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2017年 5月の日記です


■…2017年 5月21日 (Sun).......Feed the machine
正直なところ、羨ましい、なんていうと嘘っぽいか。
しかし、単純に分野として研究やこうした発表の機会が無いだけかもしれないが、作曲の分野で。
コンピュータや人工知能が作り出す楽曲(あるいは演奏)に感動し、人間には敵わない、なんて思える日が来るのだろうか。
すでにそういう技術はあるのかもしれない。でもたぶん権利の関係とか、実用には至らないのか。
作曲ソフトとか、そういうの使っている人はたくさんいるのだろうけれど。
すげえ感動できる、ぶっとばされるような音楽を聞けるのであれば、それが人工知能が作り出したものでも構わない。
人工知能が作り出すシンフォニーが、ベートーベンとかモーツァルトを越える日を、見てみたいし、その音をぜひ、聴いてみたい。
逆説的だが、結構本気でそう思っている。


こちら
佐藤名人がソフトに連敗「私にない将棋観や構想」

No(4889)


■…2017年 5月21日 (Sun).......Getting Ready for an New Adventure
-Getting ready for a new adventure-
[一種の近況報告]

先日の「切り売りデモ」の添付文書を、あんまり人目につかないように、わざわざこっそり、深夜の時間帯にアップしたのだけれど(笑)
その中に、ぱっと見てネガティヴに聞こえる言葉とか、あるいは、「これをImari Tonesのひとまず最後の作品にする」みたいな言葉も書いてあるので、さっくり見ただけだと、ああこれでTone君は音楽やめるのかー、とか思った人もいるかもしれません(苦笑)

まぁ、いつも、はやく音楽やめたい、って言ってる人だけれど、僕は。

なので一応。
よく読めば、内容はその真逆だということがわかると思います。

そもそも、「現体制のImari Tonesとしてひとまず最後にする」と書いた作品が、まず、3つ先のアルバム。つまり、今年、歴史ものコンセプトアルバム"Jesus Wind"を、早ければ夏の終わり、遅くても年内、にはリリースして。その次に、ひさしぶりの全部日本語アルバム"Overture"を作って(現在絶賛リハーサル中)。その次にやろうと思ってるのが、その「ひとまず最後」と書いた「切り売りプロジェクト」。そこまでやるのに、まず何年かかると思ってる(笑)

その「切り売りプロジェクト」も、「今の形のImari Tonesとして最後」というだけで、「バンドとして最後」というわけではない。
最後に控える、究極の到達地点、大ボスである「鍋島」。
その「鍋島」を作り上げ、鳴らし終えるまでは、俺は音楽をやめないでしょう。
そして、その大ボス「鍋島」が、あまりにも巨大で、遠いので、「今のままではたぶん無理」と判断して、「環境を変えなければならない」と感じているのです。

実際のところ、昨年、"Jesus Wind"を完成させて、その後、「鍋島デモ」を作り上げた後、「さあ、ゴールが見えた。年齢も年齢だし、やっとこれで俺も音楽をやめることが出来るかな。」と思っていたところ。そして、好きなバンドとか、世界の音楽状況のあれこれを見て、たそがれていたところ。

その時に俺が神さんに言われたのは、「お前はこれまで音楽をやってきたと思っているのか。それは違う。お前はこれからやっと、本格的に音楽に向き合うのだ。」と言われて、もちろんその時は、「うそやん」と思ったが、その後色々考えて、感じて、そして「切り売りプロジェクト」などの曲も作り、今はそのことに確かに納得している。

そして、もちろん俺もいい歳であることに変わりはないのだけれど、どういうわけか、体の中に、自分の中に、次々にエナジーが湧き上がってくるではないか。そして、まるで日々、若返っていくように、(途方に暮れているのと同じくらいに)、新鮮な気持ちが湧き上がってくるではないか。

音楽的な面を含めて、そして音楽的なものとか、目に見えないことが実際は多いけれど、俺はこれまで、神さんからいっぱい祝福をもらってきた。だけれども、音楽とか、目に見えないことというのは、あんまり人には理解されない、というよりは、そもそも認識されないらしい。
これは、つまり、俺が若い頃にうちの嫁さんに出会った時に、その嫁さんとの関係が、いかに大きな「祝福」で、自分にとって言葉にできないほどの意味を持つものなのか、当時、周囲の人たちには、まったくわかってもらえなかったのと、同様のことだ。

たとえば、例にたとえれば、ある男女(男女、とすら限らないかもしれないが)が、深く愛し合って、人生のパートナーとして年月を生きてきたとして、けれども戸籍にそれが登録されていなければ、世間はそれを「無関係の他人」と看做す、それとおんなじようなものか。(もちろん、現実には内縁の夫婦とか、いろいろの法制度がある。)

同様に、神さんと俺の間にある関係、約束、祝福、そういったものが、どれほど大事なもので、それが今まで、どれほどに俺を助けてくれて、どれほどに祝福してくれたのか、周囲の人にとっては、それはあんまり問題ではないみたいなのである。

それはたとえば、キリストさんがこの地上に居た時に、人々はイエスさんが起こす、奇跡とかしるし、水をワインに変えるとか、死人をよみがえらせるとか、そういう奇跡は理解もしたし、認識もしたけれど、イエスの起こした本当の奇跡、すなわち愛の奇跡ってやつは、理解もしなければ、そもそも認識もできなかったのと、きっと同じことだ。

人々はわかりやすいしるしってやつを求める。2000年前も、現代も。
だからわかりやすいしるしとか奇跡ってやつを見せるのは、たやすいことだ。
けれど、愛ってものに忠実でいることは、簡単に見えて、どうやら、きっと、そんなに簡単なことではないらしい。

それはすなわち、この世界にたくさんのバンドとか、音楽グループが居て、いろいろライヴを見てみたり、レコードを聞いてみても、本当に良いと思えるものは、悲しいほどに少ないのと、同じことだろうと思う。(悪くないね、っていうのは、もちろんいっぱいあるけれど。)


バンドが音を鳴らす時に、そして、日本のロックバンドが音を鳴らす時に、そしてもっと言えば、特に日本のメタルバンドが音を鳴らす時とか。
そこに、Glass Ceiling、ガラスの天井、みたいなものがあることに、気付いている人も、きっとたくさんいると思います。というよりは、みんな、無意識にそう考えているからこそ、そこに天井があるのだけれど。

そして、大抵は、その天井のガラスの中でしか、皆、音を鳴らそうとしない。
よくて、その天井の下にある、どこかの棚の上に、収まろうとするのが精一杯。

バンドが、音楽家が、音を鳴らすとき、そこに、音楽的な要素も大切ですが、それ以上に、社会的な要素も大事になってくる。
それはロックミュージック、ポップミュージックとしては当然のことであり、また、そのような状況や制約の中で、どのように音を鳴らし、そのようにその音を使って、どのような意味をその音に持たせるのか。それも音楽家の生き方であり、また腕の見せ所でもあります。

そして、その音楽的な要素(教義)と、社会的な要素(教え広めること)の葛藤は、古今東西の音楽家、芸術家のみならず、大衆の救済を目指す宗教家にも共通した要素であったと思います。古今東西、魂の救済というものに向き合った宗教家は、皆そのことに苦悩したはずです。

戸棚の中に収まろうとするのも、それが、その音楽家の生き方であるのならば、それは決して悪いことではない。

けれども、日本のバンドが音を鳴らす時に、無意識に、そして現実にやはりそこにあるそのGlass Ceilingのことを思うとき、どのようにしてその天井を打ち破っていくか。あるいは、打ち破らないとしても、どうそこを迂回し、その先へ向かうのか。
そのことは、やはり僕の音楽人生にとっても、ひとつのテーマであったと思います。

キリスト教というテーマ、クリスチャンロックというものに向き合ったのも、西洋と東洋のさらなる融和を目指す、そのテーマの一環であったかもしれませんが。あるいは、神に出会いたいというその一心だったのか。

その、自分にとってのひとつの到達地点としての「鍋島」を、私は今、射程距離にとらえています。
そして、「鍋島」を作り上げ、鳴らし切ったら、その時こそ僕はやっと、音楽をやめることが出来るでしょう。
けれども、それがあまりにも遠く、巨大なものであるために、僕は途方に暮れているのです。

なんか、自分の身辺をめぐる状況は、めまぐるしく進んでいっています。
あるいは進んでないかもしれないけれど、でもきっと、自分で思う以上に早く進んでいる。
やっぱりこれは、神さんなり、誰かが、背中を押してくれているのだろうか。

今の3人で作り上げる最後にしよう、と考えた「切り売りプロジェクト」さえも、ひょっとすると、今の3人では間に合わないかもしれない。でも、それならそれで、かまわない。どのような形で、どのような音を鳴らすべきか、それは、すべて神が決めることだ。

どこへ向かうのか、わからないけれども、それが「約束の地」であり、その「しかるべき場所、しかるべき時」において、その「鍋島」をきっと鳴らしたい。

そこまで、実際に生きて辿り着けるかどうか、それはもちろん、わからない。

展開の早さ、および遅さ、には、ばっちり痺れているが、自分の心は、とてもわくわくと期待を感じている。

No(4888)


■…2017年 5月19日 (Fri).......切り売りデモ、完成
デモを作った。
書き下ろしを4曲と、過去曲のリサイクル2曲。
内部文書っぽいのポスト。
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「切り売りデモ」説明書

今回のこの「切り売りプロジェクト」を思い立ったいきさつを再度書いておきます。
“Jesus Wind”の売り込みを2017年初頭に(やっと)行いましたが、その際にイタリアのうんたらRecordsというところと話をしました。うんたらRecordsは、決して大きなレーベルではなく、リリースしている音源、バンドも正直なところ玉石混交ですが、過去にはそれなりに有名なアーティストもリリースしており、またヘヴィメタル界の中でもそれなりに人脈のあるレーベルです。

そのうんたらRecordsからのリリースを検討した時に、今の時代にあってはレーベルから出すことの意義も薄れていることから、また”Jesus Wind”は日本の歴史をテーマにしたコンセプトアルバムであり、一世一代の「預言書」でもあり、私にとって非常に重要な意義を持つ作品なので、そういった大事なアルバムを、大手ならともかく、小さなレーベルから出すには抵抗がある、という結論になりました。しかし、小さなレーベルからであっても、出すことのメリットもやはりあるのも事実です。であれば、そういったレーベルから気軽にリリースできるような「それほど重要ではない作品」を作ればいいのではないか、という発想に思い至りました。

その結果、いくつかの楽曲を思い付いてしまい、その楽曲の出来も、良い感じに「売れ線」(ヘヴィメタル的な意味で)だったため、これはやってみる価値がある、と決断しました。

今回、書き下ろした4曲に、「熱きリョウとジーザスモード」用に作った残りの曲を2曲加えて、合計6曲のプロジェクトです。

また、この「切り売りプロジェクト」には、この3人、現体制のImari Tonesで作る最後の作品、という意味合いも持たせています。
既に何度も伝えていると思いますが、私はImari Tonesの最終到達地点である「鍋島」を鳴らすためには、現在の環境、現在の状況では難しいと考えており、「鍋島」を作り上げるためには色々な面で環境を変える必要があると考えています。そして、その環境を変えるにあたって、物理的にも気持ち的にも、おそらく君たちは着いてこれないのではないか、と予想しています。もちろん、先のことはわかりませんし、絶対とは言えませんが、そんな予測をしています。

この3人で作る最後の作品、という意味合いでは、「鍋島」の前奏曲である”Overture”プロジェクトにも、今現在、取り組んでいる最中ですが、あれは日本語の作品で、音楽的にも今までのImari Tonesとは毛色の違うものです。また、必ずしもハッピーとは言えない曲もいくつか入っています。(日本語で歌詞を書いたので、社会風刺とか批判とかも入ってしまった)

なので、”Overture”を最後にすると、ちょっと自分としては後味が悪いこともあり、英語で海外に向けた、ポジティブで元気いっぱいの、ストレートなハードロックである、この「切り売りプロジェクト」を作り上げ、きちんと世界に向けて発表して、それを現体制のImari Tonesの「ひとまず」最後の作品としたいと考えています。

現在やっている、”Overture”プロジェクトが7曲、そしてこの”切り売り”プロジェクトが6曲、なので合計13曲と、数は多いですが、前作「Jesus Wind」と比べれば簡単な曲が多いので、技術的にはそれほど苦労はしないはずです。

イメージ的には、年内(2017年)ないしは、2018年初頭までには全曲のリハーサルを終えて、2018年前半にレコーディングをしたいと思っています。また例のごとく2月くらいからドラム録りに取り掛かることが出来たらベストかな、とイメージしています。
駆け足になりますが、コンスタントにリハーサルを進めていけるよう、協力してもらえると幸いです。


デモの曲目は以下です。
最終的な曲順は決まっていませんが、今の段階では以下のようにイメージしています。

1: Love Resurrection
2: Message From Above
3: Love Wars
4: You’re In Hell
5: Just Another Crazy Night
6: Diary of a Godman

ちなみに、これも最終決定ではありませんが、”Overture”の曲順は以下のようにイメージしています。

1: Overture
2: Discarded World
3: Born Again
4: Forgiven
5: さむらわない
6: Revive The Nation (ラップの曲)
7: Cat Licks
8: 誰も神を見ない (アコースティック)
9: 言葉 (アコースティック)
10: Mistake

(Revive The Nation、誰も神を見ない、言葉、は既にレコーディング済みです。残りの7曲をバンドでレコーディングします。)

では、以下に楽曲の解説を記します。
歌詞もタイトルもおおよそだいたいストレートでわかりやすいクリスチャンものになっています(笑)
今回ベースは全曲指弾きです。(”Diary of a Godman”のみピックか指かよく覚えていないが、たぶん指だったと思う。)どちらにせよ、やりやすい方でやってください。
また、ドラムとベースのみの「リズムデモ」をいつものように別途送っているので、参考にしてください。

1: Love Resurrection (BPM 188)
これはWinning Songっぽい曲だと思います。間奏部分のリズムがレゲエっぽくなっている部分については、かなり適当にやってしまったので、リズムパターンなど、まだちょっとアレンジの余地があるかもしれません。

2: Message From Above (BPM 186)
ストレートなロックソングです。勢い重視でいきたい曲です。
イントロはドラムから入りますが、カウントの後、4拍目の頭でキックが入り、4拍目の裏からスネアが入るので、ちょっと取りづらいかもしれませんが、慣れれば難しくないはずです。わかりやすいようにイントロにクリックを入れてあります。どうしても入れない、と言われたら変えます。

3: Love Wars (BPM 194)
Faith Rider的な雰囲気を狙って書いた、いかにもヘヴィメタルな曲です。

4: You’re In Hell (BPM 178)
今までの曲だと”Invisible Rain”あたりに近い雰囲気の曲です。ギターはノーマルチューニングなのですが、サビの部分の重さを出すため、ベースだけドロップDになっています。わかんないと思いますが、タイトルにひっかけて、歌詞にちょっとRATTのパロディが入っていたりします。

5: Just Another Crazy Night (BPM 143)
ジーザスモードでやっていた曲で、そっちでは「God Night&Day」って呼ばれてたと思います。AC/DCみたいな感じの古くさいロックです。ジーザスモードでは熱きリョウが日本語で歌っていましたが、歌詞を英語で書き直した結果、すごいおバカな内容のパーティーソングになりました。クリスチャン的な要素は1ミリもありません(笑) LoudnessにせよE.Z.O.にせよAnthemにせよ、日本のメタルバンドが海外進出しようとする時に、いつもバカみたいな歌詞のパーティーソングをやっていたので、その例に倣ってみる意味合いもあるかもしれない(笑) イントロのギターリフは裏から入っているので、カウント聞いてれば大丈夫だと思うけど、一応、注意。

6: Diary of a Godman (BPM103、間奏部分のみ95)
これは「しましまデモ」にも入っていたと思いますが、これもジーザスモード用に書いた曲です。しかし内容的に難しいこともあり、ジーザスモードでは結局やらずに終わってしまいました。内容はもちろんOzzy OsbourneのDiary of a Madmanのパロディです。クリスチャンメタル的に、この内容でパロディソングをやると話題性があるんじゃないかな、と思い、ちょっとそのへんを狙って、やってみることにしました。バンドでやる際はイントロのアコースティックギターは省略してやればいいと思います。注意点は、間奏のアコースティックっぽい部分(2:57~3:27)でテンポが若干変わる(103--95--103)ことです。レコーディングの際にはクリックやガイドトラックを聞いてもらえば問題ないと思います。

No(4887)


■…2017年 5月15日 (Mon).......いつだってそれは恋と同じだったそういう記憶
[こっそり日記]
[ロマンティックな話ではあるが、ネガティヴな言葉もあるのでポストするか迷うけど、やはりロマンは記録しておきたいので乞う掻く喜怒歌い]

人生の中で色々なことが進み、色々の次の段階に向けた準備に奔走し、いろいろなことが起こる中で、考えることはやはり自分が鳴らすべき音楽のことである。

バンドというのは不思議なもので恋愛に似ている。
これは言うまでもないくらい当然のことで、
それは個々人が鳴らすべき音というのは言うまでもないくらいにパーソナルで個人的なものであるからである。個々人というものを盛大に愛という名のもとに大きな音で鳴らし共有するからのロックンロールの特殊性と可能性である。つまりそれは肉体を伴う愛の伝播だ。

恋愛というか、日本語で言うところの恋というものは運命に引かれていく引力のことだと理解している。運命と言えば聞こえはいいが、要は「試練」のことである。大抵はそれは「試練」ということとか、いろいろの世の中の問題とか矛盾に向き合うことを意味することになる。

バンドが恋愛と同義になってしまうのは、おおよそそれがやはり、男女関係と同じように、何かを生み出すにあたって、未来を作り出すにあたって、「運命の引力」が作用するものだからだろう。

これも何度も書き記していることであるが、僕は自分の人生において恋愛というのか男女関係というのか、まあ嫁さんとは、理想的な人に、人生の早い段階で出会うことが出来たため、その他のこと。すなわち、友人関係、仕事関係、そしてバンドメンバー、などの巡り合わせに関しては、ある程度達観しているところがある。

つまり、結構に奇跡的な幸運で、男女関係においては、ばっちりと「正しい相手」と出会えたのだから、その他のことは、多少、めぐりあわせが悪くとも、時間がかかろうとも、あるいは試行錯誤をするはめになろうとも、構わない、というか、その覚悟をしておこう、ということだ。

もちろんうちのバンドに関しても、活動状況もそうだが、メンバーの変遷も、これまで、人並みに人員の交代は何度もあった。けれども、ありがたいことに、2007年夏にはっしーが加入し、2008年秋にジェイクが加入してから、その後はずっと安定して、同じメンバーで、ひとつのテーマ(クリスチャンメタル)のもとに、活動してくることが出来た。とてもありがたいことだ。

そうはいっても、昨年、あるいは下手をすると一昨年くらいから、周囲の近しい人、近しい友人たちは、僕が「ふふふ、そろそろメンバーを入れ替えて、バンドを作り直す必要があるかな」とか、そういう発言をしていることを、知っているかもしれない。

しかし、そうであっても、たとえうちのメンバー、リズム隊の二人が、「技術的には正直言って中の上、というよりは中の下」であったとしても、それでもこのメンバーだからやれたこと、このメンバーだからやってこれたこと、このメンバーだから鳴らすことの出来た音。それは確かだ。

今のところの決定事項によれば、僕は、4月上旬に作曲作詞したところの、どっかの海外のレーベルから出すために適当に作ろうぜ、な趣旨のプロジェクト、題して「切り売りプロジェクト」は、バンドできっちりやるつもりでいる。
つまりは、僕が一人で録音してしまうのではなく、きちんとバンドで鳴らし、バンドでアンサンブルして、作り上げよう、ということである。

それは、やはりセンチメンタリズムであって、ロマンティシズムであって、そして人情でも感情でもあり、そしてやはりそれは「恋愛」であると思う。

この3人で鳴らすべき音を、最後の一音まで鳴らし切るまでは、たとえそれで活動に色々制限や制約があろうとも、最後までやり切ろう。鳴らし切ろう。という、そのロマンティシズムだ。

つまり、バンドの活動にあたって、とっととメンバーを交代して次に進んでしまった方が得かな、と思っても、やっぱり僕としては、ベタベタにウェットに感情的に判断し、「なるべく最後まで、やれるとこまで、作れるとこまで、この3人で作ってみよう」ということである。

"Overture"プロジェクトを録音制作するのであるが、Overtureプロジェクトの録音だけであれば、2017年の年内ですべて完了してしまうかもしれないが、この「切り売りプロジェクト」をそれに加えることで、もう数ヶ月、あるいは半年くらい、この3人で一緒にやる期間が伸びるかもしれない。

それはやはり、もちろん、楽曲というのは、ロックというのは、皆で、アンサンブルで、鳴らす方が楽しい。バンドでアンサンブルする方が、絶対にいい。それもあるが、やはりそれは、感情であり、惜別であり、センチメンタリズムなのだ。

そして、うちのバンドはやはり、それでいいと思う。
演奏の技術や、才能の有無よりも、それぞれの良いところを生かしていこうという、センチメンタリズムで僕はバンドを運営してきた。もちろん、だからこそ世に言う成功からは遠ざかってきたかもしれないが、でも、そのぶん「そうあるべき音」「なんか味のある音」は鳴らすことが出来たはずだ。

最初からそうである。
そして、やはり最後までそうあるべきだ。
鳴らすべき音を、きちんと、最後の一音まで、鳴らすこと。
そこに、男女関係と同じ、恋愛にも似た「運命」や、「約束」を見るべきだ。
ロックバンドというものは、だからこそ特別なものであり、かけがえのない「天からの使命」なのである。
そこにはやはり、どこかの古い作曲家の言葉ではないが、「ひとつの音たりとも、無駄に扱ってはいけない」のである。

そうはいっても、思っているように、うまくいくかどうか、それはやってみなければわからん。

だが、その「かけがえのなさ」は、これまでも、これからも、忘れずに知っておきたい。

地球のどこでもない。
歴史のいつでもない。
今、ここで鳴らす音こそがいちばん大事なのだと。


No(4886)


■…2017年 5月13日 (Sat).......細かいポストはFBにしていたが
この前、眠れなかった夜に、James Bondの007の映画の古いやつを見ていて、というのは、家になぜかDVDが数枚あるので。
で、久しぶりに見たら、主題歌にぶっとんでしまい。
いや、もちろん、歴代のJames Bond映画の音楽なんかどれも素晴らしいに決まっているんだけれども、この曲ね。Tom Jones。
こちら

Wikipediaによればこの最後の音を伸ばした後に、彼はヴォーカルブースの中で気絶したんだとか。すげえ声、と思ったけれど、音程はAシャープ。訓練されたシンガーにとっては、それほど高い音ってわけじゃあないよね。バリトンということか。でも、ほんとにすげえ声。

やっぱり、ロックバンドとかシンガーソングライターとかそういうのが出てくる前から活動してる、昔の「歌手」の人たちは、がぜん違うよね。歌唱力うんぬんじゃなくて、もう歌うってことの意味合いがまったく違う。映画が「銀幕」と呼ばれていた頃の名俳優を見るような。文字通り国中でいちばん歌がうまくて、魅力的な人が一流の歌手になっていた時代だったんだろうから。当時の日本の歌手とかだと例えば・・・「母さん、僕のあの帽子・・・」・・・違うか。時代も違うな。・・・やっぱ演歌なのかな、層が厚いのは。

そういう思いは、たとえばBurt BacharachのコレクションCDみたいのを聴いても思うことだけれど、そのバカラックのボックスセットみたいのの中にも、当然ながらこのTom Jonesも入っているよね。例のPussy Catなんちゃらいう曲だったか。

時代を見ると60年代。つまり、ビートルズが活躍していた時代だったわけで、そう考えると、007映画のテーマソングのあの有名な「でんでれでんでーんででーん」というエレクトリックギターの低音弦のフレーズは、クラシックなサーフロックサウンド、ではなく、もちろん「最先端のサウンド」だったに違いない。

古き良き時代、みたいなことも言いたいけれど、けれども古き良き時代なんて言ったって、本当はそれほど「良い」なんて言えないこともいっぱいあったことも知識としては知っている。
つまり、世の中はそこからずっと進歩して今に至るわけで。
良くも悪くも。
この往年のJames Bondムービーが描いている世界が、白人欧米権威権力男性優位支配主義みたいのが丸出しであるように。でも、それだからこそゴージャスでかっこいいんだけれども。そこに示されるジェームズ・ボンドのダンディズムはむしろ反骨精神に溢れたものであるし。
だからこそ時代が進み、ピアース・ブロスナン・ボンドとか、ダニエル・クレイグ・ボンドでは、時代に合わせて、表現の仕方を変えてきたわけだ。

(なんだかんだ、私はやはりショーン・コネリーは一番だと思いますが、しかし顔で選ぶとティモシー・ダルトンは結構好みなのです。ピアース・ブロスナンは楽しいけど、あの人が画面に出るとコメディになりますよね。もちろん、それが時代に合っていたから支持されたのだけれど。)

だからって、Adeleが歌った"Skyfall"を聴いても、やっぱり「なんだかな」と思ったけれども(映画は良かった)。やはり古き良き時代、なんて言わなくとも、得るものと失うものはやっぱり何か、引き換えになるらしい。感動したかったら、インディー作家が作っているものを見た方がいいかもしれない。映像であれ、音楽であれ。これも時代に合わせるということか。

そんな古き良き時代の映画音楽が素晴らしいことなんか、決まりきったことで。なぜって、人的なリソースも、予算も、才能も運命もロマンも、すべてそこに集まっていたに違いないのだから。

そう思って、人類の音楽文化、ポップカルチャーに敬意を表し、James Bond映画の歴代のテーマソングマラソンをしたい衝動に駆られる。
でも、80年代になって、Duran Duranとか、a-haが出てくると、ちょっと複雑な気持ちになるんだよね。僕はa-haは実は結構好きなだけに、余計に複雑に。(映画バージョンよりも、アルバムバージョンの方が好きなんです、a-haのあの曲に関しては。)

今、こんな劇的な「現代音楽」を作る作曲家さんは、どんな場所に存在しているのだろうか。
知ってたら教えてください。

No(4885)


■…2017年 5月 7日 (Sun).......中年病に足を突っ込んでみゆ
ハーモニックマイナースケール:
14歳くらいのギターキッズが覚えたがる。典型的な中二病スケール。

オルタードスケール:
41歳くらいの元ギターキッズが覚えたがる。典型的な中年病スケール。

結論: ギターキッズは歳とってもあんまし成長しないw

ジャズなんて弾く気ないんだけど、一応練習するはめになりそう・・・。

No(4884)


■…2017年 5月 6日 (Sat).......ここがスタート地点
俺の絶望よりも、遠藤周作の絶望の方がよほど深い。

落ち込んだらこう考えるようにしている(笑)

何十年もかけて僕がたどりついた絶望、でもそれは遠藤周作にとってはスタート地点だったのだから。

No(4883)


■…2017年 5月 6日 (Sat).......霊的意識段階を踏まえた音作り、なんちゃって。
最近また「マンデラエフェクト」ってやつがひどいんじゃないか。
いや、ちょっと前に、Facebookのタイムラインで誰かがシェアしてた記事を見て、初めてこの言葉を知ったんだけれども。
もっとも、見てみると、そのマンデラエフェクトの例として挙げられているものを見ると、「いやいや、それは単なる勘違いでしょww」というやつも多かったので、半分以上は確実に勘違いだと思うのだけれど、しかしそうとも言い切れない部分もあるし、誰にも断言なんて出来ない。そもそも人間の記憶は曖昧だが、もっと言えば人間の意識自体が曖昧だし、もっともっと言えば人間という存在自体が曖昧だし、もっともっともっと言えば存在ってもの自体がそもそも曖昧だ。

しかし2010年代になってからこっち、確実にやっぱし世の中の「霊的な」なんちゃらかんちゃらの流れは加速しているし、日本で言えばその中で震災とか原発の事故とかあって、その後の世界の流れとか。そんでその中で確実に僕らは生きてきた。
けれども僕の実感としては、ここまで生きてこれたこと、世界がまだこうしてなんちゃらかんちゃら存在していること自体が、本当に「不思議でならない」。そこに何かの意志を感じるか、感じないかは好みの問題だが、感じたところでやっぱり無理もない。

つまり、俺はこの前、その昔、Blue Cheerなるバンドが居たという記事を見たのだが、ロックの知識のある人だったら、単純に僕の無知を笑えばいいだけの話なのだろうけれど、俺はBlue Cheerというバンドについて、これまで知らなかった。

もっとも、Status Quoみたいに、海外やら欧米やらその国では有名でも、日本とか、リアルタイムでない世代だと全然知らない、というバンドもあるから、そう考えれば不思議ではないんだけれど。

でも、「ヘヴィメタルの元祖」みたいに言われているバンドについて、曲がりなりにもヘヴィメタルやらロックやってる私が、これまで一度も名前すら聞いたことなかったというのは、なんだかびっくりだ。

で、実際に有名なカバーバージョンの曲を聴いてみると、「うわ、これはマンデラエフェクトでしょwww」みたいに思える(笑)
そもそも、インターネット上の情報がすべての今の時代にあっては、過去を捏造することだって、きっとそんなに難しいことじゃないだろうからね。Wikipediaに書いてあれば、それが歴史的事実としてまかり通り、みんな信じて納得してしまうだろう。

しかし、僕らの住むこの世界、地球なりなんなり、その意識が、世界全体が、どんどんと新しい方向に進んでいくのであれば、やっぱり過去だって書き変わるはずだ。それにふさわしい過去に。そしてそれにふさわしい未来を、僕らは書いていかなくてはならない。

僕は自分の過去の音源を、一部ではあるけれど絶賛改竄中であるし、経験上、時間なんてものはつながっており、たとえば自分の人生の中で、現在の位置でぽーんと叩けば、その振動は未来にも過去にも伝わって影響を及ぼすのであって、だからこそ「学ぶ」ことに「遅い」なんてことはない。だから、今新しいことを学べば、それは過去の自分にも伝わる。そして、何かが欲しい、何かが必要だ、と思ったら、「うわ、もう既に手に入れていた!」ということになり、何かを知りたい、と思った時、「うわ、もう既に知っていた!」みたいになるのである。それは、耳を澄ますということだと思う、魂の奥において。

なんにせよ、別にそういったスピリチュアル系の話題だって嫌いじゃないが、こういった現象をいちいちスピリチュアル系の話題に分類しようとも思わないし、俺の考えとしては、俺が思うに、人生という、生きるという、地球というこの世界の舞台に立っている者としては、舞台の上の俳優は、いっしょうけんめいにこの世界という舞台の上で演技をして、良い演技をして、物語を紡ぎ出すことにいっしょうけんめいになればいいのであって、別に必ずしも舞台装置のことについて考える必要はない。舞台装置を管理するのは、他の人がやってくれる。もちろん場合によっては俳優だって舞台装置についてある程度の理解をしておく必要はあるかもしれないが、大事なのはやはり演技そのものだ。
だから、怪奇現象であれ自然現象であれ、未来なり運命なり、好きにさせておけばいい。人間は人間のすべきことをやればいい。



さて、今日というか昨日はバンドのリハであったが、それはそれとして音の話。
Plugin Allianceで扱っているbrainworxの、bx_consoleというやつを遅まきながら試してみた。さすが、すさまじいクオリティのコンソールシミュレーターだけれど、個人的に評価が難しい。

僕はデジタル録音というやつを否定していない。

そもそもが、僕は学生の頃に、バンドやるような状況でなく、パソコンを買ってきて一人で録音を始めるところから「個人的な音楽活動」が始まった。
というわけで世代的に、基本的にはデジタル録音しかやってない。

いや、"Japanese Pop"を作った時に、Yプロデューサーはアナログテープでレコーディングしていたから、それがアナログで録った唯一の経験だ。
(それこそ高校の頃に、カセットMTRをいじった、とか、そういうのを除けば、笑)

だから、アナログに憧れる、アナログ的な音を志向する、とは言っても、それは本物のアナログではなく、デジタル環境の中で、アナログ的な味を求めてきたに過ぎない。

そんでもって、俺は別にそれで良かったんじゃないかと思っている。

アナログ録音を礼賛するのは悪いことじゃないし、アナログが理想、アナログが究極、とか、言ってしまっていいけれど。
そもそも、俺はそんな、世界の一流のスタジオで、最高のアナログ機材で録音した経験なんてない。たぶんこれからもそんな経験はしないだろう。

でも、本物のアナログは、きっといいことばかりじゃなかったはずだ。

そんでもって、アナログ的な「フィーリング」ってやつは、機材よりも、人間が生み出すもののはずだ。演奏はもちろん、ワークフローとか、作業手順、作業方法みたいなものも含めて。

俺は、音なんてものはやはり、その時代の空気、もっと言えば、その時代の霊的なスピリットのなんちゃら、光とか、明るいとか暗いとか、そういったものを反映するものだと思っている。しょせん、そういうものだと思っている。霊による時代の手触りであり、霊による時代の光の色である。

だからもって、そのマンデラエフェクトじゃないけれど、その霊的な色合いを描き出すことが、やっぱりいちばんまっとうであり、順当だ。たとえば、その昔、1960年代には、英国あたりの有名なバンドが、アビーロードだか、有名なスタジオで、今でいうヴィンテージ機材で、録音していた。
21世紀になると、インディーバンドの人たちが、というかそもそもバンドの人でなくとも、それぞれにいろんなところで、パソコンどころか、iPadとかモバイル機器で、録音をしているわけだ。
そんで、音質のかたっくるしい話は抜きにして、やっぱりそれは、21世紀にiPadで録った音の方が、きっと「明るい」だろうと思う。それは、音質的なこともあるが、霊的なことの方がきっと大きいだろうと思う。人間とか、立場とか、世界とか、意識の立ち位置ってことだ。

音楽を聴くってそういうことだろう。

2010年代になってからこっち、パソコンの中のデジタルエフェクト、プラグインエフェクトも本当に進化して、ここまでアナログ的な表情やニュアンスを出せるようになったのか、と感心することは多い。

そもそも俺は別にエンジニアでもなんでもなく、ミックスも上手くはないし、まっとうに機材の扱い方や、知識もないけれど、かといって、ここまで、自分なりに作品を好き勝手に作ってきてしまった。

昨年、"Jesus Wind"の録音制作をしたけれども、皮肉なことに、「なんか、やっと、ミックスってものがちょっとわかってきた」と思ったのは、その制作の後のことであり、つまり、ごくごく最近になって、ちょっとわかりはじめてきているくらいである。

だからといって、これまで過去にやってきた無知で無茶なミックス、録音、音作りを、否定するわけじゃない。

得るものがあれば、失うものがある。
音っていうのは、そんなに単純なものじゃない。

知識も、経験も、道具の使い方も、知らなかったからこそ、作れた音、出せた音というものが、やはりあるからだ。
そして、そこに人間が表現されていれば、やっぱりそれが真実なのである。

音というものは、どうやらなんだか、思っていた以上に壮大で、厄介で、つかむことのできない、巨大で偉大なものらしい。
だからこそ、何億円もするようなコンソールとか、人類の技術と英知の結晶みたいな機械を使って、「録音」「レコーディング」なんてことが行われてきたわけだ。そして、その芸術表現への挑戦は、今でも続いている。

「音」という、神秘に満ちた現象、事象、表現について、ちょっとでも「わかった」なんて思ったら、それは間違いだ。(だから、俺はきっと、やっぱり、まだわかっていない)

その巨大さと偉大さと認識しつつ、それでも向き合っていくこと。
向き合う、というその行為。
向き合う、というそれ自体。

それが、僕にとっての神への信仰そのものでもあるんだけれど。

きっとわかってくれる人は多くはないかもしれない。

そんなわけで、bx_console。
brainworxのプラグインとか、モデリングの、質の高さは、既に知っているから。
これも、いろいろいじってみると、これまでに使ってきた他社の「モデリング」「アナログ」「シミュレーター」とは、やはり一段、二段、レベルが違うようで、「ううう」と唸るしかなかった。

が、これは強力過ぎる。
つまり、ワークフローまでが強力に限定されてしまう。
つまり、これを使うんだったら、もうこれを使うしかないって感じになる。
全部載せのチャンネルストリップっていうのはそういうものだけれど。
だけれど、これは非常になんというか、強力に完成された、強力に方向性が定められたチャンネルストリップだ。(本物のアナログってそういうものなんだろう)
道具の方から、「こういう使い方をしなさいよ」と言ってくるというか、
音作りとか、ワークフロー、作業方法自体が、このコンソールに操られるようにして、やらされてしまう。(そもそも良い道具ってそういうものだけど)
つまり、何をどうやっても、「そういう方向性」の音作りになってしまう。

だが、アナログっぽいリアリズムが強力なだけに、そういったアナログ的な音作りになっていってしまうことに対して、Yesと言っていいのか、Noと言っていいのか、判断がつかない。
そして、いったんYesと言ってしまえば、その魅力に抗えず、また後戻りが出来ないくらいに、危険なパワーを持ったツールに思える。

つまり、デジタル的な、あくまでデジタルの中で、アナログっぽさを出してハッピーにそれなりに自分らしい音を作ってきたことに対して、ここまでの強引なリアリズムが、吉と出るか凶と出るか、それは誰にもわからない、ってことだ。
つまり、やっぱり得るものがあれば失うものもある。

そんでもって、そこまでリアルなモデリングだったとしても、それでもやはり、究極的にはそれはやっぱりシミュレーションに過ぎず、「偽物」だってことも、忘れてはならない。

本物っぽくしたら、逆に偽物になり、ひらきなおって偽物を貫いたら、逆に本物になる、みたいなこともあり得る。

本当に、アナログっぽい音なんてものが、必要なのか。もういっぺん、問いかけてみる必要があるだろう。

強力なモデリング、そして、すげえ支配的なパワーを持つ「コンソール」だけに、導入は慎重に考えた方がいいと、そう感じた。

No(4882)


■…2017年 5月 4日 (Thu).......Flowers
ここ数年、時間を見つけては「過去の改竄(かいざん)」みたいな作業を行っています。
それは、過去に録音した作品を、ミックスし直してみたり、場合によってはギターを弾き直してみたり。もっと場合によってはヴォーカルを歌い直してしまったり。

そんで、一年ちょっと前に2つの作品(「異能レース」および「無責任なメシア」)を再ミックスしたわけなんですが、
今回、これは、もっと昔に作ったもので、今をさかのぼること1999年に、たった一人で録音して、その後「Prototypes」ってタイトルを付けて発表してる作品。

その中に、アコースティックギターっぽいインストの曲がありました。
で、当時、何を隠そう僕はアコースティックギターというものを持っていなかったんですね。なので、その当時、僕はエレクトリックギターを、BOSSのアコースティックシュミレーターのエフェクターに通して、無理矢理それっぽい音にして録音したわけです。

で、今、気付けば、Headwayのいいアコギを持っている。
ということで、これ、録りなおしたいな、って思っていて。
とはいえ、ちゃんとアコギで弾くと、フィンガーピッキングでそれっぽい演奏をしないといけないから、フィンガーの腕前が、多少なりともマシになるまで準備期間が必要で。

で、去る2月に、やっと「よし、録ろう」となって、部屋でマイク立てて録音してみました。

その結果がこれ。
"Flowers"っていう曲です。(当初は「花弁」ってタイトルだったんだけど、英語にしてみた次第。)

こちら


そんでもって、この「Prototypes」と名付けた作品には、「ちょっと恥ずかしいバラード」が収録されていて。決して悪い曲ではないんですが、年月を経ると、ちょっと恥ずかしいな、というか、人が聞いてどう思うかはわからないけれど、自分で聞くとちょっと耐えられない、ということで、曲を差し替えちゃいました。
2年かそこらくらい前に、何かの機会ででっちあげた「ワーシップソング」があったので、それに差し替えて。
1999年に作った作品を、2015年とか2017年に録ったもので差し替えるのは、かなり反則ですが、無名のミュージシャンであるのをいいことに、そこに「オフィシャル」なんてものは無いことを逆手にとって、時間をかけて「完成形」を作らせていただいています。

と、同時に、この"Prototypes"も、他の作品に引き続き、iTunesやSpotify等に配信、掲載させていただきました。

よかったら聞いてみてください。

No(4881)


■…2017年 5月 4日 (Thu).......そんな高いプロ仕様モデルよりも、安価なものの方を選ぶことももちろんある。
さて、そんな「フィリピン製 Global Seriesの安価なジャパメタギター」を見つける過程においても、そんな安価なのと比較するというおかしな形で、高くて良いものもいくつか試させてもらってしまった。ひどい客である。
以下に所感をメモしておく。あくまで個人的なメモであり、個人的な感想である。ちょっと店頭で試してみたところで何がわかるものでもない。実際に、スタジオやステージで弾き倒さなくては本当の価値はわからない。けれども自分の第一印象ですのよ。


James Tyler Japan のStudio Eliteのバインディングのついた青いやつ。

James Tyler Japanということなので、これもDeviserさんとこの製品であり、つまりは飛鳥工房の本気が体験できるギターに違いない。
試してみた個体は、いわゆる鳥山雄司モデルとほとんど同じ仕様、というかまったく同じ仕様だと思う。
これはほんと、素晴らしかった。どこをどう弾いても、セクシーな音になり、まさにプロの仕事として、きちんと色気が表現できる楽器なのだと思う。鳴り方もいわゆるヴィンテージ系の鳴り方を基本にしたものらしく(知らんが)、上品ながらも奔放という感じだったと思う。ネックが見たことがないくらい素晴らしかった。なんなのあのまっすぐすぎるストレートグレイン。ボディが鳴りまくって、逆にネックはびくともしない。あんなの初めてだった。プレイヤビリティも完璧。これほどまでに「プロ仕様」の楽器として納得したものは、初めてってくらいにさすがのクオリティ。
じゃあ、自分が自分のバンドで使うか、って言われたら、使わないけど。
でもセッションとかお仕事とかだったら、絶対使う。


Providenceの、いわゆる今剛さんモデル。

これも、体感したことがないくらいのすさまじいボディ鳴りだった。
がつんと来るとんでもないボディ鳴り。さすがに凄腕の職人の方のセットアップということなのか。
鳴り方も、まさにストラトの太い音。めっちゃ鳴るじゃん、と思ったのだが、店員さんいわく、「これは鳴らないように作ってあるギターなのだ」とのこと。「なぜなら今さんはスタジオミュージシャンだからその方が使いやすい」とのこと。ほんまかいな。しかし、そう言われてみると、すげえ鳴る中でも、確かに抑制されている、ブレーキがかかっている感じがある。だから、死ぬほど鳴るけど、ちょっとだけ抑えてあるギターなのかもしれない。知らん。
楽器としては、上記の鳥山雄司モデルっぽいJames Tyler Japanの方がはっきりいって上だと思う。もっと奔放に上の方の倍音も鳴ってたし、そっちの方がセクシーな音がした。
しかし、今剛さんの場合、本人がめっちゃセクシーなので、楽器の方でセクシーにしなくても、本人がセクシーだから問題ないのかもしれない。要するに本人が「太い」んだから、その太さを生かせるものであればそれがベストなのだろう。

昨年、「年寄り向けのギターヒーロー列伝」みたいな雑誌を買って読んでしまったのだけれど、そこに載っていたわりと渋めのギタリストの人たちの中で、インタビューを読んで「ふむふむ、素晴らしい、納得」と思う人に限って、実際に音を聞いてみるとそれほどセクシーではなく、逆にインタビューから性格の悪さがにじみ出ていて「こんなの友達になりたくない」という人ほど、実際に音を聞いてみるとめっちゃセクシー、ということがあったのだが。(インタビューも、音も、両方素敵、というのは、鈴木茂御大くらいでした、笑)
どちらかというと鳥山氏は前者に近く、今氏は後者に近かったので、そういうこともあるかもしれない。


GodinのSSHなストラトタイプ、2点支持トレモロのやつ。13、14万くらい。

Godinと言えば、面白い仕様で、ていねいに作ってある印象で、カナダのメーカーだけど、日本でいうところのBacchus/Deviserさんに近い感じのイメージ、という印象を持っていたので、期待していたけれど。悪くはなかったけれど、確かに最小限、しっかり鳴るし、しっかり作ってあるのだけれど、しょせんは「工業製品」的な枠から出ておらず、若干期待はずれ。個々の楽器にパーソナリティを求めるところまではいかなかった。あるいはその個性の無さが持ち味なのかもしれない。ストラトタイプとしては、しっかりそれらしい音がしていたし、その意味で決してコスパも悪くないのだけれど、今の時代にあっては「もっとコスパの良いモデル」もたくさんあるので、決して諸手を上げてお買い得、とはいいづらい。機能性とか実用性を重視するのであれば合う人もいるかも。


Schecterのフロイドローズが付いた、キルトトップのスーパーストラト。13、14万くらい。

そもそもがフロイドローズ付きのモデルだから、ある意味当然だし、比較対象としてはフェアではないのはわかっているけれども。笑っちゃうくらい鳴らなかった。モダンなメタルギターというのは、普通そういうものだろう。どう転んでも僕には合わない。しかし、Schecterを使って上手いプレイをするギタリストも何人か知っているし、クオリティはきっと良いに違いない。ピロピロと速弾きをするにはきっと適している。
(自分自身もそういうピロピロと速弾きをするギタリストの一員ではないのか、という突っ込みは勘弁してほしい。)

No(4880)


■…2017年 5月 4日 (Thu).......理想のジャパメタも、やっぱり今だから
うちの嫁さんによく似たギターに出会った。
ライヴをたくさんやれない、ツアーに出られない、もっとも制作は常にばっちり行っているが。そういった状況の中で、そのフラストレーションは、やはり音そのものに向かってしまうようで、昨年ギターをいっしょうけんめいになって売って減らしたものの、多少バウンスバックしてしまったようだ。これはほとんど、苦しみもがいているそのあがきのようなものである。

基本的に自分のバンドの「これからの音」はセットネックですべて鳴らせると思っているが、やはりメタルギタリストのはしくれとしては、ボルトオン、ディンキーボディといったような、メタルっぽいスーパーストラトは、どうしても必要だったようで、その意味で「理想のジャパメタギター」なんてことをここのところずっと考えていたのだと思う。

僕にとっての「理想のジャパメタ用ギター」は、高いギターであってはならない。安物でなければいけない。わかるだろうか。過去に愛用していた「昔の日本製Charvel Dinky」にしても高いものではない。しょせんはアメリカのブランドの下請けの量産品である。でも、それでやるから「ジャパメタ」になるのだという思いがある。

僕は常々、バッカスさんにはメタル用のギターがとても少ない、と嘆いているが(笑)、よくよく見たら、グローバルシリーズの中に、これほとんど初期Van Halenじゃん、っていうギターがあったのであった。といっても、某量販店のオリジナルモデルである。ウェブサイトやカタログにも載っていない。数も限られている。もうほとんど売れ残った数少ないやつに目が止まっただけである。だからやっぱ、Bacchusさんにはメタルっぽいギターはやっぱり少ないな。

「理想のジャパメタ」を求めていたのに、実際に鳴らしてみたら「まんま初期Van Halen」っていうのは、やっぱりエディー・ヴァン・ヘイレンの偉大さというか。STRの赤猫は、「今のエディー」を追求する意味で手に入れたギターだが、実際やってみると、アンセムのヒロヤを鳴らすのにもドンズバだったり、それと同じことだろう。

僕は数年前から、以来メインで使っている「猫ポール」という「良い時期」のClassic Seriesのレスポール(Hシリアル)に出会って以来、Bacchus/Deviser/Headwayさんの大ファンだが、僕の人生の中で、ひとつのギターメーカーにこれほど夢中になって入れ込むことはこれまでになかった。
かろうじて、日本製Jacksonとか、Hamer USAとか、そのへんに思い入れがあったくらいであるが、Bacchus/Headwayさんとこには、それ以上に惚れてしまっている。それは、昔のBacchus/Headwayではなくて、今の2010年代になってからのBacchus/Headwayさんである。だから、これはきっと人生で一度のチャンスなのだと思う。今のこの時期は。

だからこそ、ギターをがんばって売って減らしたが、結果的に、部屋のギターラックは、気が付けばBacchusばっかりになってしまった(笑)(1本はSTR、アコギはHeadway)。だが、この「総入れ替え」はきっと必要だったのだろう。これからの人生を歩んでいくために。

22フレットがいい、とか言っていたのに、そこは24Fで妥協することになったが、これは妥協というよりは、「弾け」ということだろう。今、手元に24フレットのやつは残っていなかったしね。それにこれは、あらゆる意味で、僕が14歳の時に手にした最初のギターである日本製Jackson Soloistの再来である。マンゴー製ボディの比較的落ち着いた鳴り方が、結果的にスルーネック、ポプラボディの鳴り方に近い位置にあるし、ボデイに直付けされたハムバッカーの音が、意外なくらいにJacksonの音に近い。勘違いかもしれないが。
安価な「ジャパメタ」用ギターということも含めて、また、しょせんメタル、ということも含めて、これは、時をさかのぼって、僕が「最初に手にするべき理想の一本目」だったということだと思う。そんでもって、うちの嫁さんにそっくり、と来れば、これはもう仕方がない。
どちらにしても、若返った気持ちにさせてくれるギターである。青春というやつか。
若い世代に嫉妬するのもいいが、若いやつらは、当時の俺よりも純粋な思いを持っているのか、そして、持ち続けているのか。

どっちにせよ、24Fはともかく、シンクロナイズドトレモロの使い勝手、意外とゆるいヘッドのテンション、直付けのピックアップ、安価だがツボは押さえた鳴り方、など、なにをどうやっても初期Van Halenなのであった。

初期ヴァン・ヘイレン、なんて言っても。
考えてみよう。確かに、Van Halen兄弟は、オランダからの移民としてロサンゼルス郊外の小さな町にやってきて、父親もジャズミュージシャンだし、貧しい家庭の中で、間違いなく経済的には恵まれない家庭環境で、育ってきた。
しかし、音楽的に考えれば、それは果たして本当に貧しかったのか。
いや、音楽的に、そしてロックンロール的に考えれば、貧しいのではなく、それは後になって振り返ってみれば、めちゃくちゃ恵まれた、ものすごく豊かな環境だったのである。(ものは言いよう、考えよう、というのはどの時代にも言えるけれど)

だからこそ12歳だか13歳だかのエディ少年が、最初に手にしたのは(最初はテスコだったと言われているが、最初の「まともな」ギターという意味で)当時まだ新品だったところの68年製のゴールドトップのレスポールだったのだ。
最初に手にするギターが68年製のレスポール。現代だったら、そんなのは、ありえないくらいの贅沢だ。(68年製は、いわゆるバーストに次ぐクオリティを持つ、ヴィンテージ最後の年、と言われている、らしい。)

アンプは当然、「プレキシ」である。なぜかというと、それしかなかったからだろう。これは、イングヴェイが若い頃に、「マスターボリュームの付いてないMarshallは、当時旧式ということで安かったから使った」という発言を残しているのと状況としては似たニュアンスがある。「歪まない」とか思いつつも、いろいろ工夫して(電圧を下げるという方法を見つけて)、なんとかしていったのである。
そして、60年代前半のストラトとか、335とか、そういうのをいじりたおして、ああでもない、こうでもない、とやっていくうちに、それらの(後の世に言うところの)ヴィンテージよりも、「むしろ自分で組み上げた安価なギターの方がいい」という逆説に辿り着き、そして時代を切り開いてしまった。

そして彼の手によって時代は変わり、それ以降、その「安価」なギターが世界の主流になってしまった。
ぶっとい音で鳴るヴィンテージギターの時代は終わり、鳴らないけれども速弾きはしやすい、そんなメタルギター、モダンギターの時代になった。

そんな中で、「せめてスルーネックにしたらまだちゃんとした音になる」ということでJacksonが生まれ。
「少数生産で丁寧なセットネックで作ったら太い音になる」ということでHamerが重宝され。
そして「鳴らない中でも可能な限りカイゼン(改善)して最高品質にする」ということでIbanezが台頭した。

1990年代にギターを弾き始めた僕らとしては、世に出回るそれらの「モダンギター」の中で、なんとか「ましなもの」を選ぶことしか出来なかったわけだ。

その中で僕が選んで長年愛用していたものは、「モダンなスーパーストラトの完成形として、せめてFender系のヴィンテージ楽器としてきちんと成立するもの」として提示された、Musicman Axisであり、それはうまい具合にモダンなスーパーストラトとヴィンテージ系の橋渡しの役割を果たすものだった。世界中に「安価なギター」を流行らせてしまったEddie Van Halenの、Musicman EVHシグネチャーは、きっと間違いなく、エディなりの「責任の取り方」だったのには違いない。(本人はきっと"natural progression"と言うだろうけれど。)


僕が出会ったBacchus/Deviserさんとこの楽器は、「日本製の楽器」として精神的に無理のないものであり、日本人であればこそのチョイスであるけれども、それらの楽器の歴史をきちんと踏まえて、網羅しつつも、現代の形で、しかも安価に提示してくれるその存在はとても貴重だ。

(もっとも、Bacchusさんにも個体差はあるし、価格帯の安いものは、「悪い意味での」個体差もやはりあるので、そこは気をつけて選ぶ必要はあるが、基本的にどの価格帯のものも「鳴る」ものが多いので、選んで探せば、「まさか」の出会いはやはりあり得る。)

これは、小規模な工房とかビルダーには出来ないし、そして大規模な企業にも出来ない。小さすぎず大きすぎない、Bacchusさんとこくらいの立ち位置だから出来ることである。
やっと、そういうのに出会うことが出来たのである。この時代、この歳になって、ようやく。

だから、Eddie Van Halenが10代とか若い頃に「ああでもない、こうでもない」とやったように、僕はこの歳にしてようやく「あれこれ試して」自分の答えにたどりつくチャンスをもらったのである。

人生は色々、状況は色々だ。だから、先入観とかで、型にはめて考えてはいけない。どんな環境であれ、努力を積み重ねることだけは、続けなければいけないのである。
きっと、チャンスはやってくるのだから。

いずれにせよ、(安物ですまないが、それでも)、「嫁さんにそっくり」とか言っているのだから、that says it all、それがすべてを物語っていると思う。ギターが嫁にそっくり、って普通、意味わからんと思うが、事実である。後は省略。

No(4879)


■…2017年 5月 3日 (Wed).......黄金週間に学ぶ
雑感をひとつ書いてしまおう。
思えばゴールデンウィークなのにライブをやっていない。
うちらみたいな「ひきこもりがち」なバンドであっても、なんだかんだ毎年、ゴールデンウィークといえば、ひとつふたつくらいはライヴの予定が入っていたものだ。
だが今年はまるっきりぜんぜんライブを入れていない。思ってみるとライブをしないゴールデンウィークというのも久しぶりかもしれない。知ってのとおりうちのバンドは今ちょっと「過渡期」である。それをどんなふうに「過渡」すればいいか、昨年からずっと思案している。

何度も書くようだが、昨年"Jesus Wind"を完成させて、今いっしょうけんめい、ようやくジャケットを作り始めているところだけれど(遅くてすみません。でも、イメージがぜんぜんわかんなかったのよ。)、その後で「鍋島デモ」を完成させて、仮歌も録ってしまい、またその後で「Overture」のデモも作ってしまい、そこからさらに「切り売りプロジェクト」の作詞作曲も済ませてしまった(これはデモはまだ)。その間に、僕の中で色々なものが変わり、見ているもの、考えているものも、ずいぶん変わった。だから昨年"Jesus Wind"を完成させたのは、すでにもう遠い昔のようだ。ずいぶん遠くまで来た感がある。一年前はいっしょうけんめいギターとかヴォーカルとか録音していた時期であった。あれを完成させた後に、またようやくミックスとかがわかるようになり(遅いって)、今ならきっと全然違うミックスにするだろう。

今、僕らのバンドは「過渡期」なので、表立ってあんまりライヴとかやってない。もともと、世の中との距離が遠いバンドであったから、ライヴは必ずしも少なかったが、それでもアメリカに演奏しに行ったり、なんだかんだやっていた。アメリカに演奏しに行くことを4回やって、その後、海外バンドと一緒に日本でやるXTJを4回やって、で、ここで色々また、体勢を整えなければいけない。もっと大きなことをやるために。

そんな引きこもりバンドである僕たちは、そんなふうに、必ずしも世の中との接点は多く無かったけれど、そして本音を言えば、いつでも、もっともっとライヴがやりたい、いろいろな場所に行って、いろいろな人たちの前で演奏したい、そんな思いは、心の中にいつも燃えている。それを我慢しておさえるのにここ数年ずっと精一杯である。けどその我慢もそろそろ限界なのだ。

そんな思いがありつつも、僕らは音楽を作る、音楽に向き合う、創作を行う、この部分については、僕は自分の人生の中でもそんなに怠って来なかった。

つまり僕はこう思うのだ。
若い時にしか出来ないこと。

僕はミュージシャンになりたいとも、ロックスターになりたい、とも、思ったことのない少年だった。ただただ、詩人に、作家に、画家に、彫刻家に、なりたいと思い、それを目指そうとした。(検事か弁護士になりたかった、とか、料理人になりたかった、とか、そういう夢はあったが、最近ようやくあきらめた。最近かよ。遅いって。つまり、professionとは、そんなに甘いものではないのだ。なりたい、ではなくて、なってしまった、が正しいのだ。)

だから、そう考えると、最初から、一般的な昔のロックミュージシャンのように人生を捉えてはいない。それは確かだ。だが、時代も進んで、70歳を過ぎたロックスターが素晴らしいコンサートを行うような時代になると、だんだんみんなわかってくる。そうだろう。

ミュージシャン、芸術家、創作家、特にロックミュージックにおいては顕著だと思うが、若い時にしか出来ないこと。

コンサートをする。ツアーをする。人々と交流する。技術を磨く。勉強する。
いろいろなことがあると思う。
けれど、この歳まで歩いてきた時点で、僕は、案外と若い時にしかできないことは、創作。すなわち、曲を書くこと。そして、それを制作すること。つまりは録音制作だけれども。
このクリエイティヴィティの部分の仕事というのは、案外と若い時にしか出来ない事ではなかったか、というふうに思えてきた。

すなわち、何かを得ること、何かを学ぶこととは、同時に何かを失うことであるからだ。
だから、若く、無知で、技術も経験もない、そんな時だからこそ、出せる音、作れる音がある。書ける音符があり、書ける言葉がある。そして、それは、成長してしまえば、二度と書くことが出来ない。

「鍋島」のソングライティングを終えたことで、僕は自分の人生における創作、作曲、クリエイティヴの面では、人生の中のすべての仕事を終えた、と思っている。(もっともその「鍋島」を録音制作できるのは、何年先かわからないが。)

そう思えば、人生の中で、「創作」の仕事は、人生を何年と考えるか、にもよるが、人生のはやいうち、前半の折り返し、とかで、やっつけることが出来たのではないか。そして、この後、やっていかなければならないことは、もっと世の中に、人々に、向き合うことである。

そう思うと、これでやはりよかったのかもしれない。
今、過去の焼き直しという作業を行っている。
すなわち、過去の録音の手直しであり、いってしまえば過去の改竄である。
その話はまた、別途したいが、そうやって過去の録音に向き合ってみると、今まで気が付かなかったことや、新たな発見がそこにあったのだった。

何かを優先したいものがあるとすれば、そしておそらくは、神が俺に向かって、もっとも優先せよ、と言っているところのものは、それは音楽だ。そこにどんな音が鳴るか、その部分である。
その意味では、確かに僕たちは、わりかしベストを尽くして、最善の選択をしてきたのかもしれない。最善とは言わないまでも、それなりに。たとえ、それが世の中的な成功ということにおいて、とっても遠回りに見えることであったとしても。

人生は短いが、たとえそうであっても、僕はThink Big、つまり物事を大きな視点で考えたい。そして、できれば、大きな視点で仕事をしたい。他人から阿呆と呼ばれるくらいでちょうどいい。

そういえば、この前、ずいぶん昔に実家からぱくってきたドビュッシーについての本をようやく読んだんだけどね。思うことが多かったよ。なぜって、あたりまえなのかもしれなかったが、やはりキリスト教的な神への信仰についてもずいぶんと書かれていたからさ。僕がドビュッシーに夢中になったのは、高校2年だったか、3年だったか。また別途書いて記録しておきたいね。

そういうわけで、自分の人生における「作曲」「創作」を全部終えてしまったから、というわけじゃないが、今僕は、ちょっとばかり「音楽理論」を勉強している。なぜか。たぶんそれは試験勉強だ。あとは、良い機会だと思ったからだ。あとは、ちゃんと鍵盤を扱えるようになりたいから。ギター弾くのに理論はいらんと俺は思うけれど、鍵盤弾くのには、ちょっとばかりやはり、理論も知らんといかんだろう。間違ってるかもしれんが。

で、ちょっと理論をかじってみると。人によって意見が違うだろうとは思うが、俺が思うに、少なくとも俺の人生の中では、そして俺のやってるような音楽に関しては。
理論なんてものは、作曲の邪魔だった。創作の邪魔だった。今まで、ちゃんと勉強しなくて良かったと思った。必要ない。知らなくていい。知らない方がいい。その時が来るまでは。もちろん、それはどんな音楽をやるか、どんな役割か、どんな人生なのか、いろいろによって変わる。人によっては、もちろん必要だ。けれども、やっぱり、ロックバンドやるのに、理論はおおよそ、邪魔だ。

だから、創作のフェイズを終えて、今やっと、俺の人生の中で、安心して理論を学べる時期が来た。
学んじゃったら、きっと、もう、今までのような曲は作れない。
今までのように、純粋な気持ちでギターもプレイできないかもしれない。

でもまあ、それも人生の中の変化であり、そういう季節だということだ。

それに、もう一度、純粋な気持ちで演りたくなったら。
人間には、「忘れる」という能力がある。
素晴らしい能力が。

ここまでタイプするのに、20分かかっていない。
食後の頭の体操は完了した。

No(4878)



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