思う。
かといって、ナチュラルだし、抜けの良いクリーンも得意、という、不思議な立ち位置のペダルだ。

我がギタリスト人生の最終兵器とも言える、[異能専用機、Rabidly Dog、ならぬRabid Cat]こと、赤いSTR LJ-2、であるが、これは、うちの場合、ギターは全部、猫あつかいなので、Rabid Cat、通称赤猫さん、となるのであるが、これは、スタジオに持っていくとはっしーが練習を病欠するというジンクスがある既にうちのバンド内ではいわくつきのギターだ。だが、やっとここのところ、このギターとはっしーが、両方スタジオに共存することが出来るようになった(笑)


という経緯で、レコーディングのための音作りの検証、ペダルとの相性を確かめるため、STR Rabid Catを持ってバンドアンサンブルで2度、合わせてみたが、結果はちょっと意外なものだった。

個人練習で一人でスタジオに入って検証した時には、
「このギターはもともとメタル的な倍音が相当乗っているので、下手にペダルで倍音を載せる必要はなく、ギターの音を生かす方がいい、なので透明なCranetortoise真空管が一番良い、あるいはTS系の中でもギターの音が抜群に生きるT-Rex Divaも非常に合う。だがShoalsには残念ながら合わない、なぜなら倍音が乗り過ぎて、ギターの音がつぶれてしまうから。」
という結果だった。

実際、一人で鳴らしてみると、T-Rex Divaの方が、音も太いし、鮮明だし、ぜんぜんこっちの方が良い、と思える。


けれども、いざアンサンブルで、自分たちの曲を鳴らしてみると、驚くことに、Shoalsの方がやっぱり良いのである。もちろん、曲によっても変わってくるが、Shoalsの音作りの対応力、応用範囲の広さも鑑みて、これでやっぱりしっくりくる、っていう感じになってしまう。

これは、わりとローエンドがしっかり残るT-Rex Divaに比較し、Shoalsは、必要のないローエンドをきっちり削ってくれる、ということにも原因がある。一人で鳴らすとローが足りない、と感じるかもしれないが、バンドで鳴らすと別である。

少なくとも、自分たちの音楽性だと、こっちの音の方が曲に合う、雰囲気に合う、世界観に合う、ということだと思う。
単音でソロを弾く場合にも、T-Rex Diva Driveの方が、音も鮮明で、鳴き方も良いのだが、Shoalsもこれはこれで良い味付けをしてくれるし、なによりもいかにもメタルっぽいギターをかき鳴らすみたいなガキガキというアタックが乗ってくれるので、それが僕の場合にはばっちり合うのであった。


"Jesus Wind"の録音にあっても、ソロの半分以上はCranetortoise真空管で弾いたけれども、Shoalsで弾いてしまったソロもいくつかある。"Jee-You"、"Bushido"、"Saints Seeking Salvation"、"God's People"、"The War"のソロはShoalsで弾いたと記憶している。もっとも当時はまだセッティングを把握していなかったこともあり、EQでかなりミッドを持ち上げて弾いたけれども。

"Bushido"も"Jee-You"も既にYouTubeにのっけてあるから、参考にしていただけるかもしれない。いずれも、バッキングもソロも、Bacchusのレスポールタイプ、Shoals、Marshall JVM210の組み合わせで鳴らしたものである。

Bushido
こちら

Jee-You
こちら



いずれにしても、昨年からいくつかこうしてオーバードライヴをディグってみたものの、周囲のギタリストの皆さんや、ギアに詳しい方々からしてみれば、定番どころも含め全然試してない、知らない、って感じである。(もちろん、昨年あたり、店頭でもたくさん試したんだけれど。)

だから、もしまた機会があれば、予算を握りしめて、都内のエフェクターが何百個もあるようなお店に乗り込んで、嫌がらせみたいに一日かけて試奏しまくり、いちばん良かったやつを持って帰る、みたいなことをしたいものだと思っている。それでバンドで使ってみて、もしShoalsやT-Rex Divaよりも良ければ、めでたしめでたし、である。
ただし、その予算は今のところ無いけれども(笑)

あとは、例の化け物じみたローファイの安物ペダル、Tonerider American Overdriveとか(笑) 決してハイファイではなかったが、あの太さと押し出しは、ライヴの現場での実用性は、今でも相当なものだったと評価している。どうしてもShoalsの方が好みなので、最近使ってないが、どうせ売っても二束三文だし、いざという時のために手元に残してある。



新しい音を見つけた、なんて思っても、振り返ると、いつもそれは、実は古い音に回帰しただけだった。そんなことが、僕の人生の中では何度も起きている。

ちょっと前に、アナログとか、昔のNeveとかの音、とかそういうテーマで、Priestの"Point of Entry"のギターの音について書いたけれども。
結局、いつでも、僕が求めていた音というか、僕が求めていた「音の自由度」というものは、そのへんの音の中にあったのかもしれない。

つまり、昔のそういうアナログ機器の録音で、Neveとかの卓とかEQで録音された、ミッドレンジの非常に繊細で豊かな音。つまりそれは、ギターの音域で言えば、ハイ、高音域、と言ってしまって差し支えない領域。

だからいつでも、ハイがジャキっとした音を求めていたし、じゃあテレキャス鳴らせよ、って言われるとそうではなくて、なぜって僕はやはりヘヴィメタルの人だから、パワーと太さがそこに両立しなければならない。

じゃあ、そんなにジャキっとパリっとカンっ、と分離よく芯のあるハイが鳴ってくれるギブソン系のギターがあるのか、と言うと、それはもう「ヴィンテージ」に行くしかない。けれども、ヴィンテージの古い音ではなく、もっとモダンな音が欲しい。そしてなるべくなら、現代の、そして未来の音が、そしてできることなら、遠い国に憧れる音ではなくて、この日本の心を鳴らしたい。
そんなギターあるのか、って言ったら、ディバイザーさんとこがそういう楽器を、死ぬほど安い値段で作ってくれていたのである。ただ、見た目とか野暮ったいし、ブランドイメージも野暮ったいのだが。



どっちにしろ、振り返ってみると、

僕がその昔、Jackson SoloistとMarshall Gov'norの組み合わせで鳴らしていた音も。

Musicman AxisとCranetortoise DD-1で鳴らしていた音も。

EpiphoneのコリーナフライングVとCranetortoise VT-2Bで鳴らしていた音も。

そして今、BacchusのレスポールとShoalsを合わせてみた音も。

結局のところ、そんなミッド、中音域。どちらかといえばハイミッド。そして高音域。ハイ。
そこのところの「表現の自由度」を求めて、気が付けば、そんな「昔のNeveとかの卓でアナログ録音された時代の音」を、いつも求めていたらしい。

そんな音が、ギターの段階で出るような表現力を、常に求めていたらしい。
なぜか。
それはもう、作曲とか、表現が、その方が圧倒的に自由になるから、に他ならない。

それを、その時の環境や、その時のアンプ、その時の楽曲が必要とする音の太さ、ライヴで鳴らす場面、などに合わせて、その時々でアップデートしつつ求めていたみたいだ。

攻める角度は変わっても、欲しい音はいつでも同じ、いつでもひとつだった。

ということか。

クラシックなミッドレンジの表現力。

Shoalsはやっぱり、そういう意味でも僕の「レトロ趣味」に十分に付き合ってくれるペダルでもある。

でも俺は、古い音が鳴らしたいんじゃない。

そこのところから何を読み取り、引き出すのか。
それは聴く耳の、そして弾き手の、力量だ。



それを踏まえて、Shoalsの音作りアンチョコのアップデート版。

確かまだ「Hot Boost」は日記にアップしてなかったと思う。
すごく中二、厨二的な内容を追加した(笑)

Hot Boostは、"Fire Boost"とかにしてもよかったかもしれない(笑)
この前の"Cold Boost"も、"Ice Boost"でもいいんだけれど。そっちの方が中二っぽい。

そして、さっき適当にパソコンにつっこんで、Kuassaのオーバードライブのプラグインがすごく優秀なんだけれど、それと比較する形で、STR Rabid Cat (LJ-2)の、やたらめったらパワフルな音に合わせて軽めのブーストを作ってみたので、それを"Heterogeneous Boost"と名付けて、ニュータイプ専用、的な設定で記述してみた(笑)

バンドで鳴らしてみないとわからないけれども。

そうそう、Kuassaのオーバードライブのプラグイン、すごく良いんだよね。
つまり、現実世界には数え切れないオーバードライブのペダルがあるけれど、プラグインだとあんまりないじゃん。ほとんどみんな普通のチューブスクリーマーのモデリングばっかりで。だから、今度のKuassaのやつは凄いありがたかった。パソコンの中だけで作らなきゃいけない時に、ぐっと選択肢が増える。

どん。


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Heavy Lid Effects Shoals Overdrive の使い方 2枚中1枚目 Tone’s Preset (1/2)

まずはこのペダルの考え方を説明する.....
*すべてはDriveの設定でキャラクターが変わる。Driveに伴う多彩な変化こそがShoalsの最大の特徴である。
*Gainを下げればクリーンブースト的に使えるし、Gainを上げても破綻せず、むしろ音は太くなる。TS的なミッドの押しを求める時はGainを上げていった方が良い。Gain上げる:太い音、Gain下げる:すっきりした音。
*ブースター系ODの常として、Levelは基本的に最大と考えていいが、Gainとの兼ね合いで下げてみると良い結果が出ることも多いようだ。Gainを上げてLevelを下げるか、Levelを上げてGainを下げるか、相関関係で出力を決める。
*Driveは「メタル指数」と考えて差し支えない。Driveを上げればゲインも上がる。
*Toneに関しては、Shoalsの最大の武器はシルキーかつエッジィな刃のようなハイエンドなので、基本的にToneを上げていった方が持ち味は出る。しかし太い音が欲しい場合は控えめにした方が良いのも事実。まずDriveでキャラクターを決め、Gain&Levelは兼ね合いの関係、しかしToneは常に環境や気分に合わせて流動的に考えた方が良いようだ。
*このペダルの良いところは、「上げても破綻しない」「上げるほど持ち味を発揮する」「どのセッティングでも使える」「多用途に使える」というところにある。そのぶんセッティングは、とてもとても難しい。
*Drive(ロー)もTone(ハイ)も、上げ下げすると出力も上下する。ブースト出力の調整に関わってくる部分である。
*ゲイン、出力は十分にあり「100%クリーン」なアンプ以外、「20%でも歪むアンプ」さえあれば、ハードロックが弾ける音までは「必ず」プッシュできる。ただしEQ、Toneの設定に注意すべし。歪みの質感はEQに大いに依存する。
-- さて以下のプリセットはあくまで参考である。スタート地点として考えていただきたい。--

8時のクリーンブースト (Drive 8時) (朝焼けブースト)
最も癖のないブースト。Level最大。Toneは高めが基本。用途によりGainを上げていく。Morning Gloryの名の通り、案外とBritish Classicか。

9時のCream Breaker (Drive 9時)
Marshall Blues Breakerペダル(初代)との比較を行っていた際に、結局Drive9時で最も近い音が出たことから。BBのキレ及びハイミッドの張り出し及び絶妙の曇り具合に迫るため、Gainは高め(4時くらい)に落ち着いた。Toneも極力高めと考えていい。当然ながら(残念ながら)BBよりも低域はガッシリしており、definitionもよりはっきりしている。

10時のチューブブースト (Drive 10時) (つるかめブースト)
Albit/Cranetortoiseの真空管ブーストに近いニュアンスがもっとも出やすい。Level最大。Toneは高めが基本。いいと思うところまでGainを上げていく。

11時のすっきりスクリーマ (Drive 11時)
10時と11時でかなりキャラクターが変わる。以下、Drive11時から2時くらいまではTSゾーンである。TS的なミッドの押しを求めるセッティングのため、Toneは必ずしも上げる必要はない。11時から12時が目安。Gainを上げていった方がTS的な押しの強さと音の厚みが出るようだ。その場合必要に応じてLevelを下げる。

11時半のケンタロウドライヴ (Drive 11:30)
健太に似せるためのスウィートスポットは11:30くらいにあるようだ。Gain2時、Tone4時でヘヴィドライヴ、Gain11時、Tone1時でライトブースト。その他GainとToneの組み合わせで色々やれると思う。ただ本物のクリーンミックス感に迫るにはToneはGainプラス1or2の位置関係がいいようだ。

12時の凪ドライヴ (Drive 12時) (上司ドライヴ)
なぜか知らないがDrive12時だと面白くないのである。ピンと来ないのである。まるで正午の凪である。ということは逆にどうしようもない時にここに合わせるといいのかもしれない。サラリーマン上司(Boss)ドライヴと呼びたい。「ああ、これね」という「間違いのない」音になるだろう。

1時の普通スクリーマ (Drive 1時) (British Screamer)
Drive、Gain、Tone、Level、すべて1時。ある程度歪むアンプ(Marshall想定)に使用する。まったくもって普通のスクリーマー系プッシュドライヴ。レスポールと合わせれば伝統ブリティッシュ。

2時の標準ドライヴ (Drive 2時) (じゃじゃスクリーマ)
適度な厚みを持ち、じゃじゃ馬的なパワフルさと、どんな音楽性にも対応できるversatileさを兼ね備えたShoals基本のセッティング。Drive、Gain、Tone、Level、すべて2時に設定するのが基本。そこからまずGainの最適値を求め、必要に応じてTone (ハイエンド)を上げ下げする。

2時のバーボンブースト (Drive 2時) (American Screamer)
要するに僕の「いつもの」セッティングのことである。Drive2時、Gain午前中、Tone午後、Level最大。あくまでShoalsの本来のキャラクターを生かすフルレンジで透明な琥珀色のセッティング。TS的なMidの張り出しはアンプのMidをちょい上げすることで出る。

2時のToneRider (Drive 2時) (Chinese Screamer)
しばらく有用していたTonerider AO-1の音に合わせたセッティング。押し出しの強いモダンTS系の用途。Drive2時、Gain2時、Tone1時、Level3時。Toneriderを上回る性能は実証済み。

3時のTS Breaker (Drive 3時) (Metal Screamer)
Drive3時、Gain2時、Level2時、Tone11時。現時点でこれがビンゴ。Metal Screamerとも言うべきTSを越える芳香なドライヴをここから作り出せるはず。

3時のBritish Steel (Drive 3時)
Drive、Toneともに3時が基本。Gainは必要に応じてなるべく上げていく。Shoalsの持ち味がもっとも美味しく出るスウィートスポット的なセッティング。スピード感とソリッドな切れ味の良さがあり、鋼のような刃のようなそんな正統派のヘヴィメタル。

4時のエクストリームメタル (Drive 4時)
Drive、Toneともに4時が基本。Gainは必要に応じてなるべく上げていく。ローエンドに殴りつけるような圧力と、厚みのあるハイエンドの刃が加わってくる。現在のEVHサウンドに近いニュアンスでもある。

5時のつや消しドライヴ (Drive全開) (Matte Drive)
特定のギターで太い音を狙いたい場合に有効。Drive全開、Gain3時、Level12時、Toneゼロ。Shoalsの持つ最も太い音と言える。Toneはゼロでも実用可能だが、現実的にはそこから適宜Toneを上げていくことになるだろう。

5時のストーナードライヴ (Drive全開) (Stoner Drive)
Drive最大の状態でGainやToneを極力下げていく。太いが古くさいブーストサウンドを作ることが出来るだろう。

未知の最大 (Drive全開)
さて問題は、どんなときにDriveを最大まで上げる必要があるか、という時だ。往々にしてローエンドが出過ぎる状態になるので、少し戻して4時にする事の方が多い。誰かをぶん殴りたい時か、まったく歪まないアンプを最大出力でプッシュする必要がある時などが考えられる。


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Heavy Lid Effects Shoals Overdrive の使い方 2枚目 Tone’s Preset (2/2)

1枚目からの続きである.....


Cold Boost (Gain 7:30〜8時にて固定)
上(1枚目)に列挙したDriveによるキャラクターの変化を踏まえ、今度はGainを固定してDriveを動かしていく考え方のセッティングである。これはCold Boostもしくは「氷の刃」とも呼ぶべきクリーンブースト系のセッティングである。
Gainを早朝7:30(ちょっと上げただけ)で基本的に固定し、Driveによって必要な音の太さを選択する。Levelは必要なだけ上げる。クリーンブーストの性質上、Toneは高めが基本である。
Gainが低いため、出力も全体的に低めとなる。比較的ゲインのあるアンプをプッシュする用途に向くと言える。
(出力は、DriveやToneのセッティングによっても変化する。どちらも上げれば、それにつれて出力も上がる。)
これの用途は、野暮ったく太いアンプの音や、むしろ高過ぎるゲインなど、「温度の高すぎる音」を冷却する効果と言えるかもしれない。Shoalsの設定の中ではギターの原音の特性が比較的生きるセッティングでもある。

セッティング例
Cold Boost D2 (Drive 2時、Tone2〜3時) 偶然発見されたセッティング。なにげにバーボンブーストと近い。
Cold Boost D9 (Drive 9時、Tone2〜3時) しゃきしゃき系の新鮮なクランチが必要な際のセッティング。
Cold Boost D12 (Drive 12時、Tone適宜) これが普通のクリーンブースト。
Cold Boost D4 (Drive 4時、Tone適宜) クリーンブーストと言いつつ太めに鳴らす。Toneも上げればドンシャリに。


Hot Boost (Gain 最大にて固定)
ブースター的オーバードライヴのセッティングと言えば、Gainは下げるもの、というセオリーを逆手に取り、Gainを最大にした上でブーストの音を作っていく方法論である。
Shoalsはセッティングが多彩で、かつGainを上げても破綻しないため、こういった使い方が可能となる。
Gainを上げることにより、張り出し、押し出しのある、そして厚みのある音作りが可能となる。
Gainを上げるぶん、出力も上がるので、そこはLevelを下げることによって対処することになる。
Cold Boostの時と同じように、Gainを固定した上で、音のキャラクターはDriveで選択することになる。
音の密度が中域に集中するため、アンサンブルの中での音抜けは非常に良い。
Shoalsのキャラクターの良いところが前面に出た、ファットで筋肉質、しかしタイトで反応の良いサウンドに、きっと驚くことだろう。Gainは最大から、ほんのちょっとだけ下げると良い結果が得られることが多い。


Heterogeneous Boost (STR Rabid Cat 専用セッティング)
ニュータイプ専用機などと呼称される、異能者のために作られた特定の個体は、パワーもあり、フルレンジで鳴る上に、倍音も豊富に乗り、なおかつ低音も豊かである。そういった個体をブーストする場合、有り余る無駄なローエンドをきっちりとカットしつつ、ギターの持ち味を極力生かさなくてはならない。ギター本体の出力が高いために、ブーストはそれほど必要ないことを鑑みDriveは低めに設定し、Shoalsの色を付けつつも、真空管のようなナチュラルなブーストを狙った極端とも言える専用セッティングである。
Drive 8時、Gain 2時、Tone全開、Level 午前中(適宜) から調整していくものとする。

No(4932)


■…2017年 9月10日 (Sun).......Learning to laugh like a villain
悪役みたいに笑ってみたいといつも思っていた。
「フッフッフ、クックック、ふ、ふ、ふわーっはっはっは!」みたいに。

テレビとか映画とかでは見たことがあるけれど、現実にそんなふうにして笑う人は見たことがない。
たぶん記憶している中では少なくともまだ見たことはない。

そういう悪役っていうのかVillain系の役回りは結構好きだ。
あまりにもそうやって笑いたいと思ったので、自分の曲の中でそういう声を収録したこともある。どの曲かは言わないでおく。

でもそれもたぶん、たとえばJudas Priestの"Love Bites"とかでロブ・ハルフォードがあまりにも見事な高笑いをしているので、それの真似だったと思う。

けれども現実にはそんなふうにして笑う人にいまだかつて出会っていないし、自分も現実にそんなふうに笑うことは無いだろうと思っていた。

が、現実はいつでも想像を越えるもので、最近、自分はそんなふうにして笑うことが、たびたび起きるようになってきてしまった。

もちろん、フワーッハッハー!!とハイトーンで高笑いをするところまではしないけれど。

しかし現実に「クックック・・・」となってみると、それはこういう心理だった。

自分自身の言動とか、考えとか、自分自身の些細なことが、おかしくてしょうがないのだ。
それを、自嘲気味に、あまりにも自嘲気味に、おかしくておかしくて、気付けば「クックック・・・」となってしまう。

そして、そうやって自分の馬鹿さ加減が笑えてしまうような時に、そうやって笑いながら考えていると、次第に色々なことが、世の中のいろいろなことがどうでもよくなってくる。なぜかというと、世の中のいろいろなことというのは、大体みんな、どうでもいいような些細なことだからだ。

そうして考えているうちに、色々なことがどうでもいいように思えて、それがおかしくってしょうがなくて、そんなふうに考えている自分のことが、またおかしくてしょうがなく、最終的には「クックック、フッフッフ、ふ、ふ、わあーっはっはっは!」となってしまうのだった(笑)

そしてそれを人前で笑わないように必死でこらえていると、それがまた、そんな自分がまた、おかしくてたまらなくなってしまうのである。ドツボにはまるというやつだろうか。

いい歳をして、まるで女子高生みたいに、箸が転んでもおかしいお年頃、を、僕は迎えている。
これは、あるいは嬉々として、危機と呼べるのだろうか。

「ミッドライフクライシスが服を着て歩いてきた」
そんなことを考えたら、また、おかしくてたまらなくなってくる。

そして大体においてクライシスってやつはずいぶんと可愛らしい服を着て歩いてくるものだ。

そんな自分を、また可笑しく、哀れで、可愛らしい、と思えるようになったのなら、それがどうやら、大人になる、ということなのだろうか。
もちろん年齢的には、とっくに大人になっていてしかるべき年齢ではあるのだが。
恥ずかしい限りである。



今年に入ってからも色々な音楽を聴いているが、
この期間限定のオフィスワーク(絶対に向いていないのがやはりはっきりした)を乗り切るために、スケートボードをしながらスラッシュメタルを聴きまくっていたものの、クラウドファンディングが始まってスケートがあまり出来ない(精神状態、肉体状態)になると、最後に乗り切るために、やはりここへきて最終手段としてXTCのApple Venusアルバムを馬鹿みたいに聴き込んでしまっている。

僕は好きなバンド、本当に熱く語りたいような大好きなバンドはいくつも、たくさんあるけれど、歳を取ってから夢中になることの出来たバンドとして、もちろん世界的に有名なバンドではあるけれども、このXTCはとても大きな存在だ。

でも、XTCなんて、それこそカルトバンドの代表みたいな感じだし、たかがポップバンドひとつ、そして音楽ってもの自体、そこまでして真剣に、というか、夢中になって、向き合う人ってどれくらいいるだろうか。
いたとして、そいつはこの熱さをわかってくれるのだろうか。

現実には、ほとんどの人にとっては、音楽なんていうもの自体、それほど、どうでもいいものなのだ。

だからこそ、同じように熱さをもって音楽に向き合っている人間と、出会いたいと思うし、語り合いたいとも思う。
そして、互いに励まし合ったり、切磋琢磨できたら、本当に素晴らしいことである。


強い人間には強い人間の悩みというものがある。

強い人間は、決して人に共感はしてもらえない。

人間社会は、ましてや今のインターネット時代にあっては、世の中というのは共感がすべてだ。

そして「上から目線」とか、offensiveなんて言葉が一般化してしまった昨今では、強い人間は共感どころか、反感しか生まない。

正しさを振りかざすことはしたくない、なんて、クリスチャン的なトピックや、政治的なトピックについて話す時も、僕はいつもそんな態度を取っているけれど、なんのことはない、僕みたいな人間は、強さとか正しさとか、そんなものが服を着て、へらへらと無神経に振りかざしまくって歩いているような人間なのだ。

だからほとんどの人は僕みたいな人間と一緒に居ても、どうしてもやっぱり疲れてしまうだろう。あるいはほとんどが脅威とか、危機を感じるはずだ。

だから強い人間にとっては、人と接すること、というのは、ほとんどイコール、人を傷つけてしまうことになる。そして、そんな自分のことが嫌で、また自己嫌悪し、自分を傷つけることになる。

そういうことが、遅まきながら、歳を食ってようやく気付いてくると、うかつに人と接することの意味合いというか、人と接触することで人を傷つけてしまうのであれば、孤独に生きている方がまだいい、という結論に達してしまう。
というよりも、いかに人を傷付けずに孤独に生きていくか、ということが、きっと若い頃から人生のテーマだったのだろう。

ただ、僕の場合は、やっぱりそんな僕でも、隣にずっと嫁さんが居てくれたのが、限りなく大きい。これは、大きな違い、big difference、なんて言葉でももちろん到底足りないことだ。


ただ、そんなふうに孤独を決め込んでいたとしても、自分だけで遠くへ歩けばいい、自分だけで天国へ行ければいい、と考えるには、あまりにも自分は弱過ぎる。

人を救いたい、と思うのは、宗教的に考えれば、慈悲であり、その人の強さである。

けれども、言い方を変えれば、余計なおせっかいというのは、裏を返して自分の弱さでもある。

人に共感してもらえるほとには弱くはなく、
しかし世の中をすべて見捨てることが出来るほどには強くはない。

それは誰だってやはり、人の身であれば、生身の人間だからやはり弱いのだ。

ゴジラが好き勝手にビル街とか住宅地を歩き回るんじゃねえ、というような怪獣状態の僕であったとしても、

たとえそれがゴジラとか怪獣であったとしても、怪獣だってやはり、生身の生物であるからには、やっぱり弱い生き物なのである。

ただ、人を救いたい、と思ったとしても、自分に出来ることなんか何もない、たかが知れている、そのことはもう、十分にわかっている。

人というものは、大抵にして弱いものだ。
それを、俺は、往々にして、気付かない。

そうであったとしても、はったおしてでも、ひきずってでも引っ張り上げる。

それが、やっぱり、俺にとっての愛ってことかもしれない。

怪獣には怪獣の愛し方しか出来ない、ということだ。

この孤独を、たとえあんまりわかってもらえなかったとしても、神ってやつはきっとわかってくれる。

強さと孤独が、孤高って言葉のとおりに裏表だとしたら、いつかも書いたけれど、
神ってやつは、きっと宇宙でいちばんの孤独を知っているに違いないからだ。

キリストが十字架の上で見た孤独にくらべたら、俺の孤独なんて、かわいらしいものだ。

強さと弱さの狭間にある、その愛なんてものを、伝えることが果たしてできるのだろうか。
愛というものは、そんな強さと弱さの狭間でしか、見つけることの出来ないものなのだろうか。

考え込むが、答えは出ない。

そんな自分のことを思って、また「くっくっく・・・」となる。

No(4931)


■…2017年 9月 4日 (Mon).......Dying Prophetの時代劇ミュージックビデオ
"Dying Prophet"という今日のビデオをアップしました。
現在絶賛クラウドファンディング遂行中、10月リリース予定のコンセプトアルバム"Jesus Wind"に収録されている入魂の楽曲です。
こちら

気が付けば、リリース前にも関わらず"Jesus Wind"からの楽曲はこれですでに4曲がミュージックビデオとして公開されています。(本当は、インスト曲を昨年ひとつアップしていたので、それを入れると5曲。)

売る前にどんだけ公開しちゃうんだよ、という気もしますが、今はインターネット時代だしね。音楽を、どのようにして、どんな値段で、売ったり、売らなかったりするのか。それにも僕たちなりの考えがあるのですが、それについて話すのはまた別の日にしましょう。

なんにせよ、この"Dying Prophet"は、入魂の1曲です。
アルバム"Jesus Wind"の2曲目として収録される予定ですが、この数年間、ライヴでもたくさん演奏してきました。
ちょっと難しいリフ、難しいリズムの楽曲なのですが、これをメンバー3人でいつも必死に練習し演奏してきたわけです。

でもソングライティングに込めた色々の思いとか、作曲にあたっての背景を語るのは今日はやめておきます。(疲れてるので笑)
ビデオの内容について書くのもやめておこう。見てもらえばわかるし。

でも、今のImari Tonesの辿り着いたスタイルを、もっとも凝縮したような1曲である、ということは言えると思います。

歌詞のテーマとしては、ライヴでも常に演奏前のMCで語っていたとおり、旧約聖書に出てくる預言者をテーマにした楽曲、という内容です。

No(4930)


■…2017年 9月 1日 (Fri).......思想百花繚乱
結論から言ってしまえばサウンドというのは思想だということになってしまう。
思想なんていう仰々しい言葉を使うのは好きじゃない。
でも思想って何って言ったら、それはある状況の中で何を選び、どういう選択をし、どういう行動を取るのか、その選択の向こう側にある価値基準のことだ。価値基準みたいな何か大きなもののことだ。

ハリケーンの件とか、タイミング的にもクラウドファンディングがひとやすみするタイミングでもあるので、平常運転で好きなように音楽について思索を書き記している。皆さん本当にありがとう。

デジタル録音って何だろうね。
録音って何だろう。音楽って何だろう。音づくりって何だろう。

そういうわけで、ひとつの小さな実験をしてみた。

ちょっと前に、暇があったら試すって言ってた、Harrison MixBusっていうDAWソフトウェア。
デモ版をインストールしてから、ちょっといじってみて、あまりの操作性の悪さ(苦笑)にやる気をなくしていたんだけれど。

ようやく重い腰をあげてトライしてみた。

やってみた実験は、とある自分の曲、過去曲だけど、ピアノの入ってるちょっと恥ずかしい曲(笑)、を、簡易ミックスしてみた。

Harrison MixBusを使って、基本はMixBusについているEQとコンプのみ、外部プラグインは、リヴァーブをふたつと、ドラムにLA-2Aタイプのやつをひとつだけ。

そして比較として、同じ曲を、LogicPro上で、Brainworx bx_consoleを使って簡易ミックスしてみる。
つまり、全チャンネルにbx_consoleを立ち上げて、基本はそれのEQとコンプのみ。同じようにその他プラグインはリヴァーブをふたつと、ドラムにおんなじLA-2Aタイプのコンプ。
ただ、Harrison MixBusは全体がアナログコンソールみたいな設計らしいから、それに近付けるために、リヴァーブのセンドのバスにもbx_consoleを立ち上げてみたし、あとはマスターバスにSonimus Britsonと、テープシミュレーターのNomad Factory Magnetic2を立ち上げてみた。

ちなみに、bx_consoleはなんだかんだ春にバーゲンになっていた時に結局入手してしまっていたものだけれど、Plugin Allianceの製品は、僕は使っているMacが既にバージョン対応しないので、もう衝動買いしないで済む、んだけれど、そいでも過去バージョンもまだダウンロード出来るので、先月にも10周年セールとかでクーポンを大盤振る舞いしていて、なんとタダで2つもプラグインが入手できてしまった。

それは関係ないにしても、bx_consoleは評判のすごいプラグインだが、ごく最近、SSLをモデリングしたという、bx_console Eってのと、Gってのが出たみたいなんだが、それの評判もすごく良いっていうかハイプしてるみたいだが、僕はそれは完全にバージョン対象外なので問題外なのであった。

で、その[MixBus]バージョンと、[bx_console]バージョンと、あとは今年の春にミックスし直してRevision版としてリリースしたその曲の正式バージョンと比較して、その[アナログモデリング]の効果のほどを検証してみようと思ったのだ。

ちなみに、[MixBus]バージョンも、[bx_console]バージョンも、一応T-Racks Classicを通して簡易マスタリングをした状態でリスニングした。


で、結果から言うと、どちらもすごく優秀でびっくりした。

本当にさくっと簡易ミックスを1時間もかけずに作っただけなのだが、正直なところ、MixBusで作業している最中、その「いかにもアナログ」な音楽的な音に、びっくりしながら作業していた。

そいで、bx_console on LogicProでやってる時には、「うん? ちょっと音かたいかな」とか思っていたのだけれど、出来上がった2mixを聴いてみると。

MixBusバージョンと比べて、微妙なところではあるが、bx_consoleバージョンが、どうやら勝ってしまったようだった。

bx_consoleは、Neve VXSというコンソールをモデリングしたプラグインだ、ということだけれど。
音の密度とか実体感とか、くっきり感とか、全体のミックスのクオリティや存在感で、結果としてこっちの方が良い結果が出た。

とはいってもHarrison MixBusがダメなわけでは全然なく、やはり全体の設計からか、「アナログ的」なニュアンスは実にそれっぽい、高級感とか、なじむ感じとか、驚くほど出ていたと思う。たぶん「いかにもアナログっぽい」音でいえば、こっちの方が上かな、っていう。
しかし、とはいえ、「アナログっぽい音」と言っても、それは良いところばかりではなく、逆に「音がなまる」という言い方も出来るわけで。

もうひとつ言ってしまえば、今回MixBusとbx_consoleを比べて、bx_consoleバージョンの方が良い結果になったが、それはひょっとすると、マスターバスに置いたSonimusとか、Nomad Factory Magnetic2の所為だった可能性もわりとある。Magnetic2も、かなり濃い目の味付けのセッティングにしてしまったし。結構強力だから、あれ。

もうちょっと冷静に比較すると、Harrison MixBusは優秀だが、EQの選択肢として、MixBusは3バンドだが、bx_consoleは4バンドあり、また周波数やQ幅の設定もbx_consoleの方が自由度が高い、とか、そういう点も原因かもしれない。

コンプレッサーはどちらも優秀だったと思う。ぱっと試しただけだからどっちのコンプが良いとか言えないが、設定の自由度でやはりこれもbx_consoleの方が自由度が高いのも事実だ。
EQの効きはどちらも自然で素晴らしい。bx_consoleのプラグイン界最強とも言えるナチュラルなEQは評判が高いが、それと比較してひけをとらないMixBusも素晴らしい。

そして、それぞれ30分とか、1時間もかけずにぱぱっと作った簡易ミックスなのに、いや、簡易ミックスで余計なエフェクトかけずにシンプルな音作りだから余計にそう感じるのかもしれないが、
そんなテスト用に作った簡易ミックスにも関わらず、かなり良いというか、あれ、これ、正式リリース版よりも音良いんじゃね、みたいな、ちょっとしたショックもやはりあった(汗)

3月だか4月に作った正式revised versionだって、それこそPAの高級EQプラグインとか、覚えてないけどアナログっぽいニュアンスならたぶんWaves NLSとか、使ってるはずなのだが、シンプルな音のくっきり感とか、やっぱり、うーむ、と、感じるものが。

まあ、冷静に聴き比べてみたら、やっぱり全体の演出とか雰囲気とか、各パートの音の役割とか、正式リリース版の方がやっぱり良いな、って結論にはなったんだけれど(安堵)。

どちらにせよ、bx_consoleにせよ、Harrison MixBusにせよ、その性能の素晴らしさに感銘を受けた。

Harrison MixBusは、値段も安いし、バーゲン時には20ドルくらいになってたりもするみたいだし。「いかにもアナログ」っていう音の方向性さえ合えば、そういう音作りが好きなミュージシャンには良いかもしれない。
しかし、画面構成とか文字とかツマミが小さいとか、あの操作性の悪さはいただけない。音が良いだけにそのへんはかなり残念である(涙)。


と、このアナログサウンドを再現したふたつのツールをひととおり賞賛したところで、果たしてアナログとか、デジタルとか、そこについてもういっぺん考えてみたい。


なぜって、たとえこうして、MixBusやbx_consoleで実験して、良い感じだったからといって、じゃあ自分のバンドの次の作品で、MixBus使うか、って言ったら、絶対使わないし。
同様に、bx_consoleも、曲によっては、場合によっては、使うかもしれないけれど、それでも「全チャンネルに立ち上げて本格的なアナログサウンドを目指します」みたいな使い方は、たぶんきっと絶対にしないだろうと思う。


いつも言っているように、僕は「アナログ的なサウンド」とか「アナログ的なニュアンス」というものには憧れるが、かといってデジタル録音というものを全然否定しない。

今回も、検証してみて、いろいろ考えてみて。
あらためて思うのだけれど、

やはり、録音とか音作りの自由度ということで言ったら、アナログよりもデジタルの方がその自由度とか選択肢の幅は圧倒的に上だと思う。

そもそもがアナログ的な音ってどういうんだろう。
僕だって、デジタルの世代には入るから、それに高級なアナログ機器に実際に触れた経験なんてごくごくわずかだから、正確なことは言えない。

けれども、アナログ的な音の特徴と言えば、
うーん、なんだろう、
音が太い。
音がなじむ。
音に実在感、存在感がある。
音がやわらかい。
音がしっかりとそこに固定されている感じがある。
自然なコンプレッション感がある。
なんか雰囲気がある、とか。
そして、逆に言えば、
音がなまる、
音がくもる、
などのデメリットもあると思う。
あとは本物のアナログであれば、ノイズが入るとか、テープなら、時間とともに劣化するとか(汗)

で、デジタル録音の時代になって、アナログの「にぶい」音ではなくて、理想的な、正確な録音ができるようになったはずだったのだけれど、
いざ、正確な音で録音というか、記録をしてみたら、
それが、ぜんぜん味のない、そっけない、使いにくい音だった、と。

だから、真空管を使いましょう、とか、トランスフォーマーの音が、とか、そういうので味付けをする、みたいのがあらためて着目されるようになったわけだ。

無色透明なところから、どうやって味を付けていこうか、という。

でも、その味付けをするという行為が、とても難しかった。

つまり、デジタルの音世界において、音に味付けをする、ミックスを構築するという行為は、それはより自由度の高い、高度な創作行為になってしまったのだと思う。

だから、みんなデジタルの音は味気ない、とか、デジタルはだめだ、とか言ってみたり。
そして味付けをする方法が、いろいろと考案されていく。
プラグインから、マイクから、プリアンプから、アウトボードから、マスタリングがどうの、モデリングがどうの。
結局、その味付けは、どれも大抵はアナログをお手本にするしかないのだけれど。

昨今はやっている、bx_consoleもそうだけれど、そういったコンソールエミュレーターみたいなものは、その「アナログ録音回帰志向」の最たるものだと思う。たぶん。

じゃあ、そんなにアナログ録音が優れていたのか。

俺は思う。
音という、まさにとても人間の手には負えないような、巨大な怪物、果てしのないテーマ。
形のない、目にも見えない、つかむことのできないこの音という魔法、ないしは物理現象。

そんなものに、立ち向かって創作なんてものをするにあたり。
アナログのコンソール、それらの昔の音響機器。
それは、方向性というものを示してくれていた。
ひとつの方向性、ひとつの思想に基づき、あらかじめ、その世界観の中で音作りが出来るように、レールのようにシステムが構築されていた。

だから、アナログのコンソールでミックスをするのは、たぶん簡単だ。

今回も、MixBusとか、bx_consoleをいじってみても。
各チャンネルに、EQとかコンプとかゲートとか付いていて。
それらが実に強力なもので。
それを使えば、音作りが完成してしまう。
その他に「アウトボード」なんかは、ひとつふたつ、みっつくらいあればいい。
10も20も、いわんや100も200も、プラグインを立ち上げる必要もない。

そうやって出来た音は、シンプルではあるが、きちんと伝わる「正しい音」であり、そして説得力に満ちている。

だが、本当に、それだけでいいのか。

信仰の世界でもそうだし、どんな世界でもそうだ。
教育でもそうだ。人を教え導くときは必ずそうだ。

まず、ひとつの基本形、ひとつのお手本、ひとつの教えが示される。
だけれども、そこから、もっと自由な、もっと高く、広く、果てしのない世界に旅立つ日がやってくる。

音という途方もないものに向き合うために、
昔の偉大なオーディオ設計者たちは、アナログコンソールという基本システムを作り上げてくれた。
それに従って音を作れば、まず間違いのない音が作れる。

だけれども、それだけで本当にいいのか。

一応はデジタル世代の僕としても。
今回これらのMixBusやbx_consoleをいじっていても。
そして昔のCDとか80年代以前の録音を聴いてみても。

え、音作りの方向、これだけなの?
音作りの幅、これだけなの?
それって、全然自由が無くない?
って、思ってしまう。

確かに、それはアナログ的な「良い音」なのだけれど、
その中だけで自分にとっての自由な表現が可能になるとは思えない。

アナログコンソールという、優れたシステムを使えば、間違いのない音作りが、シンプルに簡単に出来るが、だがそれは、シンプルなだけに、つまらない音になってしまう可能性も大いにある。そして、実際にそういうレコードは、世の中に多々あったではないか。


僕は、アナログ的な音は大好きだ。
昔のレコードが大好きだ。
アナログ録音のギターの音で言えば、たとえば、ジャンキーな例えではあるが、80年代のスラッシュメタルのレコードとか大好きだ(笑)

だけれども、それと同じくらい、デジタルの時代になってからも、素晴らしいデジタル録音のレコードを、いくつも知っている。そんなサウンドに夢中になり、感動して涙を流した経験だっていくつもある。

だから自分にとってのアナログ的なニュアンスというものは、
実際のアナログをはみだした、デジタルの世界の中にあったのではないか。
そんなことを、思わずにはいられない。



音というものは思想だ。
どのような立ち位置なのか。
どのような姿勢なのか。
どのような価値観なのか。
どこにいるのか。
どこへ向かうのか。
それらをすべて表す「思想」の現れだ。

その昔、アナログ録音、アナログコンソールという「思想」があった。

それはそれは、とても偉大な「音の思想」であり「方向性」であり「価値観」であった。そして「世界観」であった。
その中で、たくさんの偉大なアーティストが、偉大なレコードを作ってきた。

けれども、時代が進み、もっともっと自由で、もっともっと多様化した思想が、音楽の中に求められ、表現される、そんな時代になった。

そこにはもう「教科書」も、「ルール」もない。
それぞれが、もっと自由な価値観で、もっと多様な選択肢の中で、音を作る。
その自由度の高さと、保証の無さに、途方に暮れてしまう人も多いかもしれない。

でも、そのより高く、広い、音の世界の中に、勇気を出して、嬉々として、踏み出していく人たちがいる。

だから、僕ももっともっと挑戦していきたい。

と、まあ、そんな感じの結論。

-

なのだけれど、ついでに話題を変えると、最近ずっと、自分の作品の再アップを、各配信サイトに、行っていて、アグリゲイター変えた関係で。

その中で、1999年に作った"Kodomo Metal"っていう作品をあらためて聴いてみたら、うわ、よくこんな音、録れたな、って。

DAWとか、パーソナルなデジタル録音、パソコンを使ったホームレコーディングの黎明期。
使ったのはCubase。
マイクプリはArt TubeMPと、JoeMeek VC3だった。
ギターはGov'nor(Made in Korea)のペダルを、1x12のコンボアンプで鳴らした。

マイクはSM57の他に、CAD E-300。これが良いマイクだったのかもしれない。
あるいは、Echo社のサウンドカードが良かったのか。20bitのコンバーターだったけれど、音は良かった。

DAWデジタル録音の黎明期と言える、そんな時期に、ごくごくシンプルに、今みたいな高性能なモデリングのプラグインとかも存在せず。
なんでこんな音が作れたのか。

若かったから、とか言ってしまうと話がそこで終わってしまう(笑)

でも、自分なりの、「デジタル録音」のひとつの例として、提示できるレコードだと思う。

一人宅録で作った作品だけれど、いまだに、未だに、今ダニ、今にいたっても、ひょっとしてこれを越える作品を作れてないんじゃないかと、時々思うくらいの。
若さ、とか、あるけれど、きっとこれも、「デジタル」だからこそ出来た作品。

興味を持ったら、ぜひ聴いてみてください。
恥ずかしい曲もあるけれど(笑)、きっとぶっとぶと思う。

こちら

No(4929)



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