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ゆうじろうインタビュー 「Japanese Pop」
ゆうじろう: スモークマシン焚いて、どどんっと出現ゆうじろう。
Tone: ひさしぶりだね、ほんとに。
ゆうじろう: 約2年ぶりだね。その間何をしてたの?
Tone: 見てなかったかい?
ゆうじろう: もちろん見ていたけれど、君自身の言葉で語ってもらうことに意義があるからね。
Tone: おかしなものだよね。今気がついたんだけれど、前回君と会ってから、2年の月日が経っているのに、僕と君の間では、時間は流れていない。
ゆうじろう: 幽霊だからね。時間の概念というものが存在しないんだ。
Tone: いろいろあったよね。たぶん、間違いなくいろんなことがあったと思う。バンド結成?以来ずっと一緒に旅をしてきてくれたはらっちはもうバンドには居ない。
ゆうじろう: それから、外国にも行ったんだったね。ドイツ、それからテキサス。
Tone: そういうことがあって、レコードも一枚できた。そして、相変わらずどうにもなっていない(笑)
ゆうじろう: そこ結構重要だよね(笑)
Tone: そうなんだ。どうにもなっていないところが重要でさ。
ゆうじろう: 順を追って話してよ。それから、出来上がったアルバム「Japanese Pop」についての解説も、いつものようにしてもらわないとね。
Tone: そうだね。まずは、2005年に何があったのか、そこからおさらいしよう。まずはこの年、2003年にたちあげ、2004年を通じてやってきたバンドが、有り体に言えば分解しかかっていた。そしてそのやってきたことの答えとして、自主制作した「Hero Of The Lights(光のヒーロー)」という、実にすばらしい出来のレコードが完成もしていた。
ゆうじろう: そうだった、そうだった。しばらく僕は相槌だけの役ね。
Tone: で、僕は、せっかくの機会だから、このImari Tonesという、歴史をたどれば、'98年から自主制作を始めていた個人アートプロジェクトの、ひとつの区切りをつけようと、自主制作の旅を完結させるべく、最後の制作に入った。2005年の後半を使って、半年で実に4枚の作品を、自分でドラムもたたいて、もちろんはらっちやスギペにコーラスを手伝ってもらったりしながら、完成させちゃった。
ゆうじろう: 君の言うところの「自主制作10枚の旅」が完結したわけだ。
Tone: そうです。そして、同時に、僕は、音楽家としての身の振り方について考えていたわけね。結構真剣に。
ゆうじろう: ふたつほど選択肢があったんだよね。
Tone: そうそう。結構本気で考えてたんだから。ひとつは、政治家になってみるか。もちろん、地方の議員ってことだけど。それも大変そうだけどね。もうひとつは、外国に移住するか。どこにって、まあ、制度的にやっぱりアメリカになってしまうんだろうけど。
ゆうじろう: どっちも、大変そうだね。
Tone: 本気だったんだぜ? そして、どっちについても、かなり真剣に調べたんだ。
ゆうじろう: で、結局それからどうなったの?
Tone: どっちを実行する、その前に、米持さんに出会った。そんで、旅に出かけることになった。あるいは、米持さんのロックンロール大学院。
ゆうじろう: 大学院ですか。
Tone: 学費も高かったよ(笑) で、その大学院のカリキュラムをひととおり終えたのが今の僕。で、またもや自分で歩いていくことになった。さて、これからどうするか(笑)
ゆうじろう: パワーアップしたのかな。
Tone: たぶんね。すごい、いろいろ学んだ。なんでこんなに学ぶ必要があるのか、あるいはなんでこんな試練をいっぱいくぐり抜ける必要があるのか、それはわかんない。少なくともいえるのは、2005年に、ふたつ、考えていた選択肢のうち、政治を志してみる、っていうのについては、たぶんなくなったと思う。僕の行動は、選択肢というよりは、神サマの言うとおり。このことについては、また後で語りたいな。
ゆうじろう: じゃあ、具体的に、あの2005年の制作を終えてから、何があったのか、説明をよろしく。
Tone: オーケー。まず、あの制作を終えようとする頃に、米持さんと出会った。知り合いのRaphyさんを通じてだった、というかみんないっぺんに出会った。僕にとっては、米持さんはちょっと運命を感じる出会いだった。中学生のときに、ギターを持ったその日から名前を知ってる人だったし、翌日初めて買ったヤングギターではイングヴェイのインタビューしてるし、その次の日にイングヴェイのアルバム買ったらライナーノーツ書いてるしね。思春期の僕にとっては、まさにあこがれのHR/HMシーンの人だった。ほら、僕の最初のギターは、HR/HMギタリスト御用達のJacksonだった。で、そのJacksonのカタログに、エンドーサーとして格好よく米持さんは載っていた。
ゆうじろう: 当時のヤングギターを読み返してみると面白かったものね。
Tone: そう、僕が昔、いいなと思った文章は、ぜんぶ米持さんが書いてるんだよね。レビューにせよ、インタビューにせよ。そして、米持さんは、音楽的なスタイルや、ミュージシャンとしての歩き方としても、なんだか共感するところがあった。メタル一辺倒にならなかったところ、安易な道を選ばずに来てしまったところ、海外志向であったところ、とかね。今でも僕は、米持さんのことは、結構理解していると思っているよ。
ゆうじろう: 米持さんはAir Pavilionというバンドをやっていたんだよね。
Tone: そう。少年の頃にはまさかそのAir Pavilionのスタジオで自分のレコードを作ることになるとは思ってもみなかった。だから、これは運命的なものがあるかなーと思ってね。しょうがないかと(笑)。HR/HMの要素もありつつ、その他の要素が多すぎるImari Tonesと僕のプロデューサーとしては、確かにこれ以上の正しい人選はないように思われたんだよね。
ゆうじろう: 確か、最初に出会ったときは、Raphyさんたちの対バンで。
Tone: うん、で、ええ、これが本当にあのTakさん?って思って。その日のブログに結構ネガティヴなことを書いた。で、後日米持さんはそれを見て激怒したらしい(笑)
ゆうじろう: で、とにもかくにも米持氏のところで制作をしたわけだよね?
Tone: そうだよ。Raphyさんとみいあさんが最初に米持さんのところでレコードを作っていて、僕もそれに続いたんだ。制作費大変だったから、できるわけないと思ったけど、結果的には出来てしまった。なんだろうね、だから生き延びたのか、あるいはやらないほうがよかったのか、神さまのお導きか、でもきっと、のりこえなければ生き延びることはできなかったんだろうね。感謝しなきゃ。
ゆうじろう: 一応、やはり大物のプロデューサーだったわけだ。
Tone: もちろん、米持さんといえば、音楽ジャーナリストとして名を馳せた人だ。だから、国内もそうなんだけど、特に海外の人脈が凄いんだよね。制作にあたっても、バンドが分解したところだったから、某大物ドラマーの名前とか出て、たたいてもらおうか、って(笑)元超メジャーバンドの人とか。
ゆうじろう: それはびっくりだったね(笑)
Tone: でも、バンドってそういうもんだと思うけど、どんな大物にゲスト参加してもらうよりも、オリジナルメンバーでやる方がいいわけさ。で、はらっちを呼び戻した。一緒に、もうちょっと、旅をしようぜ、ってね。
ゆうじろう: 彼は、バンドを抜けていたんだよね。
Tone: そうだったね。彼はもともと、もっと日本のロック寄りの人だから、彼本来の方向性を追及して、出会った仲間たちと、音信+っていうバンドをやってた。僕も応援していたよ。で、ちょうどその頃、そのバンドは解散してしまってね。僕は言ったんだよ、彼が、そっちのバンドやりたいからITS抜けたいって言ったときに。いつでも戻って来いよ、って。で、一年後、実際に戻ってくることになった。
ゆうじろう: 彼がいなければ、Imari Tonesは成立しないものね。
Tone: それくらい重要な人材だったと思うよ。一緒にたたかってきたんだしね。 だから、米持さんとの旅には、いくつかの意味があった。少なくとも2つの意味があった。 ひとつには、Tak Yonemochiっていう、間違いなく世界でも希少なロックの賢人、もちろん、どちらかといえば、現代のシーンというよりは、もっとロックがロックしていた古きよきロックの価値観の中での賢人、でもだからこそ、その、ロックの表から裏までを見てきて知り尽くした賢人との旅、現代にロックが果たして残っているのか、その真実を見つけにいく旅。 そしてもうひとつは、僕と、はらっちの。そうだね、みねっちも一緒に行けたらよかったのかもしれないけれど、でもやはり、僕と彼の。これまでのバンド活動の、一緒に歩いてきた道のりの、答えを探しにいく旅であったと思う。
ゆうじろう: みねっちは一緒じゃなかったんだ?
Tone: うん。でも、それはやはり、人それぞれ、求めてるものは違うし、状況も違うしね。彼とはもちろん今も仲はいいよ。少なくとも僕の認識の中では(笑)。ともあれ米持さんとの旅を始めるにあたって、みねっちはどうやら都合がつかなかったので、ちょっと動いて、僕は馬場くんというベーシストを見つけてきた。彼はジャズベーシストだった。
ゆうじろう: 当初、有名なベーシストさんのローディーをしていたんだよね。
Tone: ローディー、というか、ボーヤ、っていうのかな。とてもいいベーシストだった。結局、一年半で、やめてもらうことになってしまったけれど。でも彼にとっても、意義のある旅であったと思いたいね。彼も間違いなく、一緒に旅をするにふさわしい人物だった。ともあれ、Tak Yonemochiと一緒に行く世界の旅、ロックを探す旅。とてもかけがえのないものだったよ。そして、楽しかった。
ゆうじろう: そんなふうに旅をして、これで売れなかったら、バンドなんて辞めてしまおうって思った?
Tone: いつも辞めたいって思ってるよ(笑) ていうか、結局、レコード契約は決まらずに、もう売れないことは確定してるから、辞めてしまったっていい(笑)でも、まだ闘うすべは残ってるし、神様はやれって言ってる(笑)
ゆうじろう: それは大変だね。そろそろ辞めたい年齢だろうに(笑)
Tone: ホントだよね。 ともあれ、米持さんのところで録音を始めたんだ。最初は2曲だけって思ってたけど、それが、少しずつ増えていった。とにかく大変だった。米持さんは、アナログ録音をしていた。
ゆうじろう: いまや珍しいんだよね。アナログ録音。
Tone: つまり、オープンリールのでっかいやつ、24トラックのだった。ハーフインチ。なんでも昔はもっといいの持っていたらしい。米持さん的には、ハーフインチで24トラは、妥協したものらしい。でもね、アナログ録音なんて、ミュージシャンのはしくれとしては、一度はやってみたいことのひとつだったから、ちょっと夢のようだった。
ゆうじろう: 君自身は、アナログ派なの? それともデジタル派?
Tone: デジタル派かもね(笑) でも、昔のロックを聞いていて、それこそ、思春期の頃に聞いたロックは、多くはアナログ録音だったし、これがロックの本来の正しい音、あの音だな、っていうのはもちろんわかるよ。それこそ、自主制作でも、テープシュミレーターのプラグインをいつも使ってた。でも、本物はやっぱしぜんぜん違うものだったな。
ゆうじろう: 曲は何を録ったんだっけ?
Tone: んとね、最初に"I"と"Speechless Speaker"を録った。で、"Winning Song"と、"That's Why I Love You"を録って、次に"New World"と"Juku-Shiki"を録ったところで、ドイツに行ったんだ。で、ドイツで、"Karma Flower"、"Iron Hammer"、それから"Skies Of Tokyo"を録った。
ゆうじろう: 聞き覚えのあるタイトルがいくつかあるけれども。
Tone: そうだねー、つまりそれは、米持さんところやることになったときに、何やろうかってことで、じゃあ、今まである自主制作した曲の中から、良いのを選んでやろう、ってことで、だから自主制作したのとかなりかぶってるんだよ。今回のアルバム「Japanese Pop」の中で、10枚の自主制作に入ってないまったくの新しい曲は、実は「Iron Hammer」と「Skies Of Tokyo」の2曲だけだよ。あとは英語版になってタイトルが変わったものもあるけどね。アレンジも結構違うし。
ゆうじろう: 9曲レコーディングしたんだね。
Tone: そうです。米持さんのとこで、6曲、アナログ録音。で、ドイツで3曲。これはデジタル録音。で、Winning Songの日本語バージョンを作って合計10トラックにしたわけだ。
ゆうじろう: ドイツに行ったんだね。
Tone: うん。ドイツと、それからテキサスにも行った。世界のTak米持と一緒に旅をして、いろんなものを見聞きした。業界の現状や世界の潮流もわかった。で、レコード契約は決まっていない(笑)
ゆうじろう: 肝心のレコードの出来は気に入ってる?
Tone: うん、それが、実は気に入っていない(笑)
ゆうじろう: そりゃ大変だ(笑) でも聞いてみると、ちゃんとしたレコードだと思うし、そんなに卑下したもんでもないけどね。で、どういういきさつでドイツに行くことになったの?
Tone: ドイツのどこに行ってきたかというと、Wolfsburg。ハノーヴァーとベルリンの間のへん。あれね、サシャ・ピートという人物がいるわけさ。サシャ・ピートというのは、どういう人物かというと、昔、Heavens Gateというバンドをやっていた人なのね。ジャーマン・メタルの。ジャーマンメタルの中でもわりと、知る人ぞ知るバンドらしく、その昔、華やかだった頃には、'92年頃かなあ、Helloween、Blind Guardianとともに、3大ジャーマンメタルバンドとか呼ばれていたらしい。
ゆうじろう: 君の嫌いな様式美メタルだね(笑)
Tone: そのとおり(笑)。僕は当時、ロック聞き始めでHR/HM大好きだったけれど、Blind Guardianを聞いてメタルが嫌いになった(笑)。で、サシャ・ピートはそういうシーンの中に居たんだ。で、聞いてみると、サシャもメタルは嫌いだったらしい(笑)。こんなこと大きな声で言えない、書けないけどね。だって今やSascha Paethといえば、メロディック・スピード・メタル、つまり様式美系メタルの大プロデューサーなわけだから(笑)
ゆうじろう: 書いちゃって大丈夫なのかい?(笑)
Tone: 問題ないよ、というのは、それは事実が証明してるからね。それら、Helloween、Blind Guardian、Heavens Gateのうち、サシャの率いるHeavens Gateは、サシャ自身が、メタルにこだわらずにその多彩な音楽性で方向性を広げていってしまったのが、崩壊の原因だったんだってさ。でも、そういう、多彩な音楽的才能のある人だからこそ、その後プロデューサーとして大成功したんだ。それは、みんな認めてることだと思うよ〜。
ゆうじろう: 君みたいな無名のミュージシャンが、世界的プロデューサーについてここで語ってもしょうがないけれどね(笑)
Tone: でも、個人的に結構話したもん(笑) ともあれ、そういう面でも、米持さんともちょっと共通するところのある人だったんだよね、メタル界を代表する人物なのに、実はメタルそんなに好きじゃない、とかさ。だから、メロスピの大家であるSascha Paethに、ポップなんだかパンクなんだかわかんないIMARI TONESって、確かにビジネス的にぜんぜんどうよ、って感じなんだけど、音楽的には、実はすごく自然だった。それは、サシャに録ってもらった曲たちを聴けばわかるよね。実際にメタルファンには知られていないだけで、サシャは、メタル以外のプロデュースも結構やってるんだよね。
ゆうじろう: 万能プロデューサーだった、と。で、サシャ氏のところで制作することになったいきさつを、さ。
Tone: サシャはね、Heavens Gate時代から、米持さんの親しい友人だったんだよ。およそ米持さんは、世界中のスーパーギタリストと親友だしね(笑)。なんでもHeavens Gate時代に来日したときに世話になった恩を、今でも覚えてるらしいんだな。で、先にRaphyさんとみいあさんたちがマスタリングでサシャのところに行ったのね。で、続いて、僕らも行くことになった。米持さんが、6曲録ったところで、残り何曲かは、サシャにまかせるべきだ、と判断したんだよね。それは、ネームバリューということが一番の理由だと思う。みいあさんたちもそうだけれど、なんで、サシャみたいな売れっ子プロデューサーが、2年先まで埋まってる予定を空けて、引き受けてくれたかというと、それは何よりも、サシャが米持さんと親しいからだね。米持さん、日本語しゃべってると結構悪人なんだけど、外人からはすごい善人に見えるらしいんだよね(笑)
ゆうじろう: ほら、お世話になった方の悪口は言っちゃいけませんぞ。
Tone: そのとおりだね。で、サシャ・ピートって言ったらさ、すごい大物プロデューサーなわけ。どれだけ大物かというと、90年代のAngraを手がけているし、Kamelotとか、Edguyとか、あと代表的なのはRhapsody(Rhapsody Of Fire)とかをね、手がけているわけさ。で、そんなのと同列になれるのかと(笑)
ゆうじろう: 同列になった?
Tone: ぜんぜんなってないね(笑) でも、ともあれ、僕らが制作した後には、サシャのGate Studio、どうやらKamelotが入ってたらしいぜ。後というか、前後かな。Kamelotの制作の合間に僕らが入っていたらしい(笑) サシャも、あんなすごいシンガーの前後に僕みたいな最低のヴォーカルを録って大変だったろう(笑)
ゆうじろう: ロイ・カーン、だっけ?
Tone: そうそう、Kamelotのヴォーカルの人ね。すごいシンガーらしいよ。で、ともかく、2006年、9月から10月にかけて、僕らはドイツはWolfsburgに飛んだわけだ。
ゆうじろう: 海外旅行の経験は?
Tone: 恥ずかしながら二度目だった。中学生の頃に赤十字かなんかの研修旅行で東南アジア行っただけしか経験なかったからね。はらっちと、馬場くん、それともちろん米持さんとこの4人で、ドイツに出かけたわけだ。ドイツの中でも、かなり田舎な場所だと思うんだけど・・・・。
ゆうじろう: 旅費は大丈夫だったのかい?
Tone: 大丈夫じゃなかったよ。話が出たときには、行けるわけないと思ったよ。でも、いろいろなことがあって、なぜだか行けることになってしまった。ただの奇跡かもしれない。
ゆうじろう: 旅をする運命だったか、あるいは君はそれほど旅が好きなのかもね。
Tone: 制作についていえばね、せっかく、米持さんやサシャのところで制作することになったんだけれど、この年、僕はヴォーカルがひどいスランプだった。前年の秋、2005年、僕は、自主制作の最後の2枚を作っていて、ヴォーカルが壁にぶちあたった。で、それまでの、パワーにまかせた力任せの発声をやめようと思い、そのときに、緊急措置として少しだけ発声法を変えてそれを乗り切った。で、そこから少しずつ、新しい声を模索していったんだけれど・・・・
ゆうじろう: 新しい声がなかなか見つからなかったんだね?
Tone: いや、そうじゃないんだ。新しい声はわりとすぐに見つかっていた。ただ、それの使い方が、よくわからなかったんだ。もっと言うと、その新しい声が、果たして本当に存在するのか、そこにも疑問を持っていた。そこについて指導してくれる人は、周囲にはいなかったからね。今もいないけど。だから、この年、僕は、新しい声はまだうまく使えないし、かといって、今までの発声法も、すでに体質が変わってしまってうまく出なくなってるし、どうしたらいいか、まったくわからなくなってしまった。この新しい声でいいんだ、と確信を持てるようになったのは、皮肉にもドイツから帰ってきてレコーディングが全部終わった後だったよ。
ゆうじろう: 失敗してみないとわからないことってあるからね。
Tone: そういうことだと思う。それともうひとつは、米持さんに関しては、反省点だけれども、プロデューサーとアーティストとして、決してベストなコミュニケーションが取れていたわけではない。少なくとも僕の中のシンガーというのがどれだけ繊細かということをかんがみれば、特に僕がそういったスランプの状態だったことも含めて、僕は米持さんの前では存分に歌うことができていなかった。そういう意味では、そういったスランプ状態の中でも、ドイツに行ったときに、ヴォーカル指導のアマンダさんが、アメリカ人らしく前向きに励ましてくれたのは良かった。あれがなければ、そもそも完成することもできなかったかもしれないからね。
ゆうじろう: 確かアマンダさんは、歌詞も面倒みてくれたんでしょ?
Tone: うん。アマンダさん自身も歌手で凄いシンガーでアーティストなんだけどね。僕がつたない英語で書いた歌詞について、手直しやアドバイスをくれたよ。もっとも、それで意図しない部分も出てきてしまったけど、まあいいか、って。歌詞にサシャの手が入った曲もあったな。さて、まあドイツの日記とかはこのへんを参照してもらうとしてさ。
ゆうじろう: で、ドイツで学んだことは?
Tone: なによりも、最新の設備で、ワールドクラスのレコーディングを体験できたこと。サイモンやアマンダ、オーラフさんたちのような優秀なスタッフたちと仕事ができたこと。ワールドクラスのスタジオの設備と仕事っぷりを知ったこと。それからサシャを取り巻く、米持さんについても同じことが言えるけど、取り巻く環境や音楽ビジネスの一端を見ることができたこと。つまりはヨーロッパのメタルシーンの視点から世界がどういうふうに見えるのか、それを見ることができたこと。サシャ・ピートの暮らしっぷり。ドイツから見た音楽シーンの現状。ドイツ経済も含めて、環境や文化の違いを見てきたこと。それと、そうだね、僕とはらっちにとっては、間違いなく、ひとつのこれまでのバンド活動をやってきた答えを得ることができたこと。皆でこうして旅ができたこと自体が、ひとつの幸福な旅だった。それから、米持さんと一緒に見聞することで、氏と一緒でなくては見えてこないもの、それからいろんな話を聞くことができた。米持さんは、ロックの生き字引だからね、文字通り。
ゆうじろう: ともかく、そういった、初めての本格的なプロフェッショナルなレコーディングを体験したわけだ。それも世界一流のプロデューサー、世界一流のスタジオで。出来栄え、そして感想はどうだった?
Tone: さすがサシャ・ピート、という感じだったよ。僕のヴォーカルの下手さもうまく隠されているし(汗)。ワールドクラスのメジャー級をかんがみた音つくりになっているし、さらにはどうやってこのバンドのカラーを売っていくのかというところまでサシャの考えが反映されたプロダクションになってる。現に今、インターネット戦略を進めていくうえでも、やっぱりこれらサシャに録ってもらった曲が、強力な武器になっていることを見ても、やっぱり、あの場所に行ってよかったんだと、素直にそう思うかな。日本のどこにいっても、そんな世界戦略な音が録れるかわかんないからね。
ゆうじろう: そして、そういう貴重な経験をして、ドイツから帰ってくるわけだ。いろいろと動きとか、話はあったのかな、業界的な、さ。
Tone: うん、実はなんとなく予想はしていたし、本当は期待もあまりしていなかったけれど、いくらドイツの大物プロデューサーの下で作ってきたとはいえ、状況は決してよくなかった。僕らは無名だし、これといったファンベースがあるわけでもない。音楽業界、特にCDを出すっていう市場の中では、景気のいい話はやはりなかったし、米持さんはそれなりに、コネクションを生かして出版社や大きなレコード会社に持ち込んでくれたみたいだけれど、やっぱりなかなか難しいという感じだった。米持さんのコネクションの中で、インディーズレーベルから出すという方法もあった。でも、それは、とても小さい数字の中で勝負していくことだったから、米持さんとしては納得がいかないことだった。で、そうこうしてるうちに・・・・。
ゆうじろう: テキサスに行く話が出てきたんだよね。
Tone: そうなんだ。SXSWね。もともと、米持さんは言っていたよ。売り込むにあたって、世界にはおっきい音楽コンベンションがふたつあって、フランスのMIDEM、それからテキサスのSXSWっていうものがある、って。そういうところに行って売り込まないとだめだ、っていうふうに、口癖みたいに言ってた。で、ドイツから戻ってきて、時期は晩秋。タイミング的にMIDEMは間に合わないから、って、ではテキサスのSXSWに行こう、って話が出た。この話にはもちろん背景があって、そもそも米持さんはシンコーの頃から、若いときからMIDEMに行っていろんなバンドを日本に輸入してきた張本人だし、自身のAir Pavilionのアルバムも、確か99年のMIDEMで売り込んで見事契約を獲得し、ヨーロッパで13万枚を売り上げたという実績がある。だから米持さんは、たぶん本当はMIDEMに行きたかったと思うんだ。米持さんもSXSWは初めてだったからね。
ゆうじろう: で、結局行ったんだよね。SXSW2007。
Tone: 結論から言えばね。行ったんだけれど。話が出たときは、これも、行けるわけないと思ったよ。予算もないし。ところが、いろいろと事情があって、予算もどうにかなってしまった。ほんと、ただの奇跡。そして、SXSWっていうイベント自体について調べていくうちに、僕自身、これは何かがある、何かを見ることができる、と、思い始め、惹かれていったね。
ゆうじろう: 演奏はしなかったんだよね。
Tone: そうね。それはつまり、カンファレンスには、きちんとレジストレーションをして行ったけれど、バンドとしてのショウケース出演はしてないんだ。申し込んだんだけど、落選したみたいでさ(笑) まあ、インターネット応募で、送ったのもちゃんとした音源じゃなかったんだけど、それでも、米持さんはすごくショックを受けていたね。でも、実際にショウケースで出演するとしたら、ビザとか、旅費とか、またふくれあがっていたから、実をいうと実際その方がありがたかった。いいライヴがやれた自信も正直ないしね。米持さんと旅を始めて以来、バンドはライヴをやっていなかったし、舵取りも全部米持さんに任せていた。
ゆうじろう: 一体感のあるライヴがやれる状態ではなかったと。
Tone: そういうことになるね。ヴォーカルはスランプだったしさ(笑) ともかく、そんなこんなで、ショウケース出演はしないまでも、売り込み目的で、僕としては、とにかく世界の現状を見るべく、僕と米持さんの二人はまた飛行機に乗ったわけさ。
ゆうじろう: 今回はバンドのメンバー、はらっちや馬場くんは一緒じゃなかったんだ?
Tone: うん。演奏はしないんだしね。予算もないから。でも本当は、はらっちも一緒に連れていってあげたかったよ。はらっちは、ナンバーガールの大ファンだ。ナンバーガールは、デビューに際して、このSXSWの、ジャパンナイトで演奏しているからね。SXSWははらっちにとっても行ってみたい場所だったんだよ。でもジャパンナイトも、今では、っていうのか、現状、メジャー戦略のバンドが、デビューに際して箔をつけにいく場所みたいになってしまっている。そういう現状も、今回、なんとなくわかってしまった。
ゆうじろう: テキサスに行くにあたって、ひと悶着あったって聞いてる。
Tone: そうだね。テキサスの前後くらいから、いよいよ、僕と米持さんとの間での考え方の違いが顕在化してきていたからね。僕だって米持さんに正直に気持ちを話していたわけではないから、そこも反省点なんだけれど。昔ながらのメジャー戦略が基本の米持さんと、インディーズ志向で自分の足で歩きたい僕と。だからテキサス行きの直前にもいろいろあって、一人ないしは他の友人と行こうかと思ったりもした。でも結局、やっぱり米持さんとでないと見えないものがあった。
ゆうじろう: 行ってみてどうだったの?
Tone: うん。たぶんね、米持さんは、何度も行ってるMIDEMみたいな、ビジネスライクなカンファレンスを予想していたと思うんだよ。でも、行ってみたら、ただの祭りだった(笑)誰も仕事をしていなかった(笑)。そして、それは紛れもなくインディーズの祭典だった。
ゆうじろう: じゃあ君向けだ(笑)
Tone: うん、たぶんMIDEMに行くよりは10倍、僕のためには良かったと思う。でも米持さんにとっては、それは期待はずれだったと思うんだ。自分が考えていたような、商談はほとんどできなかったわけだからね。SXSWはより、現代のシーンを象徴するイベントだと僕は思う。その中で、古いやり方といっていいのかわからないけれど、メジャー方法論を取ろうとする米持さんがどれだけのことをできるのか、図らずも僕は見ることになった。僕は世界の音楽業界の潮流、インディーズの潮流、それを肌で感じることができた。まさにSXSWっていうのは世界の音楽業界の縮図なわけだからね。それも、メジャーだけではなく、アンダーグラウンドを含めた、ね。これを体験したことは、たぶん確かに人生を変える体験だった。
ゆうじろう: すごくお気に入りのバンドを見つけたんだったね?
Tone: そうそう、+/-{plus/minus}ね。ニューヨークのインディーバンド。もともと、bloodthirsty buthcersのツアーメイトとして、名前は知っていたんだけれど、彼らのライヴを見ることができて、本当に良かった。今では、世界一大好きなバンドだよ。とにかく、オースティンのこのSXSWを見ることができたのは、僕にとっては、ドイツ以上に、大事な経験だったと言える。図らずも日本の業界というものの現状も見てしまった気もするけどね。自分たちの足で、海外に行けるんだって今は思うよ。ていうかそれしかないんだって思う。自分のやるべきことが、そこにあるはずで、というか、あるといいな(笑)。 ちなみにテキサスの日記はこちらをご参照ください。 そういえば路上で演奏もしちゃったんだった(笑)意外と大ウケだったんだよ。あれもいい経験だったな。
ゆうじろう: そんなわけで、あくまで売り込みのために、テキサス州はオースティンまで行ったということなんだけど、売り込みの成果は?
Tone: 結論から言えば売り込みは失敗だね(笑) 米持さん的には、SXSWがMIDEMとはまったく違ったイベントだったという時点で、すでにもう誤算だったんだろうと思う。もちろん、売り込み、営業という意味でも、得たものはあったし、いろんなことがあった。でも、今こうして、レコード契約は別に獲れてないわけだから、失敗だろうね。でも、それは、どこかで最初からわかっていたことでもあった。だって僕は、まだ作ったレコードにも納得していない。今回はあくまで、米持さんの考えで、米持さんに連れられていった旅だ。僕は自分たちの足で、自分で作ったレコードで、海外に行きたい。
ゆうじろう: そうかあ。大変だね。
Tone: 大変だよね。でも一番楽しいのかもしれない。
ゆうじろう: で、それからどうなったの?
Tone: テキサスから帰って、しばらくね、米持さんとつるんでいたよ。あれこれ手伝ったりもした。米持さんのソロアルバムでちょこっとリズムギターを弾いたりもした。思いもしなかったよ。14の頃は。僕のギターの上で、あのヨラン・エドマンが歌ってる、とか(笑) 早くあのアルバムも発売されて欲しいな。でも、米持さんと一緒にいろいろやって、ちょっとドリームズ・カムトゥルーな瞬間はいっぱいあったよ。Presenceの再結成ライヴが見れたりとかね。
ゆうじろう: あこがれの80年代ジャパメタだね(笑)
Tone: そうそう。実物を現場で見ることができてさ。よかったよ。ともあれ、米持さんとつるみながらも、ライヴ活動をぼちぼち再開するようになった。だって、2年くらい、ずっとライヴができずに退屈していたからね。そして、これも元はといえば米持さんつながりなんだけれど、ギター速弾き大会なんかを主催してるK氏とつるんで、イベントなんかも企画したりしていた。でも、それらの行動を米持さんはよく思ってなかったみたい。米持さんとつるんできた一年半、ビジネスライクな展開をしてきたけれど、こと、ここへきてライヴを始めてしまうと、いろんな考え方の違いがダイレクトに表面化してきてしまった。それもきっかけのひとつだったと思うけれど、僕はもう、レコードに関しても自主レーベルで出そうと思っていたし、バンドも、もっと自由にやりたくなってね。なにより、いろいろ学んだことだし、また自分の足で歩きたくなった。で、昨年、2007年の夏頃かな。ちょっと決心して、米持さんのところから離れることにした。学費も高かったけれど、やっぱりとても充実した、他では学ぶことのできない、見ることのできないものを見た一年半だった。米持さんは今でも尊敬しているし、感謝もしているよ。
ゆうじろう: 米持氏のところを離れるというのは、具体的にはどういうことだったかというと。
Tone: そうだね。米持さんの下でのバンド体制、つまり、はらっちと馬場くん、このメンバーで、その頃に確か二度ライヴをやった。もちろん、バンドの状態は悪くなかった。二人ともいわば、選ばれたメンバーだからね。でも、はらっちは、そろそろバンドを続けるのが難しくなってきた。彼はめでたく結婚して、子供が生まれるからね。彼はとっくに名古屋に戻っていて、遠距離での運営にも限界があった。そして、馬場くんも本業のジャズで忙しく、頻繁なバンド活動には向いていなかった。だから、覚悟はしていたけれど、はらっちをクビにする、というか、ドラマーを変えるのは、本当に決心が要った。彼こそが、彼のパンクな個性こそが、このバンドの不思議なカラーを支えていたからね。でも、それしか方法はなかった。要するに、米持さんのところを離れて、小さくても自分のバンドといえるバンドを、もう一度組むために、僕は全部捨てて1からスタートしようと思ったんだ。要するにメンバーの総とっかえ。
ゆうじろう: ローカルバンドでいいんだ、て言ってたね。口癖みたいに。
Tone: だってそれが僕のやりたいことだもの。特に日本においてはさ。でも、世界戦略という夢のあるローカルバンドでいたいな。ローカルバンドであっても、バンドにはやっぱり夢が必要だからさ。 で、幸い、夏が終わろうとする頃には、新しいバンドが出来ていた。ロックの研究に人生を捧げたマッドサイエンティスト(?)のDoctor Manzoと、世界を夢見るはぐれベーシストHassyと出会って今に至ります。全員横浜の同じ路線在住。紛れもないローカルバンドだよ。
ゆうじろう: まだまだバンドは続けていくのかい?
Tone: もちろんそのつもりだけど。なんか今日はもう話しつかれたな。米持さんとの旅路だけで、今日は許してくれないかな。その後がどうなるかは、これからのことであり、また次回、話す機会が来るさ。でも、今度こそ本当に、さっき言ったような、自分たちの足での世界進出を目指しているよ。どこまでできるか、できると、信じてるけどね。
ゆうじろう: 結局、米持さんと一緒に作ったレコードは、自主レーベルから出すことになったんだね。
Tone: そうです。KKRっていうレーベルをでっちあげてね。まぁちゃんと運営していきたいと思っているけれど。これに関してもひと悶着あったんだけどね(笑)
ゆうじろう: ホント大変な二年間だったね。
Tone: よく生き延びることができたよ。奇跡としか言いようがない。そして、輝かしいこれからの一歩に、僕はわくわくしているよ。それから、バンドやレコーディングのこと以外にもいくつか話しておきたいことがある。まずはプライベートなことだ。2005年に10枚の自主制作の旅を終えまして、その後、身の振り方をいろいろと考えていた僕ですが、それから約一年後、2006年に結婚をした。
ゆうじろう: 結婚っていうと、なんか大変なことに聞こえるけど。
Tone: そうそう、たいそうなことに聞こえるけれど、そもそも僕は彼女のせいで、人生のレールから外れることになり、好きではあったけどあまりやりたくはなかった音楽にこうして向き合うことになり、彼女の名前をバンド名に冠し、そんな、青春時代から一緒にいてくれる彼女と、ようやく籍を入れただけだよ。だから、籍を入れたからといって、実はあんまり生活とか変わっていないね。バンドの生活の場であったHouse Juku-Shikiで、それまでも一緒に暮らしていたわけだしね。でもそれは、海外に行くにせよ、政治やるにせよ、やっておかなければいけないことだと、僕は感じてもいた。
ゆうじろう: めでたいことじゃないですか。
Tone: 結婚に際して、高校時代の仲間と連絡を取ったりしてね。披露宴がわりに開いたパーティーで再会することができた。やっぱり幸福なことだよね。当時、学校で組んでいたバンドの、仲の良かったベースの子が居て、彼にも仲の良い幼馴染のガールフレンドがいて、卒業する前に4人でデートしたことがある。連絡を取ったら、あちらも昨年結婚した、って、なかなかそれって貴重かもしれないし素敵なことだよね。
ゆうじろう: 君のまわりは愛であふれているね(笑)
Tone: そうそう、だから結婚という意味では、これも言っておきたいのはさ、さっきも言ったように、はらっちも結婚したんだよ。地元の女の子とね。だからドイツの旅は、はらっちの彼女も一緒に行ったし、プレ新婚旅行だったみたいだよ(笑) 彼にはもうすぐ、そろそろ、子供が生まれるよ。そして、みねっちも結婚したんだ。もちろん、バンド在籍時すでに、ずっと応援をしてくれていた彼女とね。一緒に2004年を闘って、「光のヒーロー」を作った、理想のバンドだった3人は、これでみんな結婚したんだよね。あのバンド活動を通じて、学んだもの感じたものはそれぞれだったけれど、皆こうして幸せになっていることに、僕はちょっとした感慨と、誇りを感じるね。これも、ひとつの結果じゃないかな。
ゆうじろう: めでたいこと続きだ。
Tone: それから僕は引越しをしたよ。ひとつは、たくさんあった敷金を戻してテキサスの費用を捻出するためでもあったけど(笑) ヒッチーやヲイちゃん、はらっちとともにすごした埼玉某所のHouse Juku-Shikiから、ついに引っ越したんだ。大学時代をすごした大好きな街である横浜に、引っ越した、というか、戻ってきた。昔、GoodBye,MySunshineTownという曲を書いたけれど、その曲の題材になってるあの街の、わりと近くさ。現実的なことを言うと、横浜に引っ越した時点で、地方政治家の道はほとんどなくなったね(笑) 規模も違うし。埼玉では、ちょっとだけ議員さんのところでボランティアもしていたんだけどね。現場を見ないと結論出せないから。
ゆうじろう: 2001年に自主制作した曲だったね。「Entering The New World」に入ってた。
Tone: 今ではその曲の街まで数駅でいけるよ。仕事帰りに寄れる。 で、あと他にも。昔の高校時代の音楽仲間の中で、以前一人メジャーデビューまでこぎつけた人がいる、っていうのは話したことがあるかもしれない。その他にも地元のインディーズで大人気だった人もいた。その彼のバンドが、2007年についにメジャーデビューしたよ。ひさしぶりに会うことができた。めでたいよね。そして、当時の仲間の消息がもう一人つかめて、僕の初めてのオリジナル曲を歌ってくれた彼。その彼は、なんといまやSMAPやKinki Kidsとかその他もろもろのアーティストに楽曲を提供するような作曲家として成功していた(笑)。彼にもひさしぶりに会うことができた。そんな大物作曲家になった彼だけど、初めて作った曲は、僕と一緒に共作した曲だぜ?(笑)
ゆうじろう: ちょっと出来すぎなエピソードだね。
Tone: 幸せなことはまだあった。僕が大ファンで、ファンサイトもやっていた、いや検索よけで名前伏せよう、ユーミンの愛弟子であるところの、あの敬愛するアーティストSKさん。僕の結婚に際して、お願いしたら、さすがに演奏はしてもらえなかったけど、曲をプレゼントしてもらった。しかも氏が敬愛するバカラックの曲と、SKさん自身の曲のすばらしい合体バージョンだった。僕らは、SKさんの曲に支えられて困難を乗り越えてきた。もちろん、大ファンだったから、ていうことがあるけれど、音楽をやっていて、こんなに良かったと思ったことのひとつだったなあ。
ゆうじろう: なかなか無いことのオンパレードだよね。
Tone: そう思うと、すごくここのところ、夢はかないまくっているのかもしれない。ただ、見てわかるように、ぜんぜん金にはなっていないけど(笑)
ゆうじろう: じゃあ、背景もわかってきたし、申し訳ないんだけど、そろそろアルバムの楽曲の解説に移ろう。
Tone: OK。この文章がアルバム解説だったことを忘れていたよ。
ゆうじろう: いつものようにまずはアルバムのタイトルと、ジャケットの解説から。
Tone: タイトルに関しては実はそんなに深い意味は無いんだ。もともと、米持さんと話していて、海外向けにしよう、っていうことで、じゃあうちのバンドわりとポップだし、Japanese Popでどうですかあ、っていって、それで採用。僕もそれ以外に思いつかなかった、というそれだけの理由。他にもっといいタイトルあったかもしれないね。でも、ジャケットは、そのタイトルにあわせてすばらしいジャケットが来てしまったから。
ゆうじろう: このジャケットは素敵だね。今までの自主制作の、君の撮った写真を使ったものとは大違いだ(笑)。
Tone: だろ? まあ、自主制作の写真は写真で意義がちゃんとあるけどね。これは、ささきさんって言って、Karma Flowerのアニメビデオを作ってくれた人にジャケットも一緒にお願いしちゃったものなんだ。なんというか、イメージどおりだよね。ジャケ買いも期待できるんじゃないかな。はい、じゃあ次。
ゆうじろう: なんだか君にしてはそっけないね(笑)
Tone: このアルバムに関しては、結局米持さんの言うとおりに作ったし、プロダクション的にも自分でやったものではないから、ちょっと自主制作したものに対して思い入れの少なさがあるんだよね(笑)。人は評価してくれる作品になってるとは思うんだけど。
ゆうじろう: 必ずしも納得言ってないようなこと言っていたものね。
Tone: まぁね。もちろん良い作品だと思うんだけれど、制作の中でも、プロデューサーとアーティストの間で、必ずしも必要なコミュニケーションが取れていなかった気もする。いろんなところで、もうちょっと丁寧にできたんじゃないかという思いがあるよ。特にヴォーカルはスランプだったということがあり、とても納得はいっていない。でも、それはまた、作品の価値とは別かもしれない。まぁ、それを差し引いても、アナログ録音というのはやっぱ素敵だと思う。 録音のデータを述べておくと、制作期間は、2006年2月から10月、場所は東京は渋谷のAir Pavilion Studio、ならびにドイツはWolfsburgのGate Studio。マスタリングに関しては、予算が残っていなかったので、目黒区の某スタジオにて、米持さんの知り合いのエンジニアの方にやってもらっちゃった。TCのプラグインとPro Toolsでね。
ゆうじろう: じゃあ、1曲目、"Winning Song"。
Tone: これは、2004年に、みねっちが居た頃から演奏していて、「光のヒーロー」にも入ってる、Imari Tonesの代表曲のひとつだね。元気のいいハードロックだよ。1曲目に入ってるのが英語バージョンで、トラック10として入ってるのが日本語バージョン。演奏は同じだよ。ミックスがちょっと違うけどね。あと、「光のヒーロー」と大きく違うのは、ギターソロかな。「光のヒーロー」当時は、ソロ部分は、アルペジオを弾くだけだったし、自主制作でも、ちょっとしたリードを入れただけだったけど、このAir Pavilionバージョンでは、かなりがんばったハードロックのギターソロを弾いてるよ。今回の制作に関しては、なにしろ米持さんとこでやるわけだからね、制作全体を通じて、ハードロック色を出そうという思いがあったんだ。このギターソロでは、例のスウィープとタッピングを組み合わせるやつと、あとはタッピングしながら移動してくやつ、あと、意外と難しいのがスライドで移動していく、例のJake.E.LeeのBark At The Moonのパクりっぽい上昇フレーズ(笑) とにかく、かなりギターソロがんばってるね。ライヴでも慣れるまで大変だったよ。今でも大変だけど(笑)
ゆうじろう: 英語バージョンと日本語バージョンがあるんだね。
Tone: うん。今回、米持さんとこでやった制作では、基本的に、海外向けってことで、英語でやっていたんだ。初めてのことだったけどね。もちろん、今までにも、気まぐれで英語で書いた詞もあったけど。やっぱ、難しかったよ。アマンダに手直ししてもらったやつはともかく、曲によっては、ちょっと恥ずかしい詞もあるなあ。米持さんもそれなりにアドバイスはくれたんだけどね。
ゆうじろう: 米持氏は通訳としてのキャリアも豊富だものね。
Tone: そういうこと。ロサンゼルスで育ってるしね。で、この米持さんとこで録った、Air Pavilion版Winning Songに関しては、10トラック目の日本語バージョンがすごく気にいってる。納得行ってない部分も結構あるといった今回のアルバムだけれど、この10トラック目に関しては、本当にある意味、10代の頃から自分で理想としていたようなサウンドやヴァイブを持ったトラックに仕上がった。この1トラックだけで、本当に満足だ、といえるかもしれない。英語バージョンは、自分のヴォーカルや発音に、若干不満があるけどね。これも結構、さっと録っちゃったしなあ(笑)
ゆうじろう: ギターサウンドはとてもいいんじゃない? 機材はどんなだった?
Tone: そうだね機材についても最初にここで話しておこう。米持さんとこで録った曲に関しては、まずはギターはアンプはBognerのFishっていうプリアンプを使った。これは、初期のBognerの逸品で、200台しか作られていない、かなりのレアもののアンプらしい。これは結構パワーアンプを選ぶらしいんだけど、Carvinのパワーアンプを通って、GrooveTubeかなんかのスピーカーシュミレーターを通じてそのまま卓に行ってたな。だから一応ライン録りなんだけど、これってLAメタルでもよく使われてた手法っぽいからね。そしてこのBogner Fishのサウンドについては、僕はすごく気に入ってたな。米持さんが自分で使うときよりは、僕の好みでハイ上がりな音にして使っていたけれど、本当に理想のアンプというか、理想のギターサウンドのひとつの形だと思う。そうね、ことギターに関しては、米持さんは絶対正しいからね(笑)
ゆうじろう: ヤングギターの花形記者だものね。
Tone: そうそう。ギターの研究に身を捧げてきた人だもの。だからギターサウンドに関してはすごく納得がいっている。このへんはさすがだよね。で、ベースとドラムについては、米持さんのスタジオでは録れないので、某目黒区のスタジオに行って録ってたんだ。そこではPro Toolsで録るんだけれど、DATのマスターに落として、それを米持さんとこでアナログの24トラックに落とすわけさ(笑)。だから、一応、入り口はデジタルということになるのかな。テープに落とした時点ですっかりアナログな音に変わってしまうけどね。馬場くんは愛用のジャズベを使っていて、ノーエフェクトでアンプに直結していた。ベースはアンプのライン出力とマイク録りのブレンドだったね。ドラムはその目黒区のスタジオにあったものだけど、スネアは、はらっちのおなじみのTAMAのブロンズを使っていて、一部だけ僕のラディックのバーチを使ったね。Speechless SpeakerとIで使ったと思うよ。そんで、ヴォーカルに関しては、米持さんのスタジオで録るんだけど、マイクはAKGのSolidTubeだったね。マイクプリはTCかなんかだったと思う。TASCAMのクラシックな卓で、その卓の音はとても好きだったな。あとはシステムの最後にTCのFinalizerで音を整えていたのを覚えているよ。空間系はSonyのを使ってたかな。
ゆうじろう: よく覚えてるね(笑)
Tone: これでも自主録音をずっとやっていたからね(笑) あ、そうそう、ギターについていえば、アルバムを通じて、ギターは今までどおり、愛用してきた二本のMusicman Axis-EXを使ったよ。このWinning Songに関していえば、二本のうち、ピンクと赤のうち、赤いAxis-EXS、僕がWinning Dogって呼んでるギターを使ったと思う。赤い方がアルダーボディでパワーもあるんだよね。あとは"I"ではピンクを使ったと思うんだけど、他はどっち使ったか覚えてないなあ。でも、AxisはBognerのFishとも相性は良かったね。
ゆうじろう: 何年もAxisがメインだったけど、その後、メインギターをフライングVに持ち替えたんだよね?
Tone: そうなんだ。確かにこのレコーディングの頃に入手したんだよね。Epiphoneの安いやつで、オールドVのモデル、フライングVコリーナ。普通のVは興味別にないけど、コリーナはちょっと例外的に気に入ったんだ。でも、メインで使うようになったのは、ピックアップを載せ変えてからだよ。それに、メインといっても基本的にライヴ用だしね。
ゆうじろう: なるほど。じゃあ次、2曲目の「Karma Flower」。
Tone: アルバムが完成してしばらくたったけど、今や紛れもないIMARI TONESの代表曲になってしまったね。 この曲はサシャに録ってもらった曲だよ。これも自主録音でやった曲で、元の曲は「fireworks」に入ってる"初春恋風"っていう曲。とてもはかない雰囲気の繊細で日本的な曲だと思うんだけれど、これを英語にして、サシャに録ってもらったら、ものすごくメジャー感のある西海岸パンクになってしまった(笑)
ゆうじろう: サシャ氏は、イマリ・トーンズはパンクだって言ってたんだよね。
Tone: そうそう。だから、メタルに行くべきじゃない。その方が戦略として正しい、って言ってた。で、この曲はサシャのそんな考えを反映したプロダクションだよね。僕らは、「かの米持さんと、かのサシャに作ってもらうんだから、がんばってメタル/ハードロックにしなきゃ」って無理してたのに、いざ行ってみたら「いや君らはパンクだ」って(笑)。でも、その判断の正しさは、この曲が妙に評判がいいという事実からもわかるよ。
ゆうじろう: この曲は、輪廻をテーマにした曲だった。幽霊にとっては興味深い題材だ(笑)
Tone: うん。「初春恋風」からすでに、輪廻、生まれ変わりと、繰り返す恋といったテーマがあった。で、それをわりとそのまんま英語の歌詞に変換することができた。まぁ、アマンダの手も加わって、ちょっとクリスチャン的な要素が強まったけどね。輪廻って仏教の考え方だと思うんだけど(笑)まぁ、今や僕もにわかクリスチャンですから。
ゆうじろう: それは聞いてなかったな。いつクリスチャンになったんだい?
Tone: 数日くらい前かな(笑) 続くといいんだけどね(笑)
ゆうじろう: この曲はアニメのビデオがあったよね。
Tone: うん。ドイツから帰ってしばらくして、ビデオを作ろうという話になぜかなって、そこでなぜか、知り合ったSクンという子のアドバイスで、Flashアニメを作ったらどうだという話になった。そこで、何人かの名の知れたFlash作家さんに打診してみて、最終的にお願いしたのがささきさんという方。この人の作品は、結構あたたかい感じで、僕は好きだった。そんで、期待どおりのアニメを作ってくれたね。本当に感謝していますよ。これから、もっとがんばって、世界中の人たちに見てもらいますので。
ゆうじろう: アニメに関しても、曲のテーマどおり、輪廻と繰り返す恋が描かれていたね。
Tone: そうだね。シナリオはそのSクンが書いてくれてね。泣けるビデオに仕上がってる。結構がんばってくれたんだ。完成した今はのんきなこと言えるけどね。とても感謝しているよ。
ゆうじろう: じゃあ、この曲を録った、ドイツでの機材についても教えてくれるかな。
Tone: OK。サシャのスタジオは、農園地帯の街の中にあって、農家の納屋みたいな住宅をまるまる使っていてね。十分に広いし設備も充実している。バンドを録るおおきなスタジオと、ギターやヴォーカル、マスタリングを行う小さなミックスルームが別々にあった。そしてサシャは、自宅のプライベートスタジオでも作業を行うので、その3つのシステムを全部使っていることになる。実際はやはりパート毎に録音するので、バンドでいっぺんに演奏する機会は無かった。レコーダーはもちろんPro Tools。AD/DAも例のApogeeのたっかいやつがいっぱいあった。コンピューターは当然全部マッキントッシュだったね。あたりまえだけど。ギターアンプに関しては、ライトなパートに関しては、古いマーシャル、ピン・スイッチのやつ。これはすごいよかったね。へヴィなパートに関してはMesaBoogieのDual Rectifier。これは現代の標準のアンプだろうけど、標準って感じの音がした(笑)面白みは無かったな。ギターはブースの中にキャビネットがあって、マイクで拾うんだけど、GrooveTubeのコンデンサーマイクがセッティングしてあった。ベースやドラムに関しては何を使ったのか覚えてないよ。確かどっかのメイプル製スネアを使っていたと思うけど。ベースに至っては録音に立ち会ってないし。ヴォーカルのマイクはうかつにも何か覚えていない。それだけ必死だった。でもたぶんその同じGrooveTubeのやつだった可能性があるね。ギターに関してはドイツまで持っていったやっぱり赤のAxis-EXS"Winning Dog"を使ったり、サシャのP-90付きのレスポール・ゴールドトップを使ったり、米持さんのYAMAHA SGを使ったりした。たぶんこのKarma Flowerではサシャのゴールドトップの音がメインで使われていると思う。自分のAxisは使ってないかも。 それと、当然ながら、ドラムにしろベースにしろヴォーカルにしろ、デジタル編集でかなりいじられてるよ(笑)ギターはそんなでもないけど、特にドラムに関しては、完全にクオンタイズでリズム修正されちゃってるし、コンプやEQでサシャ独特のぶっとい音にされちゃってて、「これはパーツは俺だけどプレイは俺じゃない」って、はらっちは落ち込んでたな(笑) でもまあ、現代のレコーディングってそういうものだよね。
ゆうじろう: オーケー。貴重な説明をありがとう。じゃあ次、3曲目の"That's Why I Love You"かな。
Tone: これも「光のヒーロー」に入ってた曲だね。違いは、英語バージョンになったことと、曲を5分で収めるために、構成が多少省略されている。もともと冗長な構成の曲だったからね。あとはイントロのアルペジオに若干変化が見られるかな。この曲もアナログ録音で、Bognerアンプのギターがいい音をしてるね。ただ、ギターソロを、リア・ピックアップで弾いてしまったんだけど、僕としては自主録音でそうしたように、フロントで弾きたかったな、と思っている。これはこれで、いいけどね。いい曲だけど、歌詞に若干自信がないよ。あとは、自主録音のときには、ほとんどいつもヴォーカルはダブルトラックにしていた。米持さんはほとんどシングルトラックでいっちゃったけど、自分としては自信がないな(笑)あとは、馬場くんいいベースを弾いてるよね。ほんといくつかの曲で、おいしいところを持っていってるよ彼のベースは。はらっちもすごくがんばってる。米持さんとこの制作では、良いことを言うと、アナログ録音というのもそうだけど、ベースやドラムも一発で録っちゃうから、リズム隊やバンドの生き生きしたノリはすごく出ているよね。
ゆうじろう: では次、4曲目"Iron Hammer"。
Tone: これはいわくつきの曲なんだぜ。なんかサシャに録ってもらって以来、ライヴでもいつも演奏してるし、ネットでも褒めてもらえるし、代表曲のひとつになっちゃってるけど、当初はこの曲をやる気なんてぜんぜんなかったんだぜ? それを、サシャがやろうって言ってさ。
ゆうじろう: 確かこの曲もすごく古い曲なんだよね。
Tone: 僕が呼んでいるところのImari Classicsってやつだよ。つまり高校の時に作った曲。大昔だよ。印象的ではあるけどヘンなリフだし、大昔にカセットMTRでデモを録音して以来、ぜんぜんやる気なんかなかった。10枚の自主制作でもやらなかったんだからさ、残り物みたいなもんだよ。ドイツに行くときに準備したデモで、さっきも言ったように、かのサシャのところいくんだから、がんばってメタルっぽくしなきゃ、っていうんで、ちょっとヘヴィなリフのこの曲もデモに入れといたんだ。ほんとに、穴埋めのつもりだったよ。
ゆうじろう: 逆に、目玉だと思ってた曲をやらなかったんだよね。
Tone: そうそう、がんばってメタルっぽくしようと作った曲はボツになった(笑) で、この曲について起こったこと。リフを半音下げられて、単音で弾いてたのをパワーコードにしろといわれた。それだけでぜんぜん違うパワフルな曲になっちゃった。実際、こんなに印象的でいいリフだったのかと作曲した本人が思ったよ。で、ヴォーカルのメロディをちょっとだけ外人っぽく変えられてしまった。僕が高校のときに作ったメロディラインとちょっとだけ変わった。でもさすが大プロデューサーだと思ったよ。歌詞は、アマンダがその場にいなかったから、サシャがその場で細かいところを変えていったというか変えられてしまった。もちろん、内容やニュアンスは僕の詞のままだけど、微妙にいやなフレーズもあったな(笑)でも、もう言うなりだったけどね、だって大プロデューサーじゃん。次こういう機会があったらもう言うなりにはならないぞ(笑)
ゆうじろう: この曲の録音した際のエピソードは日記にも書いてあったのでごらんください。
Tone: この曲はギターは全部自分のAxis-EXSの赤いやつだね。アンプは全部Dual Rectifier。いい音だけどつまんないっちゃあつまんない。まぁ人まかせだからこれでいいや。ギターソロは悪くないと思う。そんなに速いわけじゃないけれど、僕らしい情熱的な弾きまくりを聞かせてる。そんで、エンディングのギターソロを米持さんが弾いてくれたのもうれしかったな。
ゆうじろう: 自分の曲であのTak氏がギターを弾いてくれるんだもんね。
Tone: そうそう。14歳当時の僕からすると夢みたい(笑)
ゆうじろう: この曲もその後ビデオを作ってなかったっけ。
Tone: 作ったね、すごく右寄りなやつを(笑) まあその話についてはまた次回で。
ゆうじろう: じゃあ次、5曲目で"Speechless Speaker"。
Tone: これも「光のヒーロー」に入ってたやつだよ。「美しいものを見よう」。
ゆうじろう: あれは名曲だった(笑)
Tone: うん、僕もそう思うんだけれど、このAir Pavilionバージョンではちょっと違ってしまってる。もちろん良い面もあるけれど。歌詞が英語になったからか、歌唱のせいか、プロダクションのせいか、日本語版の「美しいものを見よう」にあった切々としたメッセージ性が薄れて、もっと繊細で宗教的な感じになってしまっている、かな。
ゆうじろう: 歌詞はどんな内容なの?
Tone: 実を言うとこれが、米持さんと制作始めて、最初に書いた英詞でね。だから不慣れな感じ全開になってる。でも、繊細で宗教的なニュアンスのある歌詞を、米持さんはすごく気に入ってくれて評価してくれた。確かに悪くない詞だと思うけど、ちょっと恥ずかしいな(笑) サウンド的には、アナログ録音はとてもよい味を出しているし、特に気に入ってるのがイントロのアコギの音。アコギは米持さんのオベーションを使ったけど、すごくいいギターだった。そして録音に使ったプリアンプも良かったみたいで、はっとするようなすばらしいアコギの音が録れた。そういう繊細さは気に入っているけれど、全体のプロダクションに、終末感やグランジ感が薄れてしまったこともあって、やっぱり日本語バージョンの方が正直好きかなあ。でもこれはこれでひとつの形だし、きっと聞く人の心を打つ曲なんだろうなと思う。
ゆうじろう: だろうな、って、なんか言い方が他人事っぽいよね(笑)
Tone: それが今回のアルバムに関する僕の立場や気持ちをあらわしてるんだよ(笑) でも、サウンドは本当に良いね。胸を打つサウンドだ。あとこの曲では、ギターソロでワーミーペダルを使わされたな。
ゆうじろう: 使わされた、って(笑) 受身形なんだ。
Tone: そうそう、米持さんが、急に、ワーミー使ってみろ、ってさ。でもまあ、面白いサウンドになったと思うけどね。ヒッチーがワーミーを持ってたから、ちょっとだけいじったことはあったんだけどね。自主制作のときは、確かレスリーのプラグインをかけてたと思うけど、今回はワーミーだった、と、そういうことさ。あとはやっぱ、馬場くんとはらっちのプレイがすばらしいね。
ゆうじろう: じゃあ次、6曲目で、"Skies Of Tokyo"。
Tone: ああこれね。この曲も、その、無理して作った曲のひとつなんだよ。かのサシャ・ピートのところにいくんだから、メタルっぽい曲作らなくちゃ、って(笑) で、それっぽいわざとらしいバラードを作ってみたんだけれど、これはそれが、一応はうまくいった例だね。メッセージ性もあるし。あとは、僕のヴォーカルがあんなにスランプじゃなければね。
ゆうじろう: こういうメタルっぽい曲は、サシャ・ピート氏のお手のものだったのかな。
Tone: だったと思うよ。この曲は、一応、歌詞は環境問題についてのテーマで、でも、自然を守ろうねって感じじゃなくて、ああ天候おかしくなってるね、たぶんもう地球も人類も駄目だね、って淡々と歌ってる曲(笑)。歌詞については、アマンダの手が入ったけれど、ほとんど修正箇所はなかったと記憶してる。まぁ単純な詞だしね。
ゆうじろう: タイトルが、直訳すると「東京の空」だけれど。
Tone: そうそう、2006年の夏に、ドイツに行くちょっと前だけれど、新宿に出かけたら天候がおかしいわけさ。すっごいまがまがしい感じの雲とか出ていてさあ。で、あんまり印象的だったので、その方向で詞を作った。だから、その日の新宿の空がモチーフになってるのかな。この曲のギターソロも、上手くはないけど、自然なニュアンスが出ていてよいね。バッキングは自分のAxisを使ったと思うけど、このソロは米持さんのYAMAHA SGを使ったと思うよ。凄いサステインのある良いギターだった。このソロからもそれがわかるんじゃないかな。あとは、エンディングパートのかっちょいい音響処理が、さすがメジャー感たっぷりだよね、さすがサシャ・ピートというべきか、プロなら当然というべきか。あとは、サビでアマンダさん自身がコーラスしてくれてるけど、これが反則ってくらい強力だね。僕のヴォーカルいらないんじゃないかってくらい(笑)
ゆうじろう: じゃあ次、7曲目で、"Juku-Shiki"。
Tone: これも自主制作でやった曲だ。「異能レース」でやった曲だよね。すごくおもしろい曲だから、変化球として混ぜてみようって話になってやったんだ。どうかなあ、この曲も、自主制作バージョンの方がニュアンス的に上だろうか、でも、このバージョンにもこのバージョンの旨みがあるから、甲乙つけがたいところかな。
ゆうじろう: リズム録りや、マスタリングの際に、エンジニアのSさんが、「この曲は楽しい」ってしきりに言ってたね。
Tone: ねー。そういうおもしろい曲なんだよね。そういえば、そのSさんとともに、目黒区の某スタジオでレコーディングしたのも、とても良い経験だったよね。あのスタジオは穴場だよ。機材すごいし、あの料金だし、Sさんは腕いいし。ここでもいろんな面白い裏話聞けたしね。
ゆうじろう: アダルトゲームのアフレコの話だっけか?
Tone: そうそう。お決まりのジョークなんだろうけど、すっごい笑えるの。 ともあれ、このJuku-Shiki、自主制作バージョンとの違いならびにハイライトは、間奏において、アナログシンセがういんういんいってる。これは、米持さんがMiniMoogもってきて自分で弾いてくれたやつ。弾いたっていうか、発振しまくってるんだけどね(笑)あとはコーラスでうちの嫁さんの声が使われてしまいました。自主制作でも何度か登場してるよね彼女の声は。まぁ米持プロデューサーがこれでいいって言ってるんだからいいんだろう(笑) あとは、曲のアウトロが、なぜかめちゃくちゃVan Halenの1stみたいになってるのが、たぶん笑えるはずです。
ゆうじろう: じゃあ次、8曲目で"New World"。
Tone: これも自主制作でやっていた曲で、なにかっつーと「Kodomo Metal」に入ってる"Big World"の英語版だね。英語の歌詞を書く際にBig WorldがNew Worldになっちゃったと、それだけの話です。自主制作版との違いは、歌詞の他には、うーん、そんなにないかな、間奏のセリフが入ってないところぐらいですかね。歌詞は、ちょっと不思議な歌詞になっていて、悪くはないけど、これも若干恥ずかしいねやっぱ。米持さんはこれでいいって言ってたんだけどね。自主制作したやつも、'80sサウンドになっていてよかったけれど、このトラックも生々しいアナログサウンドのギター含め勢いのあるサウンドで、決して悪くないですね。でも、コーラスのプロダクション若干荒っぽいんじゃないかなとも思います。サビのコーラスに参加してるのは、右チャンネルではらっち、左チャンネルで、はらっちのアニメ声に対抗すべく呼び出された、通称はるちゃんっていう女の子。バンドもやってる子ですね。バンド名は書けないけど。バンド名がすでに放送禁止なんで(笑)あとまんなかで米持さんもヒーロー声で歌ってるね。アニメ声対決になったんだけど、はらっちのが幾分押してるかな(笑)この曲はギターソロも自主制作のときとほとんど変わってないね。
ゆうじろう: 気持ちのいいトラックだよね。じゃ次、9曲目で"I"。
Tone: ああ、これなあ(笑) これも、自主制作でやった曲。「Color Of Hers」でやった、必殺の曲。この曲は僕はあんまりやりたくなかったのよね、本当は。でも、米持さんは、この曲をいたく気に入って、この曲しかないってことになった。でも、すごく難しい曲なんだよね。この曲のプロダクションは失敗だと思う。
ゆうじろう: いきなり失敗ですか。
Tone: もともと、自主制作のときですら、この曲は本当に大変で、一時は完成しないかと思ったくらいだもん。この曲を歌うために発声の方法を変えたんだよ。で、そのときは、以前のパワフルな発声に、いくぶんの技術をまぜこむことで、奇跡的に歌いきったわけで。でもその後、新しい発声を探し始めて、そのバランスは崩れてしまった。で、スランプ真っ只中に入ったわけじゃない。とても歌えなかったよ。タイミングも悪かったし、環境も問題だった。プロダクションも、決してこの曲の解釈としてはベストではないと思う。この曲は、IMARIの曲の中でも、とても特別で、非常にパーソナルな曲だ。だからこそすさまじい曲になりうるけれど、それくらい危ういバランスの上に成り立った曲なんだよ。それを、米持さんはわかっていなかったと思う。やっぱりギターサウンドは良いと思うけどね。あと、ドラムもすごいいい。
ゆうじろう: 自主制作のときは、確かに必死な感じが伝わってきた。
Tone: あのときは、当然なんだけどピアノも生だったじゃない。でも、今回はピアノはキーボードによるものだったからね。そういったプロダクションでは、この曲の気合というものは、捉えきれないと僕は思う。ヴォーカルに関しての問題がいちばんだから他人を責めることはできないんだけれど、タイミングと環境の問題は大きかった。でも良いことを言えば、この曲は、僕が知りかけていたミックスヴォイスというものを、覚えたてで超未熟なやつだけれど、初めて録音で使ったトラック、でもある。実はこの曲をレコーディングする前に、バンドでリハーサルした際に、実は、結構歌えていたんだ、その覚えたてのミックスヴォイスでもって。いろんな原因があると思うんだけれど、いちばん最初に、ミックスヴォイスを使えたのは、実はリハスタでバンドで演奏しているときだった。自宅で料理しているとき、も最初なんだけれど、バンドで生演奏しているとき、というのも、それと同じで、いちばんリラックスできる状態、ということらしい。ところが、それが、レコーディングになると、まったく使えなかったんだね。心理的なものもすごく大きかった。それは確かだと思う。そして、そういった心理的な要素がある、ということを知ることも含めて、あるいは、モニター環境がどれだけ大事か、とか、そういうこともわかるようになるまで、本当にこのミックスヴォイスが安定して使えるようになるまでは、もうちょっと、もう一年くらい、実際には時間が必要だった。まぁ、こればっかは仕方ないよね。発声法の転換のちょうどまっただなかにあたってしまったわけだから。そんで、やっぱそれでも、自分のせいにする気はないけどね(笑)
ゆうじろう: サシャ氏も言っていたものね。録音の結果というのは、いつだってプレイヤーじゃなくプロデューサーの責任なんだ、って。
Tone: そうそう(笑)。お任せしてるんだからね。これで本当に大丈夫なんですか、って聞いたときが、制作中、この曲に限らず何度かあった。僕は、やっぱり大丈夫じゃなかったじゃん、って思ってるよ。自主レーベルから出すんだから、いっそボツにしちゃってもよかったかもしれない。でも、これも大事な記録だからね。ギターソロは自主制作とあまり変わっていない。後半のところでハモってるところが相違点かな。でも、この曲に関してだけは、ギターソロも、あのCranetortois二段つなぎの特異なサウンドで弾いた自主制作の気合の入り方には、遠く及ばないと正直思っている。そこは、自分で死んでもいいって思って作った自主制作のときと、言われるままに作った今回との気持ちや制作スタイルの違いだと思っているよ。ただ、ヴォーカルがスランプだったとはいえ、最後のパートとか、ハイは伸びてるよね(笑) ちなみにこの曲は日本語版しかないよ。最初にとりあえず日本語で録って、後で英語もやろうかって言ってて一応歌詞も作ってあったんだけれど、作業が間に合わなかった。米持さんとしても、こんな大変な曲のミックスをもう一度やる気力はなかったらしい(笑)そりゃそうだよね。
ゆうじろう: 決して、そんなに悪い出来ではないと思うよ。聞き方にもよるんだろうけどね。さあ、10曲目のWinning Song日本語版に関してはもう最初に解説が済んでいるから、これでひととおり完了かな。じゃ、最後にアルバム全体を通したまとめを話してくれるかな。
Tone: そうだね。このアルバムは、自主制作してきた今までと違って、初めて人に作ってもらったレコードだ。良い面も悪い面もあったと思う。僕もすごく勉強になった。でも、サシャに録ってもらった曲を含め、すでに、イマリ・トーンズというバンドを代表するレコードに、否が応でもなってしまっていると思う。そのことを否定はしないし、素直に誇りに思う。完璧ではないかもしれない。でも、米持さんに録ってもらったいきいきしたアナログサウンドと、サシャに録ってもらったメジャー感のある音が、不思議と見事に調和している。そして紛れもない事実として、このアルバムは、米持さんというロック界の一人の戦士であり賢人と一緒に、僕と、はらっちと、馬場くんが、旅をした、その旅路の記録だよ。米持さんに関しては、制作の途中で体調を崩されたこともあって、部分部分に制作に満足していない点もあるけれど、やっぱりとても感謝しているよ。そして、いちばん大事なこととして、このアルバムは、これからのイマリ・トーンズにとって、間違いなく、世界の扉をひらくカギになってくれる、なってくれた、と思っている。
ゆうじろう: ずいぶんいろんなことを学んだものね。自主制作を終えたときもよくやったと思ったものだけれど、今の君は、もっといろんなことを知っている。
Tone: 世界の獲り方だって知ってるさ(笑)。見てろよ、こっからどうするかを(笑)。次の作品は、またとんでもないことになることが、今からすでに確定しているからね。すでにもうプランは出来ている。そんで話変わるけれど、今回、こうして、二人の名プロデューサーに録ってもらったことで、ちょっとだけ逆説的に、僕が自主制作で作っていた作品たちの、特異さ、特異なサウンドの価値、その価値が、よりわかったような気がしたよ。商業的な意味は置いておいてね。もちろん、特異な、他ではありえないようなサウンドプロダクションだし、ギターの音だって特異だ。米持さんには低音が無いって言われたし(笑)。でも、その特異な音像の価値っていうものが、どれほどのものかってわかった気がする。未来永劫、どんなに売れた作品を作ろうとも、イマリ・トーンズという物語の、いちばんの原点は、自主制作した10枚の旅路にこそあるよ。あそこには、もっとも自由で、もっともしばられない、そしてもっとも自然な音楽の形があるんだ。まるで何億年も前の原始人が作ったんじゃないかって思うくらいさ。
ゆうじろう: 原始を思わせる音像だものね。そりゃ真似できんわな(笑)
Tone: 案外と芸術の原点に迫っていたのかもしれないよ。ともあれ、でも本当、米持さんと旅をして、業界のこと、いろんなロックの裏話というかロックの真実、ロックの歴史、世界のこと、それにギターのこと、そうだね特にギタリストとして、学ぶものはとんでもなく多かった。繰り返すけど、米持さんはロックの生き字引だし、世界中のスーパーギタリストにインタビューしてきた人だし、ギターの研究に半生を尽くしてきた人だしね、本当に、ことギターに関しては、絶対に間違ってないからね。きっと、米持さんに言われたことで、これから、はっと思い返すこと、まだまだいっぱいあるんじゃないかな。
ゆうじろう: 米持さんの教えどおり、新しいギターにもJ-80載せてるものね。
Tone: そうそう。それが米持さんいわく世界最高のピックアップなんだってさ。メタルやろうとするとね。なんだ、いちばん最初から持ってたんじゃん、って。僕の最初のジャクソン。昔は、そのうち何に載せ変えよう、って思ってたのにさ。最初っからJ-80がついてたもん。
ゆうじろう: 君は、なんでもいちばんのものに最初に出会うようになっている。
Tone: ありがたいことだよね。願わくばこの幸福な旅路がまだ続いていきますように。でも成長したと思うよ、内面はともかく、知識は増えた。世界を現実に視野として見れるようになった。行動半径は間違いなく世界になった。実はその後も一度、行き先とか言えないけれど、嫁さんのたっての要望で海外に行ってる。そこでもたくさんロックな体験をしてきたよ。これは内緒だけどね。あちこちに借りがあるからさ。でも行かないと離婚だってわめきたてたんだよ(笑)中から外から、いろんなとこからせっつかれて大変さ(笑)でもそういうことも自分たちでできるようになったということが、さまよいながらも自分たちで歩いてきてることの証だと思うんだ。たぶんそれが成長するってことで、自分たちの手でゆっくり成長できる僕らは幸せなんだよ。
ゆうじろう: よかったね。じゃあ、このへんでおひらきにしていいかい?
Tone: そうだ、そしてあとふたつ、話すことがある。
ゆうじろう: もうページ数残ってないよ(笑)
Tone: 構うもんか。ひとつは、2005年に考えていた生き方のこと。外国への移住、これは今真剣に考えてたりするよ。もうひとつの選択肢だった政治、地方政治。実は、それから、政治ってことについて考えていた。政治ってことについても話し出すと長くなる。でも残念ながら、この国の現状を鑑みても、そしてそれ以上に、もっと根本の意味で考えたときにも、僕は政治という概念すら信じていないことに気がついた。そして、国という概念すら信じていないことに気がついた。だから、IMARI TONESの音楽は、やっぱり個人がその中心にいなきゃいけないと思った。僕の革命があるとするんなら、それは政治によってあるいは社会や国によって起こすものじゃなくて、あくまで、個人が幸福に、闘って生き延びていくこと、そこにしかない。そして、それとも絡んでくるんだけれど、そこには信仰というものが、間違いなく存在するんだと気がついた。
ゆうじろう: 信仰?どういうこと?なんて幽霊が聞くのもヘンだけど(笑)
Tone: うん、ひとつのきっかけとしてね、ちょうど一年くらい前になるけれど、米持さんがちょっとだけ紹介してくれた、アメリカのショウビジネス界の大物の人、名前出さないでおくけれど、その人のことを知ったときに、ちょっとした衝撃があってね。ロックミュージックと、キリスト教の信仰を結びつけて研究してる人で、メル・ギブソンのクリスチャン映画なんかにもかかわっているらしい人なんだけれど、その人のことをちょっとだけ調べたら、はっと気づいたことがあった。自分が音楽をやっている理由は、信仰なんだ、って。
ゆうじろう: お、ここは大事なところかな。
Tone: つまりね、僕は、ひとつのきっかけで、人生の敷かれていたレールの上から外れざるを得なくなってしまって、それ以降、芸術というものに向き合ってきたわけだけれど。それも、プロになるとかそういうことではなく、もっと違った目的のためにそうしてきたわけだ。それで、バンド活動にあたっても、売れるためとか、人気を得るため、というような目的とは程遠いやり方をしてきた。なんというか、自ら望んで苦労するようなやり方を選んできた。で、それって何のためだったのか、っていったら、あ、そうか、それって信仰のためだったんだ、って。これって、僕にとっては、すごい大発見だったのさ。もちろん、僕はそういうことは、本質的にはわかっていたし、"漂泊の救世主"という概念をかかげていた経緯もある。でも、自分という芸術家の本質に迫ろうとしたときに、これはすごく大事な発見だったと思う。今までは、わかってはいたけれど、はっきりと意識したことはなかったわけだ。でもね、今、それを意識的に知ったわけだから、これからは、その信仰っていうことも、大事なテーマとして掲げていこうと思っているよ。自分が、自分の本当に言いたいことを主張し、自分の音楽を正確に伝えるためには、それしかないと思ってる。だから・・・・
ゆうじろう: 話が難しくなってきたので、このへんで締めたいと思います、では続きは次回〜〜。
Tone: あ、この幽霊め、話を途中で切りやがって。
ゆうじろう: 信仰があるんだったらゆうれいも大事にしろよ。ではさようなら〜。
(2008年1月)
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